西国三十三観音巡礼を始めたのは、昨年2018年11月のことでした。
東北からひとり遍路で、2019年3月と今回で3回に分け、「平成」のうちに結願を果たすことができました♪
あたたかく見守っていただいた皆様のおかげをもちまして、最後に33番さんを打ち、こうして無事たどり着きました。
ありがとうございました。
この思いを、いつかまたこの巡礼の道を歩いて感じたいと思い、結願した暁に、先達申請を致しました。
毎回ですが、性格的に私のスケジュール計画はタイトのため、一日2食が基本。
お腹が空けば飲みものを流し込んで空腹をごまかしながら移動することが多く、どんな素敵な観光地があっても横道せず、巡礼ルートに徹しました。
今回の巡礼では、おわりのほうに電車移動で歩き遍路。
7日の旅の荷物を背負って山を歩くのは決して楽ではありませんでしたが、何より歩くことで様々な気づきにあい、素晴らしい経験だったと感じています。
巡礼の旅で四国遍路3周致し、その度に真意を試されるがごとく、いつしか3回のアクシデントがあるものだと覚悟して出かけるようになりました。
今回もまた3回、巡礼を妨げるような、そんなアクシデントがありました。
①なぜか、スマホが使えなくなる。
②コインランドリーで下着と靴下を盗まれ、洗濯機は私の洗濯物と共に、知らない男の下着や靴下まみれになっていた。
③親切な方に間違ったバス乗り場を教えられて、お遍路道の正道から外れる。
今回山登りがあるので荷物を減らすため、私が宿泊した奈良のホテルの中で一番高いホテルと安心してコインランドリーを利用したのですが、洗濯物を取りに行ったら、私のネットに入った洗濯物と共に、知らない男の下着や靴下が混じっていました。
さらに驚くことに、私のネットの中から、赤い下着とスポーツブランドの靴下が無くなっていました。
中国人が犯人でした。
おそらく洗濯費用をケチりたいがために、洗い始めの私の洗濯物に、男は汚れ物を投入して便乗したものでしょうが、私は鳥肌が立つくらいの嫌悪感を抱きましたね。
スマホが万が一使えなくなった想定で念のため、行動日程を事前にシュミレーションして紙ベースで持ち歩いていましたが、石山駅のバス停で、私の電波時計で出発予定時間の1分前でバスが動き出したのです。
走って追いかけましたが無駄でした。
落胆している私に、親切なかたが次のバスを教えてくださったのですが、結果的にそれは全く違う方向でした。
終点バス停で運転手さんからアドバイス頂き、目的地へのバスの便はかなり少ないので、結果的にかなり歩くことになったのですが、それも良い経験でした。
そんなことまでして巡礼に何の意味があるのか、とても不思議に感じられると思います。
私も不思議に感じます。
でも不思議に、朝がとても苦手な私でも、早朝6時にはいつもメイク完了。
早朝の空気は新鮮で、鳥のさえずりがこだまし、とても気持ちの良いものです。
歩くことで心身ともに活性化し、健康に向かっていくのを感じました。
あきらかに、仕事に行くその朝とは違う、心の落ち着きを感じ、生きていることの幸せをじんわりと感じることができました。
もしも仕事だったら、朝は本当にジタバタして、着ていく服がこれでないあれでもないとイライラして、眉のメイクが上手くいかなくてまた時間が経って・・・本当に急がし過ぎます。
そんないつもの時間に束の間解放されて、巡礼も本当は忙しいのですが、どこかで気持ちに静かな余裕があるんですよね。
巡礼では33の札所を巡り納経するという目的がはっきりしてますから、心がぶれないんですよね。
そういう巡礼の時間の中で、自分と向き合い、頂いている時間をどう過ごすべきか真剣に考えました。
これという大きな答えに辿りつかないから、また巡礼に行きたくなるのかもしれません。