「なべいわ荘」から13番大日寺までのコースはいくつかあるらしいのですが、私は山越えコースをひた歩き。
昨日は3つ山越え、その日は1つ山越え、脚の疲労が蓄積されて、痛みで心が折れそうです。
そんな時、藤井寺の後の「旅館 吉野」、焼山寺後の「なべいわ荘」でご一緒したY夫妻と、道の途中で逢い、一緒に大日寺を同行しようと至りました。
私の持っていたガイドブックだけでは、大日寺にたどり着けなかったと思います。
何となく、勘で辿りつけるかな~という気持ちで歩いていましたから、本当にY夫妻には助けて頂き感謝しています。
ご夫妻は本当に仲良しで、強い絆で結ばれているのと、強い信念でお遍路巡りを何度もされています。
市民マラソンなどにも夫妻で参加し、日頃から足腰を鍛えられているため、歩くスピードも速くて、私は着いていくというより、私のペースにY夫妻が合わせて頂いたという申し訳ない感じがありました。
途中郵便局を見つけたため、お遍路後半の宿代を下す必要があり、そこで夫妻とお別れしました。
同行により歩調を早めたためか、連日の山越えのダメージか、ひとりになってみると、途中から痛みのため足がうまく進まなくなり、ビッコビッコしながら杖だけはしっかり地面を叩きながら、ゆっくりゆっくり歩いくしかありませんでした。
車しか走らないような国道を延々と歩きます。
なんでこんなことしているのかと、ふとそんな思いも湧いてきたりするのですが、自分が決めたことだから絶対に正しいことをしているのだって、自分に言い聞かせ歩き続けました。
そんな時、私の前に一台の車が停まりました。
「乗りなさい」と女性の方。
今回のお遍路で人から受けた志は、何があっても断らないと事前に私は決意していました。
その方にとっても、お遍路の高徳が得られると思ったからです。
「ありがとうございます」といって乗せて頂きました。
丁度道向かいにバス停所のベンチがあり、数人の歩き遍路さんが休んでおられて「いいな~~」という声が聞こえてきました。
その後、車窓から先ほどまで一緒に同行して頂いたY夫妻のお姿もありました。
その時は本当に「申し訳ありません(自分だけ楽して)」という気持ちでした。
車に乗せて下さったIさんは、藤井寺から焼山寺の途中にある「浄蓮庵」の清掃のボランティアをなさっているとお聞きしました。
足が良くないそうで、大日寺で健康安全のお札を納めますといってお別れしました。
本当に足もですが、心も折れそうになっていた時、見も知らない私をIさんは助けて下さり、感謝しかありません。
時々大変そうな歩き遍路さんに、車を停めるそうですが「歩き遍路なので車はダメです」など、断られることも多いそうで、やはり断られると傷つくような気持ちになるそうです。
だから今ではその歩き遍路さんを助けて良いのか、断るタイプなのか、判断して車を停めることが多くなり、自身切ないと。
Iさんは何度も歩き遍路をなさっていて、歩き遍路さんの心に寄り添う姿勢をもっていらっしゃいます。
焼山寺から大日寺までは21キロ。
宿からだと18キロ程度の道のりでしたが、うち5キロ分は車。
車で拾って頂き、Iさんの優しいお心に触れることができ、歩き遍路して辛いこともあるけど、こんな優しい出会いもできて、本当に良かったと思いました。
13番大日寺の薬医門。
弘法大師がこの地に巡錫され「大師の森」という所で護摩修法されているとき、現在、寺のある附近から大日如来が示現し「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられ、大師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、この尊像を本尊として安置し、大日寺としたそうです。
その後、兵火で焼失するがまもなく再建され、諸国に国の総鎮守である一ノ宮が建てられたとき、その別当寺として門前の一ノ宮を管理。
一ノ宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観世音だが、明治の神地分離にあたり、十一面観世音を大日寺へ移遷し、本尊として安置。
このため、現在は大日如来が脇仏となっているそうです。
本堂。
大師堂。
幸せ観音。
本日の宿泊先はこの「大日寺 宿坊」を予定していた為、10時にはご朱印を頂いたので、お寺に荷物を預かって頂き、次の14番常楽寺へ向かいます。
大日寺のお勤めは17時から。
「17時までには戻ってきて下さいね」と言われました。