ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

中山鼇山没後200年祭 講演会

2015年07月26日 | 日記

7月26日(日)、朝から標記の会に参加するために香川県高松市香南町に行ってきました。朝からすごい快晴で、9時半の時点で焼けるような暑さの中、まずは古川の近くにある中山家墓所に墓参しました。大阪の関西大学からも泊園記念会の薮田先生、吾妻先生、ジェレミー君らがいらっしゃいました。墓参のあとに薮田先生のご挨拶をお聞きしました。

先生のご挨拶を聞いて、墓地に植えてある木が「栴檀」という名だということを初めて知りました。「栴檀は双葉より芳し」というので、墓所によく植えられる木だといいます。詳しくは下記サイトをご覧下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%B3

講演会には熱心な聴衆の方が30人以上、来ていただきました。そのあと、会場で展示してあった作品の列品解説もしました。中山鼇山の肖像画は以前にこのブログで紹介したことがありますが、今回の展示会では、もう一種類の肖像画が展示されていました。中山家に長いこと保管されていたものです。鼇山のさらに若い頃の画像のようです。月代を剃っていません。現代的なハンサムな男性です。机の上には、三墳五典と書かれた本が置かれています。三墳は三皇の書、五典は五帝の書。三皇・五帝は古代中国の神話伝説時代の8人の帝王。中国の古代の書物のことです。秦の始皇帝が焼いた書物が「三墳五典」です。古文辞学者であったことを強調しているのだと思います。

食事後に、高松市塩江町安原の藤澤東畡頌徳碑を大勢で見学に行きました。関西大学同窓会香川支部や藤澤氏顕彰会の皆さんです。

暑い中で30分ほど協議したので、だいぶ日焼けしました。このあと、全員で旧安原小学校に移動し、さらに協議の後、自宅に戻りました。盛夏の中の慰霊祭となりました。中山家や藤澤家の霊の皆さんも喜んで頂けたと思います。


ウォーレン先生への書道指導

2015年07月24日 | 日記

7月23日(木)、放課後に、ウォーレン先生への書道指導の第2弾を行ないました。授業者は、ゼミ生の加守真実さんです。第2弾は、ひらがなと漢字の熟語がテーマです。生徒役の協力者として、郡彩佳さんも参加してくれました。最初にひらがなの成り立ちを簡単に説明した後に、かんたんなひらがなの連語を書きます。下の写真は「うみ」と書いているところです。

書かせる前には、必ず指導者が書いているところを見せます。ウォーレン先生も真剣に見学しています。加守さんは、外国人への指導は既に3回目で、雰囲気にも慣れてきて英語も上手に使っていました。ほとんどの英文会話は先生にも通じていました。

最後に黒板に彼の作品をすべて貼り付けて、写真を撮りました。好きな言葉を選んで書くひらがな作品については、彼は「とんぼ」を選びました。なぜとんぼなのかと、学生の中では話題になりましたが、後で本人に聞いたら、生物の中でトンボの造形が最も好きなのだそうです。「四国大学」の文字は苦戦していましたが、記念になるので敢えて書いてもらいました。出来上がった作品に印を押してから、レザックの台紙に貼り付けると、たいへん美しく仕上がって見えます。

ウォーレン先生の授業は7月いっぱいで終わりで、8月13日ごろには帰国されるそうです。書道が日本の生活の良い思い出になったと言ってくださいました。この日の参加者3名でも一緒に撮りました。学生にとっても良い勉強の機会でした。

 

 


うみがめまつり 書道パフォーマンス 映像

2015年07月24日 | 日記

7月24日(金)、四国大学スーパーサテライトオフィス南地区コーディネーターの久米さんから、先般7月18日の夕方18:30~19:00に行なわれた「うみがめまつり」の書道パフォーマンスの写真を送って頂きましたので、いくつか紹介します。日和佐の中心部の道路上で行なわれたものです。

最初は、ウミガメの絵と甲骨文をあしらってみたそうです。

次の作品は、地の部分を墨で塗って、色を使って文字を書いた作品です。背景にまつりの「花火」も表現しています。

参加した学生の勢ぞろいです。書道クラブの学生9名が活躍しました。衣装も、自分たちで考えて揃えました。色合いがいいですね。

 

観覧者はそれほど多くは無かったようですが、たいへん楽しんでいただいたとのことです。徳島のローカルTVであるテレビトクシマの「たまたま金曜日」という番組の取材も来ていて、その内に放映になるということです。


関西大学シンポジウム

2015年07月19日 | 日記

7月18日(土)、三連休の初日です。関西大学で「文化交渉学のパースペクティブ」と題したシンポジウムが開催されたので、1日だけ日帰りで参加してきました。香川県の先生方2名と同乗して、大阪府吹田市まで自家用車で往復しました。途中まではすいすい行きましたが、さすがに宝塚市から池田市のあたりで渋滞にひっかかり、予定より30分ほど遅れて到着しました。発表は既に始まっていて、書論研究会会長の杉村邦彦先生も参加されていました。

文化というのは一国だけで進化するのではなく、他国との交渉の中で様々な影響を受けていくことが多いのです。木村蒹葭堂や青木繁の絵画、林泰輔の学問に関する考察など、興味深い発表がそれぞれ関西大学の研究者からありました。

この会に参加したのは、泊園書院に関する発表があったからです。江戸時代末期に藤澤東畡が高松から大阪に行って作った私塾が泊園塾です。16:10~16:50、泊園記念会の長である吾妻重二先生から、「近代学制の中の泊園書院」という題で、維新以降の泊園塾が長期間にわたって小学校や各種学校扱いだったことを報告されました。

明治維新以降、日本の学校制度は洋学中心に展開し、それまで大きな勢力を持っていた漢学は辛酸をなめました。学制の中では、純粋な漢学塾は正式な学校に扱ってもらえなかったということです。一時期は塾生も減って存続の危機もあったようですが、貧しいながら学問に志す若者たちの熱意で存続し、最終的にはその蔵書のほとんどが法律学校であった関西大学に寄付されて、その流れを現在に受け継いでいるわけです。

この後は、昨年の講演会で関西大学で知り合った若手研究者の横山俊一郎氏の研究発表がありました。「泊園書院の教育と明治・大正期の実業家」と題し、これまであまり知られていなかった泊園書院出身の実業家を紹介されました。

泊園書院は、近現代の産業界を担う企業の創業者を多く輩出しています。その基本が藤澤南岳の唱道する漢学の「三事」(厚生・利用・生徳)にあったと述べられ、学制の中では抑圧されてしまった漢学の基本精神は、現代の企業活動の中で生かされていることがよくわかりました。今日の学校教育内の価値観と企業活動での価値観の断裂はここに原因があるのかもしれません。

この日は会の途中で図書館にもご案内いただき、院生のウッド・ジェレミー氏から、『中庸解』の本に遺された中山城山・鼇山の書き込みの数々を見せていただきました。来週、高松市で行なう講演のための重要な資料です。ウッド氏はオーストラリア出身の研究者ですが、日本語・漢学に堪能な32歳。もともとオーストラリアで経済学を勉強していたのが、日本にきて漢学の思想に興味をもって研究しているそうです。いまやほとんどの日本人が読めなくなってしまった漢文をすらすら読まれます。こういう優秀な研究者とお会いできることも、学会の面白さです。研究発表が終わった後は、1時間ほど懇親会にも参加させていただきました。

7月26日(日)の10:30~11:30、高松市香南歴史民俗郷土館で、中山鼇山に関する講演と、列品解説をさせていただきます。近くの方はお出かけ下さい。吾妻先生やウッド氏も大阪から来て下さるとのことです。

 

 


うみがめまつり 書道パフォーマンス 練習中

2015年07月16日 | 日記

7月15日(水)、夕方、書道文化館1F教室で、書道クラブのメンバー9名が、書道パフォーマンスの練習に取り組んでいました。これは、今週末、7月18日(土)、夕方に徳島県美波町で行なわれる「うみがめまつり」の出演を依頼されたためです。詳しくは下記のサイトをご覧下さい。出演は18:30~19:00頃です。

http://www.minami-kankou.com/event2/archives/40

趣向を凝らした2作品を披露する予定です。みな真剣に練習していました。

この日は、美波町から20人乗りのバスが送迎してくれますし、私は大阪の学会に出席しますので、同行はしません。学生だけで充分にできる時は、すべて学生に任せることにしています。

台風が近づいていますので、天候が多少心配ですが、予報では台風は18日には通り過ぎて、徳島県は曇りの予定です。もし、万が一大雨の場合は翌日に順延とのことです。祭りのフィナーレには、大花火大会も予定されています。ぜひお出かけ下さい。写真は、四国大学スーパーサテライトオフィス南部地区の久米さんが担当し、送って下さることになっています。それを頂いたらまた紹介いたします。