ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

徳島市佐古 諏訪神社の桜

2015年03月30日 | 日記

3月29日(日)、ソメイヨシノが最盛期を迎えましたので、マルシェのあとに桜の名所の一つである佐古の諏訪神社に行きました。ここは数年前から気に入って行く場所の一つです。

長野県出身の私が故郷の地名がついていることに気になるのもここに行く一つの理由です。神社の由来看板によれば、ここに諏訪神社ができたのは、戦国時代末期のようですが、ここに来る前にも阿波の地には既に諏訪神社は勧請されていました。現在は諏訪神社は全国あちらこちらにありますが、多くの場合は信州出身の人がそれを移住先に勧請しているケースが多いです。諏訪神社は実は上社と下社の二社があって、信州では諏訪氏が諏訪上社を守り、ライバル関係にあった小笠原氏が諏訪下社を応援することになります。

阿波の場合は、承久の乱で中山道の将として活躍していた信州の小笠原長清が六波羅奉行として京都に赴任して阿波守護の佐々木氏を滅ぼし、その子である小笠原長経が新甫地頭として赴任しています。阿波小笠原氏は室町時代には細川氏の配下として阿波・讃岐に土着し、三好・一宮・安宅・大西・十河などの苗字を名乗ります。戦国時代に一時期全国を支配する三好長慶はこの末裔です。徳島県・香川県には小笠原氏は広く土着しました。江戸時代には小笠原氏は徳川氏の姻戚にもなって5家の大名を輩出し、転封も多かったので全国に広がって活躍します。江戸初期には蜂須賀至鎮(よししげ)が徳川家康の養女で小笠原秀政(信州飯田藩・松本藩の藩主)の娘である氏姫(万姫・お虎、敬台院)を娶ります。その御蔭で、蜂須賀氏は徳川氏から特別に目を掛けてもらいます。至鎮が若死にしてからも敬台院は長生きし、自分の息子や孫の藩主のために、江戸城内で側面から阿波藩を支えました。

このように小笠原氏の歴史は、日本歴史の裏を知るには非常に重要ですから一度下のサイトをご覧下さい。私たちが今、儀式に使っている「のし袋」の形式は元々は「小笠原流礼法」の一つで、小笠原氏が日本全国に広がらなければ、絶対に定着しなかったものの一つです。各地の大名配下には必ず「小笠原流礼法」の専門家の武士がいました。貫名菘翁の実家もこのような礼法を教える武家でした。小笠原諸島も、小笠原氏によって発見されたためです。「そごう」百貨店の創始者である「十合」氏も、讃岐小笠原氏の「十河」氏が大阪に移住してできた苗字だと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%B0%8F

面白いのは、この神社の紋です。二つの鎌を合わせた模様が使われていますが、それがヒモで結ばれています。鎌は農業を進めた鉄器の代表ですが、鉄の生産と諏訪神社というのは極めて密接だという説があります。長野県の山奥では、諏訪神の神域を表す場所には巨木の高いところに鎌が刺されているそうです。諏訪神社の紋について調べました。

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諏訪神社には、梶紋と鎌紋という2つの神紋があります。梶はクワ科の落葉樹で、紙の原料にも用いられる植物です。古くから神聖な植物とされ、梶の皮の繊維でつくった布が神事に用いられるほか、葉自体もや神事でお供えものを感る食器の代わりに使われていました。また、諏訪神社には、鎌をかたどった神紋を用いているところもあります。鎌は古来、農耕の神様とされ、魔除けの力があるとして、神様への俸げものに用いられていました。諏訪大社は、平安時代の武人・坂上田村麻呂が蝦夷を平定する際、出陣の前に参拝していたことから、「日本第一大軍神」として武家の守護神とされました。源頼朝も諏訪神社を信仰していたといわれています。諏訪大社の分社である諏訪神社は、全国に1万社以上あり、主に武士の聞で信仰が広まりました。全国の諏訪神社の多くが梶や鎌の神紋を用い、諏訪信仰の武士の間に梶や鎌の家紋が広まりました。

この日は雨模様でしたが、桜は美しく咲いていました。

歴史を知りながら桜を見るのもいいものです。

 


士心庵

2015年03月29日 | 日記

3月29日(日)、雨の中、とくしまマルシェに出かけました。途中からかなり雨がひどくなりましたが、お客さんは結構出ていました。マルシェの東端のあたりでいつも開いている「士心庵」に寄ってみました。珍しい、手作り竹工芸の店です。ご夫婦で営業されているのでしょうか。

ここでの人気商品と思われるのが、竹製のブローチやストラップです。様々な動物をかたどった製品が、なかなかリアルで感心します。実は私の妻が、先月、徳島市の木工会館に売っていた、猫のブローチを購入したのですが、それを作ったのがこのお店の方だということが今日わかりました。

私の妻が気に入って、値段もそこそこしたのですが、どうしてもほしくなって買った製品が下の写真の品です。ネコの柔らかい動きや細かい猫の表情もよく表現しています。一点ものの商品で、この日に見せてもらったのも、すべて異なる姿勢でした。かなり高い技術です。

先日これを付けて街で買い物をしていたら、知らない女性の方に注目されて「どこで買ったのですか?」と聞かれたということです。かなり猫好きの方のようです。そんなわけで、この場でご紹介しました。徳島マルシェで購入できます。「猫さんブローチ」という商品です。今は本当に猫が流行っているようです。是非どうぞ。

 

 

 


阿波学事始め 公開講演会

2015年03月18日 | 日記

3月17日(火)、13:00~17:30、標記の会が実施されました。卒業式の快い疲れも残ったままですが、さらに充実した時間を送りました。「阿波学事始め」は四国大学が3年前から進めてきた学際的研究プロジェクトの一つで、ここの地元である阿波について様々な専門分野の教員が共同して研究し、それを地域の皆さんにも適宜発表していこうとするものです。私も含めたメンバー6名が、様々なテーマで共同研究しましたが、3年間をもって一応の区切りとなります。この日は、その研究内容の発表と、関連の講師を招聘しての講演会でした。最初に講演していただいたのは、國學院大学文学部教授の上山和雄先生です。その地元である東京都渋谷の研究である「渋谷学」の話でした。渋谷の歴史と共に、若者に人気のある現代の渋谷の文化についても興味深い研究がされていました。

次には、2年前に研究メンバー5名で訪問した高知県立坂本龍馬記念館の学芸員である三浦夏樹氏による、ジョン万次郎の紹介でした。彼とはその時にお会いしてお互いに覚えていました。万次郎の話を河田小龍が聞き取って絵入りで書いた『漂巽紀略』という本の紹介が主でしたが、パワーポイントを上手に使ってわかり易い発表をしてくださいました。

この後は、私と、萩原八郎先生、須藤茂樹先生が続けて、幕末の長尾初太郎のメキシコ漂流に関する概要とスペイン語と絵画の話をしました。これは、3年間メンバーが取り組んできた共同テーマです。四国大学図書館にこの漂流事件を記録した『亜墨漂流新話』と『亜墨竹枝』という本が所蔵されていることから始まったものです。最後にこの初太郎の現在の子孫の代表である長尾啓太郎氏のお話で締めくくりました。現在は、長尾産業株式会社監査役であるとともに徳島日本ポルトガル協会理事です。

初太郎の孫娘のカメと結婚した養子の伝蔵が徳島に出て興した「長尾染織工場」が発展し、戦前は徳島で最大の企業でした。さらにその娘婿の新九郎は、何度か欧米を訪問して国際感覚に優れ徳島市長となって活躍します。さらにそのお孫さんが啓太郎さんです。偶然起きた漂流によって幕末にメキシコに行ってホームステイして帰ってきたその経験は、子孫に「国際感覚」を植え付け、有能な人物を多く輩出しました。この出来事は全国的にはジョン万次郎ほどは広く知られていません。漂流先が英語圏のアメリカでなくスペイン語圏のメキシコであったし、漂流から帰国までの期間が圧倒的に短かったことがその要因ですが、徳島に与えた影響は実はかなり大きなものがあります。プロジェクトは今年度で一旦終了しますが、この研究に関しては個人的にまだ続けていこうと思っています。

 


卒業式 

2015年03月18日 | 日記

3月16日(月)、この日は卒業式でした。書道文化学科の学生24名が無事に巣立っていきました。それぞれ、美しく立派な晴れ着とスーツに身を包んで、りりしく、エネルギーに満ち溢れています。毎年のことですが、この日を迎えると一つの区切りがついたように感じてほっとします。

すべての人が異なる企業や、学校に進んでいきます。異なる道を歩き始めます。それぞれの道で活躍して、幸せになってくれることを祈り、また期待しています。


原田家住宅 蜂須賀桜

2015年03月15日 | 日記

3月15日(日)、午後に、徳島市かちどき橋3丁目の、古い武家屋敷「原田家住宅」に、蜂須賀桜を見に行きました。知人の齋藤酒造所から、チケットを頂いたからです。あいにくの大雨でしたが、桜はほぼ満開に美しく咲き誇っていました。写真ではわかりにくいのですが、この桜は山桜系の品種なので意外にピンク色が強く、花の咲く期間も長いのです。また早生品種ですので、ソメイヨシノよりもかなり早く咲きます。

先般、ゼミ生の工藤佳奈子さんが、題字を書かせて頂いたお酒のラベルに描かれていた絵のとおりでした。

中の座敷では、桜を鑑賞しながらの抹茶をごちそうになりました。大雨の中なのに大勢の皆さんが来ていました。地元ではとても有名ですが、マスコミでも紹介されているので、県外からも大勢来られていました。この桜は「蜂須賀桜と武家屋敷を守る会」のボランティア活動によって守られています。実は齋藤酒造所の御主人の齋藤尚武さんもその会員なのです。この日は、齋藤さんも、桜色の法被を着ながら駐車場整理の係をされていました。また、息子さんも、純米酒「蜂須賀櫻」を販売されていました。下の写真が若旦那です。

私も「蜂須賀櫻」を一本買って帰りました。花期が長いので、桜はまだしばらく楽しめます。