風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

カタカナ言葉

2008年04月04日 | 清水ともゑ帳
月に一度、父のかかりつけの内科へ一緒に出かけている。
車で40分ほどの道のり、81歳の父がカブのハンドルを握るのは不安なので、私が車を運転していく。
きれいな建物で、待合室には季節感豊かなディスプレイがあり、昨日も桜と桜色の彩りが素晴らしかった。
毎回予約しているけれど、それでも診察が始まるまで1時間は待つ。
私は読みかけの本があってもあえて持参せず、待合室の雑誌をあれこれ読み漁る。

雑誌をめったに買わない私は、これまでは数ヵ月に一度、美容院でファッション誌、女性週刊誌などを読む程度だった。
父が通うこの医院には、幅広いジャンルの雑誌が置いてあるので、待ち時間がちっとも苦じゃない。
『サライ』『クロワッサン』『PEN』『婦人公論』『ゆうゆう』などいろいろあり、ちょっと別の世界へいざなってくれる。

私が雑誌を読んでいる間、父はたいてい居眠りしている。
通院の日でも、父は出かける前に2時間ほどのウォーキングを済ませてくる。
運動の疲れが出るのか、待ち時間は眠ってしまうのだ。

たまに父も雑誌を手にするけれど、カタカナが多くて読みにくいと言う。
いつだったか、旅雑誌を読んでいて、私にいくつか聞いてきた。
「エリアってなんだね」
「アクセスってどういう意味だね」
「アイテムは?」
「ディテールは?」

私は自分自身が父にどれだけ説明できるのか、自分を試すつもりで質問に答えた。
「カタカナばっかりで何が書いてあるだかわかんねえなぁ」
父は面倒くさくなったのか、私に遠慮したのか、途中で読むのをやめてしまった。

先日私は、本を読んでいて、「メタファー」がわからず辞書を引いた。
そうか、隠喩ってことかぁ。
意味を知った上で、また本に戻り、文章の前後を読み返す。
なるほど……。
理解はできても、自分の言葉として自在に操れるまでにはなれそうにない。

私もいつまでカタカナ言葉についていけるのか。
…というか、すでに置いてきぼりになっているような気もしている。