ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

城山祭 

2014年04月28日 | インポート

Yusa4月27日(日)午後、高松市香南町の香南歴史民俗郷土館で行われている城山祭に行ってきました。

この博物館とはもう数年来のお付き合いで、様々な資料の写真をお借りしたり、作品の解読をしたり、講演をさせて頂いたりしています。なお、現在の学芸員をされている杉山有美さんは、本学の書道コースの卒業生です。

この場所には南北朝時代から「由佐城」という古城があったそうで、現在はそれにちなんだ城を再現していて遠くからでも目立ちます。建築は江戸時代の形式に直していますが、たいへん美しい建物です。

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/kounan/index.htm

Tayama先週に引き続き、ここでは田山先生の講演会がありました。本当にエネルギッシュな先生です。

演題は「城山と鼇山」というものです。 藤澤東畡の恩師で、古文辞学の有名な学者であった中山城山とその優秀な息子の中山鼇山のお話でした。中山鼇山は篠崎小竹とGohzanも親友同士でしたが、残念ながら27歳で病没し、将来を期待していた城山は随分落胆して、しばらく京都・大阪に傷心旅行に出ていたほどです。

今回は、この鼇山の肖像画も展示されていました。 聡明そうな顔をした若者です。

彼は早熟で、既に10歳ごろから立派な漢詩を自作して周囲を驚かし、20歳ごろには京都の醍醐寺などで学問の講義をしたということです。『鼇山文集』全4巻が残されています。(藤澤東畡の編集)長生きしていれば、東畡に負けない大きな業績を残したと思われます。

田山先生によれば、この地には江戸時代に、「香南由佐文化ゾーン」ともいえるような、高いレベルの集団が存在したとのことです。藤澤東畡もこのゾーンから出発し、のちに大阪に出て泊園書院を建てて大成功を収めます。この日は、この親子の他にも、城山のライバル的存在であった由佐の菊池高洲に関する説明もありました。高洲は藩に認められて後に高松市中心部に移転し、多くの門人を育てます。城山は高洲と競い合っていましたが、互いの学問の力は認め合っていたようです。

祭りは5月25日までで、会場には石碑拓本や、ゆかりの門人の書作品、書籍なども展示され、たいへん興味深いです。藤澤南岳や片山冲堂の作品は私が解読しています。ぜひご覧ください。

私が徳島から行く時は、徳島自動車道で脇町インターまで行って、あとは峠を越えて高松空港方面に進み、少し行けばこの博物館です。帰りには峠の塩江温泉の日帰り入浴施設で一風呂浴びます。山の新緑が美しいコースです。


とくしまマルシェ

2014年04月27日 | インポート

Marushe14月27日(日)、毎月第4日曜日は 徳島市中心部の新町川沿いで、とくしまマルシェが行なわれます。

ゴールデンウィークの2日目となりポカポカ陽気となったこの日は、人出も多く、カヌーに乗っている観光客もいました。

川の両岸には、多くの店が出て野菜・果物・パン・加工食品や手作り小物などを販売しています。

午前中にここに行って、野菜・シイタケ・梅干しを買いました。ここで売っている「じいじのシイタケ」が絶品なのは、今年の2月のブログでもご紹介したかと思います。


藤の花

2014年04月26日 | インポート

Fuji_14月26日(土)、午後、大滝山の滝の焼餅「和田の屋」さんに行きました。ここは、4年前から、時々訪れている大好きなお店です。

この店の前には駐車場が少ないので、近くの天理教寺院の奥の駐車場をお店では借りていて、客は駐めることができます。

Fuji_2この駐車場のある場所は、明治時代に迎賓館があった場所で、隅にある壊れたレンガ作りの倉庫のような廃屋は、初代の県知事、井上高格が客をビリヤードでもてなした3階建ての洋風建築だったそうです。この建物は基礎はしっかり残っていますので、もし当時の形で再現したら徳島の新名所になることでしょう。

和田の屋の社長さんのお話では、幕末の慶応3年(1867)8月に英国公使ハリー・パークスと、書記官アーネスト・サトウが、長崎で起きたイカルス号水夫殺害事件の調査で大阪から土佐・長崎に船で向かう途中に徳島に立ち寄り、当時の藩主蜂須賀斉裕が彼らをもてなした場所は、徳島城以外では、二軒屋の観音寺と、もう一つは持明院だったということです。サトウの日記には、「練兵場からの帰途、見晴らしの良い丘の上の寺で昼食をごちそうになった。」と書かれているので、おそらくはこれが大滝山の持明院と思われます。徳島が昭和20年に空襲で焼ける前までは、滝の焼餅の少し上に見晴らしのよい料亭があったそうですから、実際の食事はそこでしたでしょう。二人の重要なイギリス人については下記をご覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A6

この時、斉裕は、サトウに「自分は隠居してイギリスに行くつもりだ」と述べたといいます。残念ながら約半年後の慶応4年(1868)1月に斉裕は亡くなり、この夢を果たさずに終わります。その年の秋から明治元年となりますので、人生はままならないものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E6%96%89%E8%A3%95

この前の森は、当時の持明院の庭園のなれのはてで、自然のままの山ではなくて実は銘木が植えられています。今日、たいへん美しく咲いていたこの藤の木も、おそらく当時に植えられて、Kyokusui野生化したものでしょう。この大きな房は、野生種ではなく、明らかに栽培種です。パークスやサトウが来た時は8月ですから藤は咲いていませんが、この山の美しい景色を眺めたことでしょうし、食事の後にこの庭園も鑑賞したのではないかと思います。

藤の木の下には、楓が植えられています。緑の楓も美しいです。

さらにその下には、清らかな水路があって、石の橋が渡されています。よく見ると、この水路は、書道作品の「蘭亭序」に登場する「曲水」そのものなのです。

かつてはここで「流觴曲水」の遊びが行なわれたはずです。 水路の周りに文人が座って、酒を飲みながら漢詩や和歌を詠みあうのです。この水路は湧水が流れているようで、清ら かで、またカワニナが住んでいますので、おそらく蛍も発生するでしょう。秋には楓が紅葉して美しいはずです。

極めて美しい日本庭園です。ここは、今はあまり注目されていませんが、徳島城庭園に並んで徳島を代表した名園の名残の場所です。一度ご覧くださいませ。


学生GP活動発表会

2014年04月22日 | インポート

Gp4月22日(火)、15時~、四国大学で学生GP活動の発表会がありました。会場は約200名の参加者でいっぱいでした。理事長・学長をはじめとする大学の中枢の方や、マスコミの方も参加されていました。

昨年度、学生GPコンテストで採用された10チームのうち、8チームが5~10分ずつの発表をしました。

Gp2書道文化学科の有志グループ「書彩」の発表は、3年生の神農藍里さんがパワーポイントを使ってしてくれました。本来はグループの代表者だった藤井宏くんがすべきことですが、既に卒業して就職もしていますので、この発表会への参加は無理です。昨年は2年生で、グループの一員として、いくつかの活動にも参加してくれた神農さんが、今年のグループ代表を務めていますので、発表もお願いしました。

発表してくれたのは、このブログでも何度も紹介している様々な活動です。

写真は、ウッドアイビスの布看板の様子です。

Gp3発表は約5分で終わりました。神農さんは緊張したそぶりも見せず、堂々と行なってくれました。こういう経験を積み重ねていくことが学生の良い勉強になります。

他のグループの発表も興味深いものでした。右は、音楽科の「出前ライブ」の発表です。県内の様々なイベントでの様子を、動画も交えて見せていました。これは良い方法です。

8つの発表の後は、今年度のGPの説明がありました。学生たちは今年もこのGPに応募していく予定のようです。このコンテストで採用されますと、多額の補助をいただくことができます。ぜひまた様々なことに挑戦してほしいと思っています。

 


後藤芝山 232年祭

2014年04月20日 | インポート

Sekitenn4月20日(日)、高松市の中野天満宮で行なわれた、後藤芝山祭に行ってきました。今年で、後藤芝山が没してから232年目になります。

午前10時から釈奠(せきてん)の儀式が行なわれました。神主さまによる祝詞のあと、10名程の来客が一人ずつ二拝二拍手一拝の礼をしました。私もさせていただきました。

Tayama11時からは、英明高校の田山泰三先生による講演会でした。題名は「後藤芝山先生と藩校講道館」。後藤芝山先生の功績と、高松藩校の講道館に関するお話でした。

今回のお話は2ヶ月前から準備されたそうで、講演としてはほぼ完璧ともいえる素晴らしいものでした。

たいへんわかりやすかったし、笑いの要素や感動する面も入れて、よく計画されていました。さすがです。実は田山先生は私と同じ年齢ですが、私の尊敬している先生の一人です。

Renngakai_2

昼食のあとは、恒例の後藤芝山先生追悼連歌会です。この連歌会は、後藤伸雄会長の高校時代の後輩で、芥川賞作家で有名な「高城修三」氏が宗匠を務める会で、私は4回目の参加です。

この宗匠はたいへん厳しいことで有名ですが、連歌会というのは滅多に出られないので、ある意味貴重な時間です。

様々なテーマや季節の条件が設定される中で、575、77、575、77、・・・と、すぐ前の部分に関連するところから発展させて句をつなげていく、言葉の遊びです。江戸時代はたいへん盛んで、村々でもお祭りなどで行われていたようです。私の実家が檀家である寺院にも、その連歌会の内容を記録した額が掛かっています。この連歌の最初の「発句」が独立したのが、俗に「俳句」と呼ばれるものです。

メンバーの中で句の思いついた人から挙手して発表していくのですが、宗匠が良いと認めて初めて採用されます。チャンスは18回ほどあるのですが、複数回採用される人もいれば、一句も採用されない人もいます。条件に合わなかったり、言葉の使い方が少しでも悪いと、折角発表しても採用してもらえません。

今年の全体テーマは「いにしえを」でした。この日の参加者は20名弱でした。

昨年は、私の句は2句採用されましたが、今年は、なかなか最後の言葉が浮かばず、宗匠に助けてもらいながらようやく1句採用されました。会は1時~4時まで、約3時間かかりました。

終った後は少し疲れましたが、充実した気持ちで帰りました。年に1回はこのような頭の体操も、刺激になってよいと思います。私たちの先祖はなかなか知的な遊びを考えたものです。