4月27日(日)午後、高松市香南町の香南歴史民俗郷土館で行われている城山祭に行ってきました。
この博物館とはもう数年来のお付き合いで、様々な資料の写真をお借りしたり、作品の解読をしたり、講演をさせて頂いたりしています。なお、現在の学芸員をされている杉山有美さんは、本学の書道コースの卒業生です。
この場所には南北朝時代から「由佐城」という古城があったそうで、現在はそれにちなんだ城を再現していて遠くからでも目立ちます。建築は江戸時代の形式に直していますが、たいへん美しい建物です。
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/kounan/index.htm
先週に引き続き、ここでは田山先生の講演会がありました。本当にエネルギッシュな先生です。
演題は「城山と鼇山」というものです。
藤澤東畡の恩師で、古文辞学の有名な学者であった中山城山とその優秀な息子の中山鼇山のお話でした。中山鼇山は篠崎小竹とも親友同士でしたが、残念ながら27歳で病没し、将来を期待していた城山は随分落胆して、しばらく京都・大阪に傷心旅行に出ていたほどです。
今回は、この鼇山の肖像画も展示されていました。 聡明そうな顔をした若者です。
彼は早熟で、既に10歳ごろから立派な漢詩を自作して周囲を驚かし、20歳ごろには京都の醍醐寺などで学問の講義をしたということです。『鼇山文集』全4巻が残されています。(藤澤東畡の編集)長生きしていれば、東畡に負けない大きな業績を残したと思われます。
田山先生によれば、この地には江戸時代に、「香南由佐文化ゾーン」ともいえるような、高いレベルの集団が存在したとのことです。藤澤東畡もこのゾーンから出発し、のちに大阪に出て泊園書院を建てて大成功を収めます。この日は、この親子の他にも、城山のライバル的存在であった由佐の菊池高洲に関する説明もありました。高洲は藩に認められて後に高松市中心部に移転し、多くの門人を育てます。城山は高洲と競い合っていましたが、互いの学問の力は認め合っていたようです。
祭りは5月25日までで、会場には石碑拓本や、ゆかりの門人の書作品、書籍なども展示され、たいへん興味深いです。藤澤南岳や片山冲堂の作品は私が解読しています。ぜひご覧ください。
私が徳島から行く時は、徳島自動車道で脇町インターまで行って、あとは峠を越えて高松空港方面に進み、少し行けばこの博物館です。帰りには峠の塩江温泉の日帰り入浴施設で一風呂浴びます。山の新緑が美しいコースです。