風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

藤枝の日

2008年04月15日 | 清水ともゑ帳
いつもより早起きをした。
月に一度、仕事で藤枝市へ行く日。



ドアを開けると、朝の光がまっすぐ射し込んできた。



今日はいいことあるかな。



開通して間もない久能海岸沿いの150号バイパスを西へ走った。


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紅白の遮断機

2008年04月14日 | 清水ともゑ帳
家からほど近いところにある私鉄、静鉄電車の踏み切りの遮断機の色が、赤と白に変わった。



この踏み切り付近では、私鉄とJRの線路が平行して通っている。
JRの遮断棒は従来の黄色と黒の縞模様なので、私鉄と区別するために変えたんだろうかと思った。
それとも、どの踏み切りも、今後は徐々に赤と白に変わっていくんだろうか。

近ごろは工事現場を囲むフェンスやコーンの色が、青に変わっている、と聞いたことがある。
識別しやすい色の研究が進んでいるのかもしれない。

そういえば、赤と白は、一時停止や進入禁止などの標識と同じ色だ。
踏み切り前での一時停止、踏み切りへの進入禁止を表していると考えたら、そんなに不自然でないような気がしてきた。



Oh! ワンダ春

2008年04月13日 | 食べもの帳
竹の子とワラビをそれぞれいただいた。



春の味覚にウキウキ。
さっ、これから下ごしらえにとりかかるぞ。

新しい冷蔵庫で、竹の子の瞬間冷凍を早速試してみようっと。



満タンですね

2008年04月12日 | 清水ともゑ帳
昨日、ガソリンスタンドに行った。
ふだん、あまり車を使わないので、給油はたいてい月に一度。
カード会社との提携で、若干安くなるため、セルフスタンドはほとんど利用しない。

車の窓を開けたとたん、私が言うより先にスタンドの人から、
「レギュラー満タンですね!」と声をかけられた。

お得意さんではない私みたいな客にも、このように声かけをするのは、ガソリン価格が下がって、どのお客さんもみんな同じオーダーをするからなんだろうなぁと思った。
給油量を示すデジタルの数字が動き始めるのを眺めながら、若かった時のことを思い出した。

当時の私は、財布の中身と相談しながら、10リットル刻みで給油することがよくあった。
スタンドのおにいさんが、「10.00」ピッタリでメーターを止めると、「ホーッ」と感心したものだ。
「満タン!」って言えるときは、ちょっとうれしかった。

手渡された雑巾で車内を拭きながら、ふと思った。
あのころの私なら、自分より先に「満タン」を言われちゃったら、ささやかな楽しみが半減してただろうな、って。
でも、今みたいにセルフがあったら、そんなことは気にしなかったかも……。

レシートを受け取り、すぐ金額に目を通した。
給油して初めて安くなったことを実感した。


冷蔵庫(2)

2008年04月11日 | 清水ともゑ帳
新しい冷蔵庫が届いた。
ドアに、冷凍や冷蔵の設定をするための操作パネルがある。
取り扱い説明書を読んでみたけど、まだよくわからない。

もともと機械ものが苦手なところにもってきて、年々、こういうものを読むのが面倒になっている。
携帯とかデジカメとか…。
それでもうまくできたときは、ちょっとした達成感もあるので、これも一つの脳トレと思って、ぼちぼち取り組んでみたい。



それにしても、モーター音は静かだし、12年の間の進化はすごいなぁとただただ驚く。
今朝、一番にしたことは、製氷室を開けたこと。
これまでは、自分で製氷皿に水を張って、氷を作っていた。
でも、今度は自然にできちゃう。
それで、氷のでき具合が気になり、昨日から何度も製氷室をのぞいている。
あっ、また、コロリンって音がして、氷が生まれた。



冷蔵庫(1)

2008年04月10日 | 清水ともゑ帳
日曜日、そろそろ寝ようかという時間、台所に立った。
そして、寝室へ行こうとしたとき、足の裏にベチョといやな感触がした。
足元を見ると、床に水溜りが……。
犬が粗相をしたのではないかと思ったら、その範囲の広いことにびっくりした。
1メートル四方ほどが水浸しになっている。

粗相は犬ではなくて冷蔵庫だった。
数ヵ月前から水漏れはしていたけれど、そんなにひどくはないので、そのまま使い続けていた。
もう、限界が来てしまったらしい。

翌日、家電量販店へ買いに行った。
私たち夫婦が熱心に冷蔵庫を見ているので、販売員の人が声をかけてくれた。
50代くらいの男性だ。
それぞれの製品の特徴をかいつまんで説明してくれる。

私たちが相談し始めると、その人は、すっと後ろへ下がり距離を置く。
しばらくしてまた様子を見ながら近づいてきて、私たちが疑問に思っていることなどに対して答えてくれる。
各メーカーのどの製品でも、よく知っている。

一つの答えの後ろ側に百の知識が感じられる。
でも、その豊富な知識を決して不必要に多く語ったりはしない。
私たちに見合った適量の情報を出しつつ、アドバイスも的確だ。

夫と私は二つの種類のどちらかにしようと絞り込んだものの、決定まではちょっと時間がかかった。

「あの、私はですね……」
遠慮がちに販売員の男性が話し始めた。
「毎晩、焼酎のロックを飲むんですが、この冷蔵庫で作る透き通った氷を入れて飲むとおいしいんですよ」
うれしそうに語るその笑顔で、私の気持ちが決まった。

私にとって氷が透き通っていてもいなくてもよかったけれど、実際に使っている人の、消費者としての満足感が伝わってきた。
「これにすっか」
夫も同じように気持ちが傾いたようだった。

12年間使ってきた冷蔵庫は、今日の午前中でお別れになる。



お疲れさま、そして、ありがとう。

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街角ティッシュ

2008年04月09日 | 清水ともゑ帳
5年前、電車通勤をし始めたころ、駅前でティッシュ配りをするその女性に気がついた。
そこでは他に、チラシなどを配る人たちもいるけれど、しばらく経つと人が入れ替わっている。
その後、仕事をやめてからも、私は電車に乗ることが多く、彼女の姿だけは変わらず、よく見かける。
30代後半ぐらいのちょっと小柄な人だ。

最初はただなんとなく、通りがかりに彼女を眺めていた。
「行ってらっしゃいませ」「お疲れさまです」
元気のよい掛け声とともに、リズミカルにティッシュを手渡す。
宣伝効果につながりそうな人を瞬時に見分け、配っているように見える。
すぐ後ろに積んであるダンボールから自分の手にティッシュを補充するときも、通行人の流れを見計らいながら、てきぱきと行う。
動きにも効率にも無駄が見られない。

私はティッシュが欲しいというよりも、彼女の鮮やかな手さばきを近くで見たい、彼女の手から受け取りたい、と思うようになった。
わざわざ傍を通るが、混雑に紛れ、なかなかタイミングが合わない。
伸ばしかけた手を、気恥ずかしい思いで引っ込めたことが、何度もある。
彼女を取り巻いて、ティッシュをいくつも手にしていく年輩の女性たちもいるが、私にはちょっと勇気がない。

昨日、所用があって駅前を通ったときも、彼女はいつもの場所に立っていた。
よし、今日こそタイミングを逃すまい。
数メートル前から、歩調を整えていく。

いよいよという位置に近づいたとき、対向してきた人の群れと私がわずかに交差した。
ああ、またダメかもしれない。
かなり不自然ではあったけど、私は少し足踏みして彼女のリズムに合わせた。
「行ってらっしゃいませ」
手のひらに自然な感触で、ティッシュが密着した。

そのまま握り締め、仲間が待つ目的地に向った。
「何かいいことあった? 晴れ晴れした顔してるよ」
問われて、自分がいつもより笑顔でいることに気づいた。


のんびる

2008年04月08日 | 食べもの帳
のんびる(野蒜)をいただいた。



のんびるといえばこれ!
2~3cmほどの長さに切ったのんびる、せん切りにした人参、それと塩昆布を混ぜて作る漬物。



今年はそれに、おつまみ用の「さきいか」を加えてみた。
漬けてから今日で3日目。
さきいかがほどよいくらいに水分を吸い、のんびるや人参がイカと昆布の旨みを含み、なんだかいい感じになってきた。

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久しぶりの浜岡(2)

2008年04月07日 | 静岡

私にとって3度目の浜岡砂丘。
最初は20年前、夫との初めてのデートのとき。

それから10年後、浜岡の知人を訪ねたあとに寄った。
そのとき、砂丘が小さくなっていたことの驚きは忘れられない。
砂浜が浸食されている姿を自分の目で初めて見た。
そして、三度目の一昨日、さらに小さくなっていた。



数十年ぶりに訪れた義母は、「あれ、やだよ!」と絶句してしまった。
「砂丘がこんなになっちゃったのかね」
「なぁ、前はこの先を二山も三山も越えて海岸に行ったよなぁ」
あっけなくすぐそこに見えてしまった海を、義母と夫が二人で臨む。

浜岡までのドライブに連れて来た愛犬と砂丘で散歩し、帰りは牧の原を通り、静岡へ向かった。
茶畑は見慣れているはずの風景なのに、やっぱり牧の原台地の茶畑には圧倒される。



車の窓を開けて走っていたら、懐かしいお茶工場の香りに包まれた。
子どものころは、清水でもそこここで製茶工場から、お茶の芳香が漂っていた。
「この香りはほんとに落ち着くなぁ」
夫の言葉に、義母も私も「うんうん」とうなづいた。

今回、浜岡での夫の一番の目的は、「亀まんじゅう」を買うことだった。
静岡でも手に入るけれど、「かめや本店」へ出向きたいのだ。
「かめや本店」の場所は何度か変わったらしいが、彼は子どものころの思い出とともに亀まんじゅうを持ち帰りたいのだと思う。



食べることに焦りすぎ、亀まんじゅうの写真を撮り忘れていた。
写真奥は小亀だけれど、私たちが食べたのは、もっと大きい。
頭の先からしっぽまであんこが詰まっていて、生地の焼き加減がほどよく香ばしい。
一人で平らげてしまいそうだった。



久しぶりの浜岡(1)

2008年04月06日 | 静岡

今は御前崎市となった浜岡(旧小笠郡浜岡町)へ、義母と夫と、愛犬ポポも一緒に行ってきた。
この町は夫が子どものころを過ごしたところで、義母にとっても思い出深い場所。
義父の転勤で、家族は浜岡町を引越ししたけれど、夫はその後、社会人になってから最初の赴任地がこことなった。
夫と私の最初のデートの場所でもあり、5年前までは二人で何度か来ていたので、親しみのある町だ。

まずは桜ヶ池へ。



桜ヶ池神社では毎年秋に「お櫃(ひつ)おさめ」のお祭りがある。
心身を清めた若者たちが、赤飯の入ったおひつを池の中央に沈め、五穀豊穣、心願成就を祈願するというもの。
この池は長野県の諏訪湖と地底でつながっているともいわれ、沈められたおひつが諏訪湖に出るという話もあるらしい。



お祭りの際に使われる船が置かれている。

神社のそばにある売店で「さくら棒」という麩菓子を買った。
今回の浜岡行き、私にとってはこれが一番の目的。



長さ90cm、直径はおよそ7cm。
子どものころに食べていたピンクの麩菓子は、20cmくらいの長さの食べやすいもの。
写真には納まりきれなかった「さくら棒」、豪快にパクついて胃の中に納めたい。

数十年ぶりに浜岡を訪れた義母は、町の変わりように驚く。
少しでも当時が偲ばれるところに来ると、懐かしそうに目を凝らす。
そのころ、住んでいたというあたりをぐるりと巡り、それから浜岡砂丘へと車を走らせた。



シベリア(その2)

2008年04月05日 | 食べもの帳
先日、シベリアの記事を書いたばかりだけど、思いがけず昨日また出合えた。
この前と同じ、駅前銀座の青果店の店頭に並んでいた。

すぐに手に取り、レジへ持っていった。
すると先日のお姉さんが、(もう、おばさんとは言いません)
「これ、おいしいっけでしょ」と声をかけてくれた。
あれ? 覚えててくれたのかなぁと不思議に思いながら、
「え、ええ、…で、また食べたくて」と答えた。
「昨日だかおとといも、買ってくれたっけだよね」
ほんとに覚えていてくれたんだと思ったらうれしくなった。

「これさ、小豆のとこあるでしょ。ほら、ここんとこ」
と、お姉さんはシベリアのあんこの部分を指す。
「あたしはさ、ここよりさ、こっちの方が好き。こっちを食べたいだよ」
緑色のあんを指した。
「あ、あたしもです!」
握手を求めたいくらい、テンションがピーンと跳ね上がった。

シベリアとの再会もうれしいけど、私を覚えていてもらえたことや好きな物へのこだわりが同じで、もっとうれしかった。
店を出て、アーケード街を跳ねるように小走りに行く。
合いの手を打つみたいに、シベリアの入った袋がシャカシャカ鳴った。



カタカナ言葉

2008年04月04日 | 清水ともゑ帳
月に一度、父のかかりつけの内科へ一緒に出かけている。
車で40分ほどの道のり、81歳の父がカブのハンドルを握るのは不安なので、私が車を運転していく。
きれいな建物で、待合室には季節感豊かなディスプレイがあり、昨日も桜と桜色の彩りが素晴らしかった。
毎回予約しているけれど、それでも診察が始まるまで1時間は待つ。
私は読みかけの本があってもあえて持参せず、待合室の雑誌をあれこれ読み漁る。

雑誌をめったに買わない私は、これまでは数ヵ月に一度、美容院でファッション誌、女性週刊誌などを読む程度だった。
父が通うこの医院には、幅広いジャンルの雑誌が置いてあるので、待ち時間がちっとも苦じゃない。
『サライ』『クロワッサン』『PEN』『婦人公論』『ゆうゆう』などいろいろあり、ちょっと別の世界へいざなってくれる。

私が雑誌を読んでいる間、父はたいてい居眠りしている。
通院の日でも、父は出かける前に2時間ほどのウォーキングを済ませてくる。
運動の疲れが出るのか、待ち時間は眠ってしまうのだ。

たまに父も雑誌を手にするけれど、カタカナが多くて読みにくいと言う。
いつだったか、旅雑誌を読んでいて、私にいくつか聞いてきた。
「エリアってなんだね」
「アクセスってどういう意味だね」
「アイテムは?」
「ディテールは?」

私は自分自身が父にどれだけ説明できるのか、自分を試すつもりで質問に答えた。
「カタカナばっかりで何が書いてあるだかわかんねえなぁ」
父は面倒くさくなったのか、私に遠慮したのか、途中で読むのをやめてしまった。

先日私は、本を読んでいて、「メタファー」がわからず辞書を引いた。
そうか、隠喩ってことかぁ。
意味を知った上で、また本に戻り、文章の前後を読み返す。
なるほど……。
理解はできても、自分の言葉として自在に操れるまでにはなれそうにない。

私もいつまでカタカナ言葉についていけるのか。
…というか、すでに置いてきぼりになっているような気もしている。



渡る世間……

2008年04月03日 | 清水ともゑ帳
デュラン・れい子氏の『一度も植民地になったことがない日本』(講談社+α新書)を読んでいる。
ヨーロッパの人々がどのように日本人を見ているかというようなことが、ヨーロッパに長年住んでいる著者のエピソードとともに書かれている。
この本の、「幼いころから相手を見分ける」という項目に次のような一文があった。

”「人をみたら泥棒と思え」とか「渡る世間は鬼ばかり」とか、日本にもヨーロッパ流の性悪説に基づく諺(ことわざ)や言葉が多くあるが、やはり日本人は性善説が好きなようだ。”

この項目では、自分の身を自分で守るしかないことを、日本でも幼いころから子どもに教えていかなくてはならない…という内容が書かれている。

『渡る世間は鬼ばかり』は「渡る世間に鬼は無し」をもじったテレビ番組のタイトル。
それを、性悪説の一つの言葉として挙げられていることに、私は「おや?」と思った。
この場合はむしろ「渡る世間に鬼は無し」という本来の言葉を、性善説の例とした方が自然のような気がしたからだ。

性善説が好きな日本人だから、それをもじった「…鬼ばかり」のタイトルにインパクトが出て、ドラマの独自な世界を楽しんでいるのだと思う。
最後まで読み進んでも、番組タイトルをなぜ例に挙げたか、という記述は出てこなかった。

ところで、「渡鬼」が始まったのは1990年。
18年前は今ほど凶悪な事件は少なかったのかなぁと思う。
近ごろ続いて起こる通り魔的犯罪に、残念ながら番組のタイトルどおりだろうかとも思ってしまう。

物価の値上げ、年金問題、凶悪な犯罪など不安になることが多い時代。
自分の身は自分で守っていく。確かにその通りだ。
でも、私は元の言葉である「渡る世間に鬼は無し」を信じていたいと思う。
って、デュラン・れい子氏の言うように、やっぱり私も性善説が好きな日本人の一人だ。


映画の帰りに

2008年04月02日 | 清水ともゑ帳
珍しく夫の方から、映画に行こうと言い出した。
それで昨日は、『犬と私の10の約束』を観てきた。
ストーリーにはところどころ、「なんでだろう?」と疑問を感じる展開があって、私としてはちょっと消化不良でモヤモヤが残った。
でも、どうしてもうちのポポに重ね合わせてしまうし、それでなくても日ごろ「犬の十戒」を読むたびに涙してしまうので、この映画も最初から最後までハンカチを手放せなかった。

天気が良かったので、映画のあとは少しだけ遠回りして帰ってきた。
あちこちで満開の桜が見られる。



足元に目を落とすと、根っこ近い幹にも、ひっそりと花をつけている。



亀田製菓の柿ピーの個袋の裏に、「けなげ組」という、人知れずがんばっている物たちのシリーズが描かれている。
それに加えてあげたくなるような、けなげな咲き方だなぁと思う。



街路樹の緑が桜と競うように、鮮やかに輝いていた。



かたらして

2008年04月01日 | 清水ともゑ帳
ひと月ほど前に、札幌の出身という方から、北海道のラーメンをいただいた。
ずっしりとしたスープの袋を開けたら、分厚いチャーシューとメンマ、うす紅色の花のようなかまぼこが出てきた。
麺は中太のちぢれ麺、しょう油味のスープは希釈せずにそのまま使えるものだった。
あんまりおいしかったので、通販で取り寄せができないかと調べたけれど、そういう販売はしていないらしい。

つい先日、また同じラーメンをいただいたので、どうしたら手に入るのか、夫からその方に聞いてもらった。
帰宅した夫から早速、その報告があった。

「…でさぁ、あれは北海道の知り合いの人が、直接その店で買って、まとめて送ってくれてるんだってさ」
「へぇ、そうなの。じゃ、うちのも今度一緒に頼んでもらえないかな」
「おお、俺もそう思ってな、その人に、次に送ってもらうときは、かたらしてって言っといたよ」
「アハハハ…」
私はつい吹き出してしまった。
「な、なにがおかしいだ」
「だ、だって、かたらして…なんて言うから」

私が子どものころに使っていた言葉を、夫の口から聞くとは思っていなかった。
いつから使わなくなったのか覚えていないけど、子どものころ、遊びの仲間に入れてほしいときなど、「かたらして」と言っていた。

辞書には「語る」とか「騙る」(だますの意)しか載っていない。
方言なんだろうなと思い、調べたら、秋田県、青森県などでも使われている他、熊本県、長崎県あたりでも同じように、「仲間に加わる」という意味で「かたる」を使うらしい。

夫の「かたらして」という言葉は、札幌出身の方に意味が伝わっていたようで、「いいですよ」と返してもらえたそうだ。
日本の北と南、そして静岡。
「かたる」の語源や言葉の分布に興味がわいてきた。

懐かしいなぁ、「かたらして」。


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