徳島では「潜水橋」。
高知では「沈下橋」というらしいです。
うどん亭八幡さんから、11番藤井寺へは途中延々と畑の中を歩くルートでしたが、やがてこんな道があらわれました。
川を渡る橋には、歩道もなく、照明もなく、ガードもなく、お粗末な橋。
高所恐怖症の私は、こんな橋でもかなりの恐怖を感じます。
落ちたら川に流されてしまいますよ、きっと。
穏やかに見えて、水の流れというものは凄いエネルギーをもっているのですから。
同行のOさんは大丈夫のようで、普通に歩いていましたが、私はこんな状況から早く解放されたいので、マラソンのごとく走って渡りました。
渡った先に初老のかたが私を見て「橋は走るものではない」と諭されたのですが・・・
多分その時は、お遍路さんの常識で「橋では杖を突いてはならない」ということを知らず、走りながら、そうしてしまっていたのかもしれません。
この吉野川の潜水橋の傍には、お遍路さんの休憩所があります。
そこで、初老の方がお遍路さんのボランティアさんであると知りました。
外国の方がこの橋を次々渡られて「潜水橋」と理解されていること、私自身の知識の無さに凹みもするのですが、ボランティアさんはいろんな外国語も話されているので、感動しました。
ガイドさんに諭されたのは、次のようなことでした。
この潜水橋には、希少な緑水岩が採れるということ。
そうして、これから行くお遍路ころがしは、この写真に写る山を2個(とあと一つ)越えなければならず、覚悟して登らないととんでもないことになるということ。(朝は早く旅館を発つ)
もしも足が前に出なくなったら・・・体を横にした状態で一歩一歩足を重ねながら歩く。
下りの山道はジグザグで降りるが、脚が弱っている時は蟹歩き。
脚の付け根から歩くことを意識すると、ひざを曲げずに済みので痛めない。
この情報はその後の太龍寺への山歩きで、とうとう足が前に出なくなったことに役に立ちました。
そして・・・
そこ潜水橋からお城が見えると教えて頂きました。
徳島ではかつてお城が6?くらいあったそうで、1つを残しておとり潰しにあったそうです。
もしも、その時代の「城のおとり潰し」が行われなかったら、現在かなりのお城が各地にあるはずで、そういう状況がキープされていれば現代、外国の方の観光資源として、日本は「観光の島」で豊かになっていたのかもしれません。
プラス、「城のおとり潰し」のほかに「宿坊潰し」もありました。
神仏分離令です。
これがなかったら、重要文化財がもっと残っていた筈です。
そうしたならば「禅=宿坊体験」を経験したいと望む外国人を日本に呼び込めたと思います。
過去の時代の方々は、そういう(未来の日本の)ことなんて考えもしなかったのでしょうが、ヒトの生きる根源にあるのが「自分さえ良ければよい」「従いたくないけどそれに従わないと自分の生活そのものが危うくなる」とか、そんな考え方が蔓延しているのは、かつても現代も変わらないと思います。
「じゃ何が正しくて良いのか?」と聞かれたら、私は答えられません。
自分が良いと思うことを毎日コツコツと積み上げていくことしかできないです。
吉野川で出会ったボランティアさんも、毎日それを実現されていると思います。
名前も写真もNGでしたが、このボランティアさんと出会えてその後の歩き遍路の役に立ちました。
改めて感謝申し上げます。
これから歩き遍路なさる方は、是非「潜水橋」付近で少し足を止めてみて下さい。