ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

ウッドアイビス 店内作品

2013年07月18日 | インポート

Dscn3699 7月18日(木)、徳島市の両国橋商店街の喫茶店ウッドアイビスの壁に学生の作品を2点展示させていただきました。少し前から行なっている「グループ書彩」の活動の一環です。学生の書で地域を彩るという趣旨で、賛同したメンバーの作品を展示しています。これは、四国大学の学生GP事業の予算で、額の一部も新調しました。

「成」は2年生の白井さんの作品で、お店の成功を祈る作品です。斜画のかすれが綺麗に決まっています。

Dscn3697 次は、青墨で優しい感じに仕上げた「憩」です。一部に篆書の技法を使っています。喫茶店にはふさわしい言葉と雰囲気です。2年生の山口さんの作品です。

経営者の方にもたいへん喜んでいただきました。

お店の前には4年生藤井君揮毫の「感謝」の大字の垂れ幕も展示中です。

学生の作品を様々な場所に展示して街を彩り、多くの人たちに元気を与えられたらうれしいことです。

中の作品は定期的に替えて、様々な作品を見て頂こうと思っています。

現在、籠屋町商店街の阿波踊り横断幕も、8月上旬の展示を目指して、ゼミの学生とグループ書斎の学生を中心に制作中です。お楽しみに。


水都祭 うちわで書道

2013年07月15日 | インポート

Suito1 7月14日(日)、午後、徳島市藍場浜公園で行われた水都祭に参加しました。これは、主催者である徳島青年会議所から依頼されて、書道文化学科の学生8名の協力で、「うちわで書道」というブースを運営しました。

参加してくれたのは、3年生の青木君・仲道君、2年生の白井さん・山口さん、1年生の後迫さん・西村さん・丸山さん・山村さんです。3連休の中日で、テストも近いのに、ボランティアとして積極的に参加してくれました。Suito2_2

徳島は水の都です。河口部の川に囲まれた島がいくつか集まった土地です。陸上交通が主流の現代ですが、水上交通によって成長した都です。会場の藍場浜は元は藍玉を保管して輸送するための倉庫が林立していた場所でした。

近世中期から明治30年代にかけて、徳島は藍玉の販売で経済が発展し、全国10本の指に入る大都会でした。その時代には、文化も発展し貫名菘翁の様な有数の書家も出現したのです。

Suito3_2 祭は、子供のためのイベントが多く、たくさんの親子連れが来ていました。

テントに2か所の揮毫テーブルを設置して、1テーブルには4人がかけて揮毫できるようにし、そこに学生がついて個別指導をしました。まだ文字を習っていない年代の子供には絵を描かせました。最初に半紙で文字を練習し、うちわに書いた後は、印を押します。印は石では写りません。うちわの骨が邪魔するからです。昨日、消しゴムに「水都」「徳」などとカッターで彫って作りました。普通のハンコ用の朱肉を使います。乾燥が速いからです。

Suito4_4 2時に開始し、5時に終了するまでに、200名以上の方が訪れて、オリジナルデザインのうちわを作っていかれました。うちわは主催者の提供、墨や道具は四国大学で準備しました。

Suito7                       当初は学生が交替で対応し、時には他のブースで食べ物を食べたりということを考えていましたが、学生たちが休む時間がないほど ひっきりなしに人が訪れました。

子どもたちが書いていると楽しそうなので、一緒に来た保護者も一緒に書いたり、コスプレをして祭りを盛り上げていた若者たちも、書道に挑戦して楽しんでいました。

Suito6_2 外国の方も大勢来られました。右下写真は、ハワイから来られた一家の子供が、学生の指導で「ハワイ」と書いているところです。書道は国際交流にも極めて有効なことは先般のブログでも述べた通りです。

学生も多忙でしたが、とても楽しそうでした。このような経験は、将来書道塾を経営したり、書道の教員になった時に必ず活かされるはずです。

また、イベントの中で書道がこれだけ人気を集めるとは、多少驚きもありました。人々が書道に強い関心を抱いていることが証明されました。

今日作られた書道のうちわが、各家庭で使われ、また街で使われ、それを見た人がまた書道に興味を持ってくれるといいですし、今日初めて書道をした幼い子供たちが、やがて高校生になった時に書道を選択してくれるかもしれません。このような地域活動への参加は、大きな意味での「書道の営業活動」であるともいえます。

この日は猛暑で、さらにゲリラ豪雨もあり、湿気むんむんの中で汗をだらだら流しながらで、シャツは汗だらけになりましたが、さわやかな気分で一日を終えました。考えてみたら、このところ毎週末はイベントや大会に出ていることに気が付きました。なかなか忙しいです。


『漂巽紀略』に見る万次郎の世界展

2013年07月13日 | インポート

Ryouma5_2  7月13日(土)、高知市桂浜の上にある国民宿舎、桂浜荘でのジョン万次郎の漂流記録『漂巽紀略』のシンポジウムに参加しました。まずは、隣接する「坂本龍馬記念館」で、様々な展示を見学しました。

大学の「阿波学事始め」という研究の一環で、昨年から幕末の漂流記に関する研究をしています。この日は、総勢5名の教員が1台の車で高知まで行きました。阿波の初太郎の漂流の記録である『亜墨漂流新話』の研究です。初太郎が漂流した1841年、同じ年の1月に漂流したのが、実はジョン万次郎ら5名の船乗りが乗った船でした。

そのために少し前から、ジョン万次郎のことも調べ始め、また関連の深いペリー提督のことも調べています。

Ryouma4会場には130人以上の参加者が集まり、席が足りなくなって、急遽増やす程でした。

4人のパネリストの発表の間、参加者の皆さんは熱心に話を聞いていました。

Ryouma2 この会場のすぐ下には桂浜があり、太平洋の荒波に洗われています。この日は、ぎらぎらと輝く夏空で、屋上で写真を撮りました。

とてもさわやかな景色です。この景色をいつも見ているからこそ、土佐人には冒険の精神が育っていったのかもしれません。

このシンポジウムの冒頭では、偶然、ペリー提督の4代後の子孫の方がアメリカから特別ゲストで来られて挨拶をされたので驚きました。お名前も、先祖と同じ「マシュー・ペリー」さんです。

Ryouma3_2 万次郎は日米和親条約の時には日本に帰国していたので、日本側の通訳として活躍したいと考えていましたが、幕府は、万次郎がアメリカ側のスパイではないかと疑って、結局活躍できず、その後に、勝海舟の抜擢で、咸臨丸の通訳として乗り込み、アメリカまで同行することになります。

むしろ、ペリーと縁があるのは、初太郎の方です。初太郎がメキシコから帰国するときに中国に立ち寄り、そこで面倒を見てくれたアメリカ人宣教師のウィリアムズが、それから10年後にペリーの中国語通訳として日本に来ることになるのです。

シンポジウムに参加したおかげで、また漂流記の情報が増えました。これに関わることで、ますます関連世界が広がっていく気がします。


インカレ四国大会少林寺拳法の部

2013年07月07日 | インポート

Innkare1 7月7日(日)、午前中に、今年のインカレの四国大会、少林寺拳法の部が四国大学体育館で実施され、今年は運営側として参加しました。開会式で、四国大学の学生が準備運動をリードしているところです。ステージの横断幕は私が書かせていただきました。

Innkare2 今日はひどい暑さの中でしたが、若い学生たちは元気で、大会は順調に進みました。写真は、女子組演武有段の部の最優秀賞をとった香川大学のチームが閉会式で演武を披露しているところです。

Innkare3 一番手前の列に写っている四国大学の学生6名も頑張りました。1年生の女子選手が、単独演武有段の部で優秀賞(第2位)を受賞しました。少林寺拳法は合掌礼に始まり、合掌礼におわります。閉会式の最後の合掌礼です。

Innkare4 総合優勝は香川大学、総合準優勝は愛媛大学でした。四国大学は、かろうじて賞状一枚を獲得しましたが、今回は運営の仕事に力を入れたので、成績よりも大会運営がうまくいったことが何よりの成果でした。卒業生4名もお手伝いに来てくれました。後列左端の先生が監督の多田先生です。今回の大会委員長でもあります。私は顧問を担当させていただいています。

私は、今回は成績処理と賞状作製の仕事に追われていて、部員の試合の様子を見ることはできませんでしたが、大勢の参加者に大きな声で指示を与えたり、しっかりした挨拶をしたり、そのような学生の大会運営の様子はしっかり見せてもらいました。とても立派でした。このような体験を学生時代にしておくことは、将来社会に出てからさまざまな機会で生かされることでしょう。

私自身も、信州大学の学生時代に少林寺拳法部に在籍していましたが、このような大会運営をしたことが今も役立っています。大会は、もちろん良い成績を挙げて賞状をもらうことを目指すことも大切ですが、このような大会を運営し参加すること自体が、若い学生たちを大きく成長させるのです。教育活動の一部といってよいでしょう。学校で行われているすべてのクラブ活動の本質はここにあります。ところが指導者の中にはそれを忘れて「勝つことだけ」を目的にしてしまう人が出てきます。そうなるとかならず様々な弊害が出てきます。

熱くて疲れましたが、反面、充実感を感じた一日でした。


フィジーの学生と書道交流

2013年07月03日 | インポート

Fijii1 7月3日(水)、フィージーにある南太平洋大学ソロモン校の学生約20名が四国大学を訪問して、書道体験講座が実施されました。フィジーの学生各自に四国大学国際文化学科の学生が1人ずつついて英語で通訳し、書道文化学科の富久和代教授の指導と、書道文化学科の学生5名の指導補助によって約1時間の講座でした。南太平洋大学の詳細は下記のサイトをご覧ください。イギリス連邦だった国が多いのでフィジーの学生さんたちは英語が流暢でした。サイトを見ると、この近辺のオセアニアの小国が協力して作った唯一の大学であることがわかります。彼らはきっと地域の希望の星的存在でしょう。来日は初めての人が多く、見るものすべてが驚きの連続だったようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6

Fijii4 お手本は様々な文字を富久教授が書かれましたが、講座の中で、受講者が書きたい文字は、その都度学生がお手本を書きました。右の写真は、「nature」の意味の漢字を書きたいというリクエストにお応えして、書道文化学科の学生が「自然」というお手本を書いているところです。

しばらく練習した後に、清書として団扇に書を書き入れました。

Fiji3

国際文化学科の学生との作品を並べてのツーショットです。フィジーの女子学生さんは「アンジー」さんというので、その名前の音を漢字に直した「安」の字を書いています。アンジーさんはとてもうれしそうです。

Fijii2 途中に、こんなツーショットも生まれました。「I love オセアニア」 素晴らしい国際交流ですね。

Fijii5

最後に完成した団扇作品を掲げて写真を撮りました。フィジーの学生さんたちは書道は初めての体験で、とても楽しい時間を過ごしたという感想を述べていました。皆さんはこの後、この団扇を持って別棟に移動して阿波踊り体験をしました。

日本政府は今後、外国からの観光客を倍増させて、日本の観光収益を大幅に上げることを計画しているようですが、書道や阿波踊りといった、独特の伝統芸能や芸術は、外国人を満足させられるものです。

書道も今後、この分野において活躍できる可能性が高いと思っています。今日のような体験講座が、外国人観光客の観光ルートに乗っていくことが予想され、ここに新たな雇用の可能性が生じます。大阪・京都・富士山・東京を結ぶ「ゴールデンルート」から外れた徳島の観光行政にとっては重要な要素です。国際文化学科・書道文化学科の両科の学生にとっても良い勉強になるモデルケースでした。

現在「発展途上国」とされている国々は、まさに「これから発展する国々」です。先進国の企業は豊富な地下資源と安い労働力を求めてこれらの地域に進出して、数十年もすれば日本と同等か、または追い越す存在になっているかもしれません。東南アジア・アフリカ・中南米などがそのような存在として世界の注目を集めています。この日、四国大学を訪問した学生たちはその時にオセアニア各国の中核として活躍しているでしょう。

若者が国際交流をするべき意義はきわめて多様だと思います。