「いじめ」で自殺者が続出している。やりきれない気持ちになる。
死んで花実が咲くものか。
無理にバカ共の相手なんかしなくていいのだ。イヤなヤツと顔を合わす必要はないのだ。
怯えつつ、学校にとぼとぼ出かける義務なんか、誰にも、ない。
学校なんてちっぽけな世界から、ほんの半歩でも踏み出せば、楽しいことはいくらでもあるし、素敵な出会いだってあるのだ。
むしろ、学校の外が現実の社会なのだ。学校は、コップの中に過ぎない。
学校からほんの少し出れば、きっと、自分を解ってくれるヒトと出会うことができる。
ま、社会には、バカも大勢いるが、無視して構わない。そういうルールだ。
むしろ、くだらない学校教育から抜け出して好きなことをやってみよう。
機械いじりでも、マンガ書くでも、散歩してソレをブログに書くでも、ナンパするでも、外人見つけて話しかけてみるでも、自転車で旅に出るでも、何でもイイ。
それこそ、吾身を忘れて取り組みたいコトだってみつかると思うのだ。
見つかるまで、何でもやってみればイイ。
自殺することに比較すれば、時間は、いくらでもある。
死んで花実が咲くものか。
そもそも。
コドモはコドモらしさの一部として、残酷さをも持ち合わせているのだ。
ただの親でしかないオレさえそう思うのだから、教育者はもっとソレを知っているはずだと思う。
教育者が自らソレを自認するなら、バカPTAを跳ね返してイジメ行為を撲滅すべく闘うべきだ。
そう、教育者諸君。コレは闘いなのだ。
オトナ共のイジメで、連鎖的に教育関係者が自殺しているケースも散見している。
オトナこそ、イジメを止めろ。
大人の世界では「死にたいヤツは勝手に死ね」なのかも知れないし、勝手に死ねばいいとも思う。
ただ、この一連の自殺者は殺人の被害者に等しいとも思う。家族はやりきれない上に、ムシンケイな報道によってさらに追い込まれているのではないかと思う。
死んで花実が咲くものか。
もう一度、唱えるように、呟け。
死んで花実が咲くものか。