6月12日(木)、午後すぐに大学を出て、約2時間かけて徳島県海部郡海陽町の宍喰中学校に行きました。
ここで今、ゼミ学生の長岡亜衣梨さんが教育実習をしています。ここが母校だからです。毎年この時期には、各地で行われている教育実習校に、大学の教員が分担してご挨拶にいくことになっています。
校長先生と少しお話した後に15分程度の授業参観をしました。1年生
の国語の授業でした。
生徒は1クラスだけで、生徒数は20名弱、ここは小規模校で、とても落ち着いた雰囲気でした。
生徒も集中して、発言も適度にするし、先生の問いにも真剣に答えます。長岡さんもリラックスした雰囲気で、授業を進めていました。自分の実家の近所の家の見知った子供たちだということです。時折、アニメの話なども織り交ぜながら、和気あいあいという感じでした。
授業途中に、教室のすぐ近くで鶯が何度か大きな声で鳴きました、本当に素晴らしい自然環境の学校です。
ここは、南海地震の際の津波の危険がある地域ですので、校内には、津波の際の避難に関する注意書きがたくさん貼られていました。でも、教育がしっかり行き届いた学校ですので、もし万が一の危険の際にも避難もスムーズにできそうです。
授業途中で長岡さんに目礼をして帰りました。国語の担当の先生とも話しましたが、いつも元気いっぱいで、明るく過ごしているそうですので、安心して、学校を後にしました。
彼女の実習は20日まで。あと一週間です。学生たちは少しずつ壁を乗り越えて、たくましくなっていくように思います。
帰宅後に、改めて宍喰について歴史を調べてみたら、かなり面白いことに気づきました。古代には大和政権から皇族の鷲住王がここに派遣されて支配し、鎌倉時代から「海部刀」と言われる優れた日本刀の生産が始まり、それによって宋や高麗との交易を行うほどになり、また大阪夏の陣で蜂須賀軍の侍たちがこの刀を使って大活躍したことから、以後、全国的に大人気となったそうです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8D%E5%96%B0%E7%94%BA
「海部郡」の名前のとおり、ここも昔から「海人族」の住んだ地域だったことがわかります。「宍喰」(ししくい)の地名は元は「葦食」(あしくい)・・・「葦の仲間の植物である稲を食べる住民」から起きた名で、つまりは、初期稲作地帯であることを示しています。大元は、縄文時代末期に大陸から船で稲作技術を持って渡ってきた民族の末裔ということになるでしょう。そのころはまだ稲を食べる人がほとんどいなかったからこそ、この地名が残ったわけです。優良な食物生産技術を持つ先進地域だったからこそ、大和政権はわざわざ皇族を派遣して支配する必要があったのでしょう。住民たちは本質的に国際的・先進的な感覚を持っていた人々です。プロゴルファーの尾崎三兄弟もこの町の出身なのですね。
長岡さんにもそのような地域の歴史の影響は、確実に受け継がれているように思います。
往復の道路沿いの海の景色は本当に美しかったです。