風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

渡る世間……

2008年04月03日 | 清水ともゑ帳
デュラン・れい子氏の『一度も植民地になったことがない日本』(講談社+α新書)を読んでいる。
ヨーロッパの人々がどのように日本人を見ているかというようなことが、ヨーロッパに長年住んでいる著者のエピソードとともに書かれている。
この本の、「幼いころから相手を見分ける」という項目に次のような一文があった。

”「人をみたら泥棒と思え」とか「渡る世間は鬼ばかり」とか、日本にもヨーロッパ流の性悪説に基づく諺(ことわざ)や言葉が多くあるが、やはり日本人は性善説が好きなようだ。”

この項目では、自分の身を自分で守るしかないことを、日本でも幼いころから子どもに教えていかなくてはならない…という内容が書かれている。

『渡る世間は鬼ばかり』は「渡る世間に鬼は無し」をもじったテレビ番組のタイトル。
それを、性悪説の一つの言葉として挙げられていることに、私は「おや?」と思った。
この場合はむしろ「渡る世間に鬼は無し」という本来の言葉を、性善説の例とした方が自然のような気がしたからだ。

性善説が好きな日本人だから、それをもじった「…鬼ばかり」のタイトルにインパクトが出て、ドラマの独自な世界を楽しんでいるのだと思う。
最後まで読み進んでも、番組タイトルをなぜ例に挙げたか、という記述は出てこなかった。

ところで、「渡鬼」が始まったのは1990年。
18年前は今ほど凶悪な事件は少なかったのかなぁと思う。
近ごろ続いて起こる通り魔的犯罪に、残念ながら番組のタイトルどおりだろうかとも思ってしまう。

物価の値上げ、年金問題、凶悪な犯罪など不安になることが多い時代。
自分の身は自分で守っていく。確かにその通りだ。
でも、私は元の言葉である「渡る世間に鬼は無し」を信じていたいと思う。
って、デュラン・れい子氏の言うように、やっぱり私も性善説が好きな日本人の一人だ。