山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

別れ

2009年02月12日 | つぶやき
最後に叔母にあったのは、秋の頃でした。
その頃の私は、仕事が面白くてしょうがなく、どっぷり仕事にのめり込んでいました。
叔母は、市の健康診断で肺の病気が発覚し、酸素吸入器の常用を始めた頃です。
肺が繊維化して固くなり、自力では呼吸が苦しくなるという難病に、知らず知らずのうちに罹っていたのでした。
病気に罹る原因も今の医学では解らず、治療法もない、改善の認められる薬もない、余命が日に日にカウントされる性質のもので、最高で5年、その間病院では具体的な何かは何もできない、といきなり言われたと知ったのは今日でした。

いきなり病院でそう言われて、はじめて「死」を感じた叔母も、ご家族も、どんなに驚き、ショックだったに違いありませんが、最後に叔母と会った時にそんな素振りは一切なく、今となっては心配をかけたくないという叔母の愛情からであったと思うしかありません。
子供の頃から、自分の娘のように愛をかけてくれた叔母でした。

人は生まれてくる瞬間の苦しみは記憶にないのが不思議ですね。
死に向かっていく時は、生と死の駆け引きがあり苦しみがあって、看とる側としては本当に辛く、悲しく、切ないものだと思います。それが強烈な記憶となり、故人を思い出す時、一連の悲しみがいつまでもよぎる場合もあります。

私は、最期を看取ることはできなかったけど、叔母といろいろ会話できて、楽しかった秋の思い出が最後です。

苦しみから叔母の解き放たれた叔母の姿は、美しく安らかでした。

告別式を終えるまでの最期の最後まで姉の傍にいたいと言い張る母の姿に、こんなに深く強い絆で結ばれているものを失うことの悲しさを感じ、叔母の代役に私がなれるのかとそんな目線で母を想うにつけ、まだまだ若い叔母の死が切なくてなりません。