プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川口知哉

2024-12-20 13:55:51 | 日記
1998年
古田のバットが大きく空を切ると、場内から感嘆の息が漏れた。川口が落差のあるフォークで、球界を代表する打者・古田を空振り三振に切った。IDの申し子との対決は二回無死から。初球は99㌔の大きなカーブが足元に行き、ひっくり返らせた。腰が引けたのを見てスライダー、カーブで2-1に追い込む。そして高橋信が要求した外角直球に首を振り「あそこは見せ場だったからフォークしかない。とっさにそう思った」と勝負した。練習でも「キャンプから20球ぐらいしか投げてないかな」とめったに投げないフォークを決めた。「あれは完ぺきでしょ」と自慢げに話した。ルーキーに手玉に取られた古田は「フォーク投げるんだね。いいんじゃないの」と悔しそうだった。

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バルデス(阪神・中日)

2024-12-20 13:48:10 | 日記
2002年
星野監督が聞けば、泣いて喜ぶような熱いセリフが口を突いた。黒のスーツに身を包んだバルデスだが、そのハートは真っ赤に燃えていた。「ジャイアンツとはライバル関係だと聞いている。何とかジャイアンツを倒したい」来日早々、いきなりの「G倒宣言」新守護神と期待される右腕は、すでにタテジマの宿命を知っていた。もちろん、星野監督が新守護神として期待していることも重々承知している。「他のメジャーのクローザーよりは球が遅いかもしれないが、もちろんやるつもり。監督にも教わりたいね」スピードは144㌔前後だが、スライダー、シンカーを駆使した投球術には絶対の自信を持っている。「85年以来、優勝から遠ざかっているのも知っている。何とか優勝したい。抑えなら球界1イニングを締めてみせる」V奪取のためなら粉骨砕身、その右腕を振るうつもりだ。


バルデスはどちらかと言えば、力でねじ伏せるパワーピッチャーではなく、キレで勝負するタイプだ。直球は90㍄(144㌔)程度と驚くほどの速さはないが、いわゆるシンキングファストボールでシンカー気味に落ちるのが特徴。スライダーとのコンビネーションを中心にチェンジアップを交えた投球は、制球もよく、日本向きと言える。マイナーでは主に先発で起用されていたが、エクスポズ時代の97、98年には中継ぎで、いい仕事をした。抑えのウービナ(現レッドソックス)への橋渡し役を務めた。起用法は星野監督がキャンプで見極めるだろうが、抑えよりむしろセットアッパーで使えばおもしろい。何よりメジャーでの実績と経験は大きな武器だ。気掛かりなのは、98年途中に右ヒジを痛め、その後、腱の移植手術を受けたこと。昨年はメジャーで9試合に登板しただけ。ブレーブスの投手層が厚いこともあるが、どこまで回復しているか。右ヒジの状態さえ万全なら、おもしろい存在だ。


2003年


今季先発ローテーションの1人として期待される新外国人バルデスがブルペン入り。捕手を座らせ、直球、シュート、チェンジアップ34球を投げた。「思っていたよりいいところに投げられた。いい感じ」と、口元を緩ませた。昨年の阪神時代は抑え役。先発としてのスタミナをつけるため、外国人投手にしては早いマウンドとなった。


先発はバルデス、山本昌らの予想。バルデスは前回第1戦に先発し、6回1失点と好投した。15日の横浜戦でも6回3失点。阪神時代の抑えから先発に回ったが、ペース配分や調整方法をつかみ、安定感が出てきた。得意のスライダーを低めに集め打たせて取り、打線の援護を待ちたい。

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リベラ(阪神)

2024-12-20 13:28:09 | 日記
1998年
ウオーミングアップでまず周囲を驚かせた。軽く投げたにもかかわらず、受けた西口ブルペン捕手は赤くなった左手を握りながら「145㌔は出てたと思うよ」と証言した。これを見た後だけに、風岡は恐る恐る打席に入った。フリー打撃の軽いムードなど、どこにもなかった。この風岡と続く星野を相手に合計65球。速球、シュート、スライダー、カーブと持ち球はすべて投じた。見逃しストライク6球、空振り1球、ボール28球、ファウル12球と、結果だけを見れば決して絶賛されるものではない。だが、球の速さと重さは十分に実証された。「確かに速いし重いです。みんなから球が荒れてくるゾって脅されてたんですが、荒れてこなかった」(風岡)「打ちづらい。威圧感がありますよ。コントロールもよさそうですね」(星野)安芸キャンプ中に両アキレス腱を痛め、大幅に調整が遅れた。明らかな投げ込み不足から、開幕不安説もささやかれた。そんな矢先、本人が「打者に投げたい」と志願してきた。折しも、第七の助っ人獲得のため、小林、三宅両渉外担当が渡米した日にだ。ド迫力のフリー初登板は、リベラの自衛本能が働いたからなのか。もちろん、この日の姿で序の口。「打たせようと思って投げただけ。力いっぱいじゃないよ。自分のボールを怖いと思ってくれたあありがたいけどね」調整不足の上に手加減してこれだ。暖かくなって完全に体が仕上がってくれば、より球威は増してくることを期待させてくれるフリー初登板。首脳陣が実戦登板のメドとするのは、十日後の十五日。この間、二軍で投げ込みと走り込みを行い、独自の調整を続ける予定だ。幸い、アキレスけんの状態も良好。「気持ちよかったよ。もう一回打撃投手をして実戦に投げられればいいね」ふさぎがちだった顔に一瞬笑みが漏れた。猛虎の怪人にようやく春が訪れようとしている。


(ウエートトレを終えると静かに安芸ドームの通路へ)
ー初めての投球だが。
「別にいつも通りだよ。感じはよかった。心構えも変わりはないしね」
ーブルペンでの投球がいつになるか分からないと言っていたが、今日になったのは?
「初日から投げるつもりだったよ。キャンプに来たのだから投げるには違いない」
ーこんなに囲まれるのは初めて?
「イエス。こんなに人がいると、やはり気を使ってしまうよ」
ー球種はどんなものを。
「直球にスライダーやシンカー、チェンジアップです。一日目にしてはいい出来だった。でも、ブルペンでいい球投げても仕方ない。感触をつかむだけだよ」


三日ぶりのブルペンでは変化球中心の投球だった。スプリットは低めに落ち、スライダーもキレは十分。初めて受けた矢野輝も「十分に三振は取れます。あの速球なら高めでもいけるし、落ちる球でもバットは振るはず」と証言。が、それ以上に最大の武器があった。「デカイ体にあの顔ですよ。打者にとってすごく近く感じるし、万一(150㌔の速球が)顔にでもきたら、と本能的に思ってしまうし(リベラが)にらむと、それだけで間違いなくびびってしまう」と断言。ウイニングショットは顔という球種のようだ。

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バルガス

2024-12-20 13:07:59 | 日記
2002年
バルガスはドミニカ共和国出身。1995年にインディアンスに入団。今季は22試合に登板して3勝2敗8セーブ。防御率2.31。150㌔近いストレートとチェンジアップ、シュートが持ち球。30日に来日する予定。背番号は未定。


来日初登板。「この日が来るのを待っていた」という。140キロ台半ばのストレートにシンカー、フォーク。低めへの制球もよかった。広島打線を幻惑したのは、腕の長さと柔らかさ。球持ちが長い分、球に伸びがあり、打者は差し込まれた。ブラックスネーク(黒蛇)というニックネームは、「球が微妙に揺れるところからついたらしい」とバルガスは言うが、巻き付いてくるようなその腕が、打者には一瞬、蛇に見えるのかもしれない。

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リベラ(広島)

2024-12-20 13:00:28 | 日記
1994年
広島は15日、ドミニカ共和国カープアカデミーから参加しているカルロス・リベラ・ヌーニェス投手(23)=185㌢、85㌔、右投げ右打ち=と選手契約を結び、支配下選手登録した。年棒四百万円(推定)背番号109。リベラは十三日に行われた紅白戦(沖縄)で2回を1安打に抑えるなど成長ぶりが認められた。「うれしい。ドミニカの家族にこのニュースを知らせたい」とリベラは喜んでいた。


ドミニカ野球学校出身のリベラが好投した。140㌔台のスライダーを武器に、2回を打者六人で片付けたほか、鋭いけん制で走者を刺すなど器用さも披露した。一度目のテストでも2回を無失点。「どんどん試してみたい。オープン戦で投げる機会もあるでしょう」と三村監督の評価も高まっている。支配下選手登録も済ませ、今後の結果次第では一軍入りも夢ではない。「1球1球に集中して投げたい。上(1軍)でやっていく自信はある」とリベラは希望に胸を膨らませている。


185㌢、85㌔の二十三歳。昨秋の初来日以来、長身から投げ下ろす140㌔台の速球と切れの鋭いスライダーで絶えず注目され、その評価を上げ続けてきた。二月十四日の紅白戦で2回を1安打無失点と好投し、五日には支配下登録された。「目的に向かってやってきたから、ここまでこられた」とリベラ。目的とはもちろん一軍入りだ。三村監督も「球に角度があるし、長い腕が遅れて出てくるので打者にとっては見にくい。試してみる楽しみが増えたよ」と評価している。認められているのは実力だけではない。「つらいとか、痛いとかいった弱音は絶対に口にしない」と上之通訳。まじめさに裏打ちされたハングリー精神もリベラの魅力の一つだ。カリフォルニア・エンジェルスのルーキーリーグに在籍していた三年前、4勝1敗と好成績を残しながら、突然の解雇。「ユニホームを着ている者はみんな敵。追いつくのではなく、追い越さなければ自分の名前はなくなる」一つの挫折が、強い精神力となり、今のリベラを支えている。パ・リーグの覇者・西武にも動じるところはない。「清原はいい打者。でも勝たないといけないし自信もある」ここまで順調に上り続けてきた階段。六日の結果によっては「六人目の先発」という次なるステップも見えてくる。


ドミニカ出身のリベラが初先発した。試合前、リベラはこわばった顔でベンチに座っていた。ひと目でひどく緊張しているのが分かった。「最初は緊張した」と言うがそんなものではない。通訳がちょっと漏らした「手が震えたらしい」というのが真相だろう。先頭打者苫篠への初球はストライク。広島ベンチからリベラ応援の大歓声。良かったのはこの瞬間まで。ボール球が続き、苫篠を歩かせるとストライクを取りにいく球を佐々木、パグリアルーロに連打された。併殺をあせった味方内野の失策。垣内の適時打で3失点。それでも二回からは立直った。二回、先頭打者宮地を投ゴロにとると、思わず出たガッツポーズにリベラがこの試合にかけていた意気込みがのぞいていた。三回には清原を「ボールになるスライダー」で空振りの三振にとった。「初回は直球を打たれた。二回から制球も良くなった。自分としては80%の力が出せたと思う。一軍に残れるよう頑張る」わずか3イニング、52球で結論を出すのは早計。しかし、ひょっとして意外な戦力になる可能性も十分に見せた初マウンドだった。


この日、出場選手登録されたばかりのリベラが初登板した。広島がドミニカ共和国に作った野球アカデミー出身の選手としては公式戦出場第一号。「緊張せず、リラックスして投げられた」とは言うものの、制球がもう一つ。二回に2点を失い、三回、先頭のオマリーに四球を与えて降板した。結局、打者十三人に被安打3、三振1、四球3の失点3、自責点2。記念すべきマウンドはわずか53球で、「もう少し投げたかった。残念です。次のチャンスを生かしたい」ほろ苦いデビューとなったが、初打席では打点を記録、プロとして一歩を踏み出したその表情は明るかった。


四か月ぶり、公式戦の二度目の先発マウンドを踏んだリベラは「先頭打者を四回も出塁させたしまった。もっと練習をしなくてはいけない」と口からは反省の言葉ばかり。「少し緊張していた」という初回はピンチを併殺で逃れ無失点。しかし逆に、「リラックスして投げられた」という二回以降につかまり、5回、4失点で降板。「もっと球種を覚えたい。マウンド上で自信をもって投げられるように頑張ります」と落胆した様子はなかった。

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面出哲志

2024-12-20 12:30:17 | 日記
1998年
二年続けて1回戦でJTを破ったNKK。大勝を支えたのは、三菱重工三原から補強された面出の左腕だった。先発の磯田(NTT中国)が不調で、3-2とされた三回一死満塁でマウンドへ。「村上監督の指示を覚えていない」というほど緊張していたが「長打を警戒して低めをついた」1ー1からボールになるスライダーで、投ゴロ併殺に切り抜けた。緩い球をうまく使って八回まで5回2/3を2安打、無失点に抑えた。崇徳高を卒業後、就職予定の会社の野球部が休部となり「野球をやめようと思った」縁あって昨年、三菱三原に入社。チームは中国予選で敗れたが、球種の多さが村上監督の目に留まり補強。初の都市対抗の舞台で好投し「自信になります」と胸を張った。

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クロフォード

2024-12-15 14:52:21 | 日記
1998年

前日薮田に続き、新外国人左腕クロフォードが、オープン戦初先発で先発ローテーション入りをアピールした。1㍍90と大柄でも手もラージサイズだが、趣味は鉄道模型。手先の器用さが自慢の男はカーブにスラーブ、シンカー、チェンジアップ、シュートと微妙に球速の違う五色の変化球を駆使。予定の5回を投げ、2安打無失点の5奪三振。

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リベラ

2024-12-15 14:49:49 | 日記
1998年
メジャー通算23勝17敗、防御率4.52だが、昨年は台湾の和信鯨棒球隊でリリーフエースとして活躍。シーズンを通して絶対的な信頼を確立、見事セーブ王に輝いている。2mの長身から投げ降ろされるMAX156㌔の直球は威圧感抜群。虎投の新・守護神として、その剛腕をふるう。


87年にプロ入りし、92年大リーグに昇格。93年にはフィリーズで13勝をマークして優勝に貢献。大リーグ通算23勝17敗、防御率4.52。昨年は台湾プロ・和信でストッパーとして活躍。49試合に登板して5勝5敗24S救援王。


110㌔の巨体・リベラが、初めて披露した47球で首脳陣をすっかり安心させた。一枝ヘッドコーチが納得の笑顔を見せる。「しっかりとしたフォームで投げていたし、全く心配しなくていいよ」威圧感のあるフォームからの直球に、スライダー、チェンジアップを交えての初投げ。ストッパー不在の阪神にようやく現れた守護神候補に、早くも抑え合格の二重丸がつけられた。


超高速シュートがベールを脱いだ!新外国人のストッパー・リベラ(前台湾・和信)がブルペン初登場。47球のうち暴投も2球あったが、受けた定詰は「いいですよ。真っすぐがきれいな回転で来ますしね。それにあのシュート、ストレートより速いですよ」と驚きの声を上げた。リベラ本人は「直球と同じ雰囲気のボールなんだ」と解説したが、2㍍の長身から投げ下ろす高速シュート。内角球克服に躍起になっている巨人・清原が果たして打てるかな?


2つの球種だけで合格ー。阪神の新・ストッパー、ベン・リベラ投手(29)が15日の巨人戦で、オープン戦初登板。6回から2番手として、1イニングを1安打に抑えた。両アキレス腱周囲炎のために出遅れていた巨漢右腕初の実戦。1死から渡辺に右中間二塁打を浴びたものの、清原、代打・広沢をいずれもスライダーで打ち取った。この日投げた球種は、MAX146㌔の直球と、スライダーだけ。「同一リーグだから、意図的に隠したわけじゃない。もう少し低めにストレートを集めないとね」シュート、フォークを温存しての18球。リベラの笑顔が初登板でつかんだ自信を表していた。


マウンドに立った怪人が凄みを見せた。身長2㍍、体重110㌔の巨体が一段と大きく見えた。中込の後をついで六回から上がったリベラのオープン戦初登板。期待のドミニ間・エクスプレスはMAX146㌔の速球とキレ味鋭いスライダー、二つの球種だけで巨人打線を手玉に取った。安打を許したのは渡辺の右中間二塁打一本。一死二塁で迎えた清原にはムービングファストボール気味の速球で空振りを奪い、最後は決め球の130㌔のスライダーで三ゴロに打ち取った。続く広沢もカウント2-2から縦に落ちるスライダーで空振り三振に仕留めた。単に球威とキレがあるだけでなく、ピンチに動じない精神力が素晴らしい。「気が弱い」「ノミの心臓」と言われた前評判を、自らのピッチングで封印したのだ。吉田監督が描く「リベラの抑え構想」と間違いなく現実のものとなるだろう。


1999年


開幕以来、150㌔のストレートと146㌔の快速シュートでパーフェクトリリーフ。4月は5セーブ、5月は4セーブと、6/18の対横浜戦ではじめての乱調。リベラ神話崩壊まで無傷の10セーブ。しかしその後もすぐに復調し、開幕当初を上回る気迫のピッチング。5試合連続セーブも含め、1982年に山本和行氏がマークした年間最多セーブ記録「26」を更新する、球団新記録「27」を達成した。全日程終了後の帰国会見では生涯一虎投を宣言し、安芸春季キャンプにも元気に合流。台湾時代にマークしたMAX156㌔の剛速球を復活、真・リベラ神話創造に賭ける。

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山口辰也

2024-12-14 23:51:40 | 日記
1985年
二つのアクシデントが、あきらめかけていた夢を現実に近づけてくれた。「高校(鹿児島・錦江湾高)時代から、野球でダメならこの道に入ろうと思っていたんです」それは歯科技工士への道だ。今季三年目、一軍入り目指して紅白戦でアーチを放つなど順調なスタートを切りながら右手首を練習中に骨折。加えて肩まで壊してしまい野球での夢は断念せざる得なくなった。そして決心したのがもう一つの夢。「英語と数学、国語。また勉強のし直しです」ー専門学校への願書も出し、あとは入学の日を待つばかりだ。


変わり種転向組


東利夫=パ審判
石本龍臣=競輪選手
定岡正二=タレント
福島敬光=読売銀行
加藤俊夫=スナック経営
稲葉進=犬の美容師
大河原栄=佐川急便
平田恒男=佐川急便
山口辰也=歯科技工士
永本裕章=スナック経営
木村勝=山元リース
葛川健司=板橋総合病院
長谷川達栄=長谷川農場
粕谷和彦=大阪府庁
林正広=パ審判

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ラミレズ

2024-12-14 23:42:29 | 日記
1999年
陽気なラテン気質そのままに終始、軽快なジョークが口を突いた。「セールスポイントは全部秘密だから教えられないよ」「今度、男の子が生まれたら阪神でプレーさせたいね」次から次へと繰り出される質問に、ちゃめっ気たっぷりに答えていたラミレズ。だが最後の最後、来季の抱負を問われた時にだけ、その瞳は本気度100%に変った。「もちろん期待が高いことは分かっている。10勝?明言はしたくないんだけど、出来ればもっと勝ちたいと思っているよ」MAXは149㌔だが、カーブ、スライダー、チェンジアップ、シンカーを巧みに操るメキシコの怪腕の実力はダテじゃない。メキシカン・リーグ通算73勝。勝率・695は同リーグの史上最高記録でもある。メジャー実績は通算53試合で2勝5敗1セーブと物足りないが、強打者ぞろいで有名なメキシカン・リーグで95、96年と二年連続ノーヒットノーランを達成した投球術は本物の気配を十分に感じさせる。「それに直球とカーブはどんなカウントでもストライクを投げられる」と制球難の心配もなさそう。また「何事も一生懸命にやるのがモットーだ。それに他人に負けるのが大嫌いなんだ」ハートの強さも相当なもの。高い技術に強じんな精神力。投手に必要な要素を、ラミレズは高次元で持ち合わせている。


2000年


メジャーでは2勝ながら、メキシコ・リーグでは2度のノーヒットノーラン。通算勝率・695は史上最高記録として今も残っている。149キロをポンポンと投げ込む姿は「メトラリーダ」英語で「マシンガン」の異名を持つ快速左腕がマウンドで火を噴く。

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服部裕昭

2024-12-14 23:32:56 | 日記
1985年
まだ非力なところはあるが、球離れが非常によく、小さな切れのいいカーブを持っているサウスポー。レベルの高い千葉ではベスト8が精いっぱいだったが、今春は銚子西と対戦し、敗れはしたが強力打線を1点に抑えた。ストレートは135㌔台だが、体が出来上がってくれば先発完投する能力を秘めた本格派。182㌢、74㌔。


まさかプロから指名されるなんて思ってもいませんでした。一応、住友金属に内定しているし…。結論は監督さん(高橋監督)や母(甫紗子さん)と相談して決めたいと思ってます。

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酒井光次郎

2024-12-14 23:24:51 | 日記
1989年
酒井が一番信頼しているのが、女房役の中西だ。松田総監督からも絶対の信頼を置かれているのも中西。試合前、松田総監督は酒井に直接コンディションを聞くことはない。すべて中西にたずねる。そして酒井も自分の状態をすべて中西に伝えておく。大学選手権の準決勝、法大との大一番の時だ。酒井は「きょうはアカン、オヤジ(松田総監督)に調子を聞かれたらアカンといってくれ」と中西にいった。だが中西もそのまま伝えることはできない。エースと監督の間で中西は悩んだ。そして「酒井の球は走ってなくても、オレがちゃんとリードしてやれば…」と思う。ストレート、カーブ、シュート、スライダー、シンカー、フォーク…と持てる球をすべて使って法大を12回完封に牛耳った。酒井の連続無失点の陰に中西あり。


1990年


2年連続して春の全日本選手権に優勝、昨年秋の明治神宮大会でも、東京六大学リーグの覇者立大を倒して日本一になった関西の雄、近大のエース。リーグ通算19勝をマーク、6季連続優勝の立役者になったのだが、高校、大学、社会人とあわせ「アマ球界№1サウスポー」との下馬評が高い多彩な変化球が「ボール半個分出し入れできる」といわれるほど見事にコントロールされ、80回1/3イニング無失点の快記録をモノにしている。野茂、潮崎らとの「新人王」争いが楽しみだ。


1991年


野球人とは思えない色の白さ。ナインは名前の「光次郎」をもじって「イロジロー」と呼ぶ。普通人と変わらない体格、まだまだ学生で十分通じる幼な顔とあいまって、背広姿の酒井は一流サラリーマンといった風貌だ。このやさ男がユニホーム姿でひとたびマウンドに立てば、大男をキリキリ舞いさせる刺客に一変するのだから面白い。圧巻は、投手陣にそろそろへばりがくる8月だった。5日のダイエー戦にプロ入り初のシャットアウト勝をおさめたあとも、ロッテ戦に完投、オリックス、ダイエー戦に連続完封と、この月、4試合に投げ、36イニングスで失点1という離れ業を演じたのである。大小2種類のカーブを巧みにあやつって討ち取っていくテクニシャンぶりは、これがルーキーか、と思えるほど心にくいばかりのマウンドさばきだった。勝って興奮することもなく、打たれて落ち込む様子もない。ただただ平静、冷静。静かなる男に2年目のジンクスって、あるのだろうか。


1997年


昨年痛めた腰の具合が心配されたが、再検査の結果を待って正式に合格。タイガースでは、若い先発陣を援護する貴重な中継ぎとして、プロ1年目に10勝をマークした左腕の完全復活に期待。

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川俣ヒロアキ

2024-12-14 13:10:45 | 日記
2002年
身長191㌢。ロッテ時代はパ・リーグ日本人最長身投手として注目されたが、在籍5年間で0勝と勝ちに恵まれず、昨オフに解雇。しかし阪神の入団テストでは、145㌔前後の角度のある投球を披露。佐藤コーチをして「直球はドラフトで獲るなら1億円クラス」と言わしめた。課題の投球術に磨きをかけて、再び先発の夢を追う。

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酒井弘樹

2024-12-14 13:01:31 | 日記
2001年
一昨年手術した右肘は完治。常時140キロ台後半のストレートとキレのあるスライダー、落差の大きいフォークで強打者を翻弄。ランナーを背負った背水のマウンドでも三振を斬ってとる剛球右腕に、ピンチに強い中継ぎとして大きな期待がかかる。

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今村文昭

2024-12-14 12:59:34 | 日記
2001年
青波に秘密兵器が誕生ー。昨年十月、投手に再転向したオリックス・今村文昭投手(23)が十一日、紅白戦に登板し、2回を1安打1三振無失点に抑える好投を見せた。本格的な投球練習からまだ日は浅いが、落ち着いたマウンドさばきに、首脳陣の評価も上々だ。「ストライクが取れるか、不安だった」(今村)という初登板だったが、カウント不利でもスライダーで簡単にストライクを奪った。そこに戎、加藤ら教わったシュート、MAX138㌔のストレートを効果的に交えて零封。「初めてにしては上出来」と白い歯がこぼれた。九州学院時代まで投手だった。三年の夏にはMAX145㌔の速球で熊本県大会決勝まで進出。だが非凡な打撃センスを買われ、内野手として95年ドラフト1位で入団した。当時はイチロー二世とも騒がれた。昨秋、投手への復帰を首脳陣から打診された際には「かなり悩んだ」というが、今は未練を断ち切り、投手一本の決意を固めた。立場はまだ二軍。今回はテスト登板だったが小気味いい。打者に臆せず向かって行く」と仰木監督も一軍昇格を示唆。「とにかくチャンスを生かしたい」まだまだ発展途上の今村が、青波投手陣に殴りこみをかける。

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