以前、「
それでも写真を撮るわけ」というのを書きました。
その中で、私にとっの写真の原点は、「記録」だと述べました。
その記録とは、自分自身の記録であると同時に被写体の記録でもあります。
例えば、子供が入院していたころ、長い命ではないかもしれないと、生きたあかしとして撮りました。
それは自分の記録でもあると同時に子供の記録でもあります。
看護師さんも一緒に撮ったりしましたので、看護師さんの記録にもなったでしょう。
そして、看護師さんたちに「このお父さんは写真を撮る人。」という認識がなされると、カメラを向けても緊張することなく、自然な表情が撮れました。
被写体が人物ではなく、街や物であっても、将来重要な資料になり得たりします。
そういう意味では、街や物の記録と言っていいでしょう。
近年では、ライブや舞台撮影をすることが多くなりました。
依頼されて撮ることもありますが、そうでなくても、撮影禁止でなければ写真を撮っています。
それは、やはり自分の記録でもあると同時に、演者の記録にもなるからです。
演者は、その舞台に立つことを嬉しく思っています。しかしその姿を自分自身では見ることができません。
そういう姿を記録し、見せてあげたい。そういう思いです。そして、多くの場合喜ばれます。
喜んでもらえるから、私も嬉しい。そしてまた撮ります。
光や席の関係から、今日は写真は無理だと撮らないでいると、「どうして今日は撮ってくれなかったんですか。」と言われてしまったり。
たまには、カメラを置いて、肉眼でゆっくり楽しんだ方がいいかもしれない、その方がどれだけ楽だろう、と思ったりもするのですが、カメラマンの血が騒いじゃうのよね。
自分の記録、相手の記録、そして喜んでもらえるのを楽しみにして、撮ってしまいます。
P.S
ライブや舞台撮影では、撮影禁止の場合は撮らないのは当然ですが、撮影可であっても、演者やほかの観客に迷惑をかけないことも重要です。
だから、立ち位置は変えず、動き回って撮ったりはしません。
依頼された撮影であっても、邪魔にならないようにする配慮は必要ですね。
カメラマンは、黒子です。
とは言いつつ、少なからず迷惑をかけているだろうなということは、いつも気にしています。
表題写真は、自分も気に入って、相手も気に入ってくれた写真です。