山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

咲花温泉 碧水荘 部屋

2015年04月04日 | 温泉

咲花温泉は、エメラルドグリーンに輝く美肌のお湯が好きで、部屋食できる宿が多いのです。

お湯に癒されて、お部屋でまったり過ごせて、しかもこぢんまりしている宿が多いところが好きです。

今回選んだのは「碧水荘」さん。

咲花温泉街の一番奥にあるお宿です。

清潔感があって感じの良いロビー。

 決してゴージャス感はありませんが、整理整頓され、上質な雰囲気で好印象です。

囲炉裏もあって、こういう空間自宅にあればいいね~、なんて思ったりして。

女性は好きな浴衣が1枚選べます。

廊下を進み・・・

扉を開けて3畳の間に「えっ?」と一瞬戸惑い・・・

某秘湯だったらこれで終わるところですが・・・

その先がありました。

広いですね、12畳の和室は!

しかも+縁側付ですから、遠くまで来て良かったです。

数年前の浸水により堤防かさ上げ工事中でしたが、この雄大な阿賀野川と向こうにそびえる五頭山の雄大な景色にこの土地の豊かさを感じます。

好きな眺めです。 

お菓子もいろいろと充実しています。

洗面台付近は古い感じがしますが、片目を瞑れば問題ないと思います。

お部屋に常設されたアメニティーにも宿の気配りが感じられました。

 

■新潟県 咲花温泉 碧水荘 

〒959-1615 新潟県五泉市大字佐取3062

TEL:0250-47-2011


道の駅 あいづ 湯川・会津坂下の「こづゆ」

2015年04月03日 | 

 「道の駅 あいづ 湯川・会津坂下」は平成26年10月2日にオープンした新しい道の駅」です。

地元農家から50品目以上の農産品を確保し、地元高校と連携した特産品を活かした製品を販売しているそうです。

会津のいろいろな小物がお洒落にディスプレイされ、立ち寄りスポットとしておススメです。

 

ちょうど小腹がすいたので、軽食コーナーで何か試してみることにしました。

「会津の三大ラーメン」が気になったのですが、その日は完売してしまったようです。

気軽な感じで食事できる店内。

郷土料理「こづゆ」に好奇心が沸き、オーダーしてみました。

今まで「こづゆ」は食べたことがなかったので、ルンルン♪ 

運ばれてきたそれは、ほとんど皿と思える薄い陶器に盛り付けられてきました。

180円だし、それにしても汁ものが少しだけ深い皿に入ってくるなんて、独特な盛付けです。

そこで調べてみました。


会津を代表する郷土料理のこづゆ。会津各地域で呼び方や入れる具材が少しずつ変わるが、南会津の一部を除き、会津全域で昔から食べられてきた。こづゆは、手塩皿と言われる浅めに作られた小さい朱塗りの椀に盛られることから「こじゅうのつゆ」となり、訛って「こづゆ」になったのではないかと言われている。別名、煮肴、重のつゆ、かえつゆとも呼ばれている。

さらに・・・

こづゆは、元々は庶民の口になかなか入らない貝柱を使用しているため、武家料理であったと言われている。それが庶民の料理となり、祭りや祝い事の晴れ食として、また冠婚葬祭の時の膳にも必ず付く伝統食となった。干し貝柱でダシを取り、塩や醤油で味付けをする。具材としては、里芋、しいたけ、豆ぶ、きくらげ、こんにゃく、人参の7種類に、旬の物や青味などを入れる。祝い事の場合は、割り切れないようにと奇数にこだわる。会津の郷土食、代表的なおもてなし料理である。

そうなのですね。

確かに具材がたくさんあって、水で戻したり、細かく刻んだり、手間がかかった郷土料理です。

しかもトロミがついていて、少量なのに体が温まります。

野菜もたくさんとれて、健康的なお料理だと思いましたし、味がとてもやさしかった。

また食べたいな・・・。

 

 


変化

2015年04月01日 | からだ

人には人生のなかで何度か、チャンスをつかめるタイミングが必ずあると感じています。

定年退職して新しい自分の世界にチャレンジし、活き活きと暮らしている幸せな方々も多くいらっしゃいます。

けれどそれは、何らかの土壌があるからこそだと私は思っています。

種がそこにあったから土壌に花が咲き実になると、そういう考え方です。

若いときは自分のことも良く解らなくて、感情だけが先に立ち、退屈で、なにか虚しさを感じてきた私でしたが、年を重ねるごとに何か少しづつ考え方が変わってきました。

幸せとは、他人と分かちあうことだと。

そういう考えがベースにあって、brogを通じて皆さんと繋がっていたり、仕事では私なりの仕事理念(お客様の立場に寄り添って行動すれば、必ず数字がついてくる)など、上からや下からも圧されることなく、楽しんで仕事に向かっています。

そう述べると一見幸せそうですが・・・

最近相方が本気で事業を始めて、私自身とても嬉しくて、できるだけの支えを行っているのですが、なにかが空しいんですよね。

寂しいというのでしょうか、一人の時間が長くなって、空虚に感じています。

ヒトは死を受け容れる立場を強制されていない健康良好な状況でも、寂しいとか空しいって感じるのは何故なのでしょうかね?(日常的には要らない感情ではないですか?)

自分一人で3度のご飯を食べ、会話もなくて、充足感が満たされないところから来る感情なのでしょうか?(ヒトは集団で生きようとする本能?)

ああ、そんなことを思いながら、私自身の心の脆さとそれに相反する完璧主義さを感じながら、越えていかなくては!と思うのでした。

3ヶ月前の12月の健康診断はまったくの「良好」だったのに、3月の人間ドックではいろいろあって・・・ストレスがあっただけで、自己破壊に進んでいくものなのかと実感しました。

明日からは、明るい話題で綴っていきますね!