この「赤い手」が徳島での古いお遍路道の石識。
何度この石識に励まされ、時には愛するものを見つけたような嬉しさがあったことでしょうか。
こんな道を歩けとこの石標が示して・・・
しだいにけもの道みたいな場所を歩く羽目に・・・
途中の2番宿坊で、食事のテーブルが同じだったOさん(女性)に追いついて、なんだかその場の雰囲気で一緒に歩くようになりました。
「自分の写真は撮れないよね~撮ってあげるよ」と言ってくれりして、嬉しかったですね再会が。
「四国三番 奥の院」
108という数は除夜の鐘にも用いられ、煩悩の数を意味しています。
この時はわからなかったのですが、四国巡礼では、八十八カ寺に二十の別格寺院を加え108とする「別格二十霊場」(別名 奥の院)が有るんです。
3番から4番の古い遍路道の途中にあるのが、この3番「金鶏山 愛染院」で、3番金泉寺の奥の院。
弘仁7年(816)弘法大師がこの地を巡錫した折に霊地と定め、一宇を建立し自ら刻んだ不動明王の坐像を安置したと伝えられるそうです。
境内には戦国時代、このあたりを治めていた板西城主・赤澤信濃守は、天正10年(1582)土佐の長宗我部軍を迎え撃った中富川の合戦で、わらじのひもが切れたために討ち死にした赤澤信濃守を祀るお堂があるそうです。
また、その妻も足に神経痛があったため、逃げ遅れて命を落としたと伝えられ、いつの頃からか、腰から下の病に霊験があるとして信仰を集めるようになり、病の治った人がお礼にわらじを奉納するようになり、山門の大きなわらじはそのシンボルなのだそうです。
四国霊場で唯一、刷毛書きの納経で知られているそうですが・・・
「奥の院めぐり」も知らず、何となくOさんとお賽銭を入れてお祈りして、終了してしまいました。
帰ろうとする私たちに、猫ちゃんが寄ってきて、怪訝な顔しているけれど私たちの前から立ち去らないわけは、そういうことだったのですね。
「お参りしたのに、なぜご朱印頂かないのかニャン?」という感じでしょうか?
今さらながら後悔です。
私の持っていた納経帳を見てみると、88箇所のほかに10軒のご朱印を頂けるスペースがありました。
「奥の院」も巡るなら、私の場合、納経帳をもう一冊準備しなければなりませんね。