ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

書道文化学会 第10回春季講演会

2014年05月25日 | インポート

Awaseishi5月25日(日)、13:00~16:00、四国大学 文学館205教室で、四国大学書道文化学会 第10回春季講演会が実施されました。

今回は、まずは、阿波製紙株式会社経営企画室の岡澤智さん・犬伏孝典さんのお二人に「紙の可能性を追求して」と題して、阿波製紙の企業の活動や、最新の紙製品についてご講演を頂きました。お話は主として岡澤さんが担当され、犬伏さんがパワーポイントの資料作成や放映を担当されました。

近くにある企業ですが、世界最高水準の「機能紙」を作っています。たとえば、自動車のエアフィルター・燃料フィルター・オイルフィルターの中に入っている紙です。クラッチ板の間に置かれ、摩擦や熱を調整する紙もここで作っています。私が運転する車にもこの会社の紙がたくさん使われていることに驚きました。

また、排水を濾して浄化した水を作る機械の「濾紙」を作っています。これによって海水も真水に換えることができるし、宇宙船の中のおしっこを真水に換えることまでできます。今後、発展途上国での飲料水確保に大きく貢献することになるだろうとのことでした。詳しくは下記の阿波製紙(株)のホームページをご覧ください。http://www.awapaper.co.jp/

紙は前漢時代の中国の発明品ですが、それが今や、人類の最高文明を支えるものの一部にもなっているわけです。たいへん参考になり、またそのような素晴らしい活動をしている企業がすぐ近くにあることを誇りに思いました。

Yoshimoto1次の講演は、私が「三木氏先世遺徳碑」について行ないました。お忙しい中にも拘わらず、三木家本店執事の上田さん、フジゲンの喜根井さん、淡路島の益習の集いの三宅さん・川村さんも、来てくださって感激しました。

最後は、本学の卒業生で、高知県土佐清水市で書道デザインや、ユルキャラを使った町おこしの地域活動に取り組んでおられる吉本みちさんのお話でした。題名は「地域に根ざした書作活動」です。

土佐清水市の名産品に「宗田鰹」のかつおぶしがありますが、この出汁醤油のボトルラベルを書で書いたり、街の祭りである「天神祭」の山車の看板を書いたりされているうちに、市民活動の一つとしてユルキャラを考案することになったそうです。下記のサイトは宗田節しょうゆの製品ですが、このラベルの書を吉本さんが書かれています。NHKの「あさイチ」という番組でも紹介されたそうです。ビン中に宗田節だけが入っていて、醤油は買った人が好きな醤油を注入して使うという発想がいいですね。http://item.rakuten.co.jp/tosachinmi/soudabushi-bin/

Soudabusshi そこで、吉本さんが考えたユルキャラが「宗田ブッシー君」だそうです。実際に被り物も制作済みで、本物のユルキャラも会場に特別出演しました。これは「宗田ブッシー君」の「お遍路さんバージョン」だそうです。今回、講演で徳島に来られるついでに、このユルキャラで、1番・2番札所を巡礼されてきて、参詣者に大人気だったそうです。

Yosimoto3 書道作品の創作に慣れてくると、このようなデザインセンスも確実に上がっていくことを証明してくださいました。書道の技術だけでなく、その「精神」を町おこしに活用されているところが、とても素晴らしいと思いました。

この日は様々な種類のお話があって、参加した学生や地域の皆さんも大喜びでした。とても勉強になるとともに、楽しめる講演会でした。


普門品碑

2014年05月24日 | インポート

Unnjou25月24日(土)、朝6時から松茂町の中喜来観音堂に行きました。家から車で15分程度かかります。この境内に11世三木與吉郎順治の書いた「普門品碑」の拓本を採るためです。三木家には既に採拓許可を頂いています。

数日前に、半分だけ苔落としを済ませて、下部のみの拓本を採ろうとしたのですが、あまりの強風で紙が破れて失敗したので、再チャレンジです。

Unnjou1この石碑は巨大です。下部に貼り付けて拓本を採った直後の写真ですが、この紙が「大画箋」で、ちょうどべニア板の大きさです。

この作業だけでたっぷり2時間半かかりました。

朝方に行なうのは、日光がまだ強くなく、気温も低いからです。この季節になると昼間は暑いので、水分がすぐになくなってしまいます。

9時までに作業は終わって家に帰りました。

明日は、書道文化学会で、「三木氏先世遺徳碑」のことに関する発表をしますが、その際にこの「普門品碑」の文字も見ていただきたいので、拓本を採ったのです。本当に素晴らしい書です。三木雲城は書家としても高い実力の持ち主です。

いずれは、この上部も拓本を採る予定ですが、そのためにはあと3回来る必要がありそうです。石碑が巨大になると、なかなか労力が大きいです。

 


石井町 童学寺

2014年05月17日 | インポート

Dogakuji15月17日(土)、午前中に石井町の童学寺に拓本採取に行きました。

この山門は、人間の顔を思わせるユニークな建物です。

弘法大師空海が、7~15歳までここで仏教や書道を学んでいたという伝承があって、童学寺という名前がついています。いろは歌もここで考えられたといいますが、その証拠はなく、あくまでも伝承です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E5%AD%A6%E5%AF%BA

日本各地に残る弘法伝説は、必ずしも平安初期の空海自身のものとは限らず、その弟子や、後世の真言僧の中で、有力な方が「弘法大師の生まれ変わり」と言われた事例がよくあり、そのような方の伝承がDogakuji4空海のものと混ざっていることが多いのです。これもそのような伝承の一つだと思いますが、ここに素晴らしい石碑があります。

この場所の水の不便なことを悲しんだ幼少期の空海が、岩の割れ目に筆を差し込むと、そこから泉が湧き出したというものです。現在はそれが美しい池になり、大きな鯉が泳いでいて、庭も整備されています。

Dogakuji2_2 その岩からは今も美しい水が湧き出ていて、その脇に石碑が建てられています。お水を飲んでみましたが、ほのかに甘みのある美味しい水でした。お寺では、小さなお茶用パックに入れておいてあり、100円でお土産用に求めることができます。珈琲にして飲んでも美味しそうですし、硯でこの水を墨を磨って作品を書いたら、書もうまくなるでしょう。

この碑は幕末の安政5年(1858)に建てられ、昌平黌の先生だった安積艮斎が撰文し、越後出身の書家、中澤雪城が題額と本文の両方を書いています。

実は、来週25日(日)の書道文化学会で発表する三木家の11世、三木順治の書道の師匠が中澤雪城なのです。その際に紹介する資料としてこの碑の拓本が必要になったのです。若住職、塩田龍澄さんも、親切に対応して下さいました。この碑は砂岩でできていて、下の方の文字は少し崩れてきています。石碑も150年を過ぎると、石質によっては傷んできます。文字の見えているうちに拓本に採っておくことが大切です。かろうじてすべての文字が残っていて、なんとか判読できました。

Dogakuji3 なお、このお寺の小さな御堂には、貫名菘翁書の扁額も懸けられています。高級な木材を使った木目の美しい板に、上品な楷書で書かれた名品だと思いますので、紹介しておきます。

ここは「四国別格二十霊場」の一つでもある名刹で、参拝者もひっきりなしに訪れていて、お遍路の方がこの泉の前で真言を唱えていました。このお水を飲むだけでもご利益があると思います。ぜひご参拝ください。


松茂町 不動院

2014年05月11日 | インポート

Hudouinn15月11日(日)、午前中、板野郡松茂町広島の不動院に採拓に行きました。

2週間後に、四国大学書道文化学会で、発表をしますが、そのための資料収集です。2日前に、お寺の方にはご挨拶を済ませ、許可を頂いております。

Hudouinn2最初に、「篠賀氏墓表」に取り組みました。

これは、三木順治(号は雲城)の書によるもので、また、題額が勝海舟の書です。

長いこと拓本が採られていなかったようで、苔がびっしり生えて、苔落としだけで30分以上かかりました。西南戦争戦没者の慰霊碑で明治16年に書かれたものです。この時、順治48歳、非常に美しい筆致です。三木順治は書家としてかなりの腕の持ち主だったことがわかります。

次に、この墓地のあった日下家の墓碑の採拓を行ないました。

Hudouinn3この墓碑の題字を日下部鳴鶴が書いています。

墓銘は徳島出身で、鳴鶴門下である桑山兼山(1854~1922)が書いています。兼山は徳島師範学校で書を教えていましたが、のちに大阪に出て、天王寺師範学校で教え、退職後は大阪で書家として活躍しました。門下に辻本史邑がいます。

天気がよく、きれいに仕上がりました。

実は、明日は、オープンカレッジの特別授業で、眉山の北側である大滝山で拓本講習会を行ないます。

拓本の仕事が続きます。

 

 


淡路調査

2014年05月10日 | インポート

5月10日(土)、淡路島に2件の調査に 行きました。

まず第1は、洲本市中央公民館で行われている「庚午事変」パネル展です。徳島新聞に大きく紹介されていたので、興味を惹かれました。

徳島に移住以来、明治3年に起きたこの事件は最も気になっていることの一つです。

淡路島は江戸時代は徳島藩だったのですが、明治3年の廃藩置県の折に、淡路島が淡路県として独立しようとし、それを阻止しようとした徳島藩士が淡路の中心施設を大砲や鉄砲で攻撃し、一般民衆を十数名殺害し、家を数件破壊した事件です。

Awaji1れによって、徳島藩側は優秀な藩士が多く死罪・禁固・遠島刑になり、淡路側は北海道静内へ屯田兵として移住させられるということになり、これがきっかけで二つの地域に溝ができて、結局、淡路島は兵庫県に移管されることになったわけです。

Awaji2この事件は、かつてNHKドラマ「お登勢」や、映画「北の零年」などで大きく扱われましたが、現在は風化しつつあります。再度これを見直して、歴史を再考するとともに、観光資源としても活用しようというものです。

実際、現在でも移住先の北海道の人たちにとっては、まさしくルーツそのものに関わることで、現在も関心は高く、よくツアーで淡路や徳島を訪問される方は多いです。

写真の皆さんは、昨年6月に発足した「益習の集い」の皆さんで、今回のパネル展の主催者です。熱意あふれる説明を頂き、感激しました。「益習」とは、淡路領主の稲田氏の私設学校「益習館」の名前からとりました。この学校の賓師(客員教授)として、大阪から定期的に淡路に教えに来ていたのが、私が以前から調べている篠崎小竹という儒学者です。この学校の庭は素晴らしい造りで、中央公民館の隣にあります。現在は荒れていますが、洲本市では数千万円の予算をかけて、これをこれをリニューアルする工事を初めているそうです。

これに関連する遺跡や石碑は徳島にもたくさんありますので、両方が協力しながら進めていくのが、この事件の犠牲者の供養にもなることだと思います。今後、私のお手伝いできることはしたいと思っていまAwaji3_2す。

次に行ったのが、南あわじ市神代の延命寺です。

このお寺には、篠崎小竹の弟子で、幕末に活躍した沼田存庵の書いた屏風作品が保管されています。その写真を撮らせていただきました。

その後、ご住職に沼田家の墓地にご案内頂きました。雲一つない快晴の中で一人汗ばみながら、存庵の弟の沼田苔堂の墓碑の拓本を採りました。長いこと拓本が採られていなかった古い墓碑ですので、苔がびっしりついていてブラシでこするのがなかなか大変でした。でもきれいに採拓できました。

気候が猛暑になる前に、資料収集をなるべ進めるため、休日は稼ぎ時です。明日の午前中は、松茂町で採拓に取り組みます。