プロ野球 OB投手資料ブログ

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北村哲治 1976年退団選手

2025-02-15 13:59:46 | 日記
1977年
運命の日、街には「巨人優勝、長島監督の胴上げです」アナウンサーの絶叫があふれていた。昨年十月十六日、義父・服部繁さんは、このとき七十四歳の生涯を閉じた。大のお気に入りだった息子に「野球をやめて、茶道を継いでくれ」と短い遺言を残して。困った。迷った。考えた。スポーツ好きで育った若者に、茶道はまるっきり別世界だ。お茶といったら、熱い番茶をすすった思い出ばかり。なのに弟子を持つ師匠になんて…。北村哲治、二十七歳。岡山県の児島一高から関ケ原石材ー松久と転籍。軟式野球で腕前が認められ四十六年中日へ入団した。昨シーズンはバッティング投手。球界では裏街道を歩いてきた男の、たった一つの勲章は四年前の対大洋オープン戦だ。締めくくりの三イニングを投げて勝利投手となった新聞はもう古びている。「きれいさっぱりボールに未練を断ち切って、自分の人生が開けた気がしているんです」野球が「動」なら茶道は「静」そのものだ。けいこは正座からはじまった。走って息が切れる練習ならがまんはできたが、じっと座るのはつらいものだ。一回の茶席は約三十分間。しびれは足から頭の先までたちまちにのぼってくる。お点前(てまえ)を見るゆとりはあるmのか。全身マヒでひっくり返りそう。次は歩いてみろ、だ。入り口でおじぎをして、左足から入る。タタミ一畳は六歩のすり足で歩く、と決まっているらしい。野球出身の大男には少々規格がはずれているらしい。27㌢の大足は「前足でうしろの親指をふんで歩け」と教えられた。いやはや…。「なななんだって」ナインの反応は、わけがわからないといった表情やらゲラゲラ笑い出すまでさまざまだ。中川球団代表は「そんな選手は初耳ですね。風変りといっても変わりすぎている。体力と知名度を生かして、というのが再就職の基本的なケースなのだが…」と目をむいた。チームメートの星野や田尾らも「北村さんは比較的、静かなタイプの性格だったが、まさかねェ。ぼくらならとてもがまんできない」とこれまたびっくり。特訓を積んでいる松風流は、岐阜市民連盟に属し、弟子は四十数人を数えている。義兄の服部孝氏(31)と喜美子夫人のアドバイスで、ようやく初歩の立ち居振る舞いは本格的となってきた。「いくら家元といっても、おいそれと免許は渡せません。辛抱強くけいこをつんでくれないと。さあ、三年でしょうか。それとももっと」と先生役の孝氏は慎重だ。人生の再スタート。北村さんは「運転を覚え、また別の仕事にもついてみたい」と意欲的だ。茶道連盟は長良川で有名な岐阜の鵜飼祭りなど、年三回の茶会を開く。大型茶道家目指す若者デビューはいつの日か。


退団者のその後


巨人 
大竹憲治(26)内野手 スポーツ用具店に勤務中
岡昭彦(21)内野手 医療機械製造会社


ヤクルト
簾内政雄(32)投手 大洋塗装(株)
三橋豊夫(28)投手 立川市役所
水江正臣(23)投手 大分ヤクルト
竹口幸紀(22)投手 不明
長井繁夫(29)内野手 ヤクルト本社


中日
井手峻(33)外野手 協和工業
西岡三四郎(28)投手 ヤクルトテスト中


阪神
表浩太郎(24)投手 指圧師
松永知隆(23)投手 佐々木スポーツ
浅野憲一(24)内野手 会社員
玉城正富(23)内野手 輸入販売会社
崎山嗣盛(20)投手 自動車修理工
林真人(20)外野手 競輪学校
吉良修一(28)投手 魚河岸


大洋
長田幸雄(38)外野手 思案中


阪急
池田昭(22)投手 ガソリンスタンド
前川光春(20)内野手 近鉄テスト中
石田芳雄(22)投手 ライト工業


ロッテ
木樽正明(30)投手 自営
江藤慎一(40)内野手 病院経営コンサルタント
菊川昭二郎(32)内野手 自営


南海
野上俊夫(28)内野手 会社員
井口龍三(23)内野手 象印マホービン
山本利一(24)外野手 金融業


日本ハム
藤原真(32)投手 下着メーカー
小坂敏彦(30)投手 宝石商
坂井勝二(39)投手 自営
相本和則(28)内野手 会社員
後藤和昭(33)内野手 スポーツメーカー


近鉄
八重沢憲一(26)内野手 会社員
松村彰士(27)内野手 大和ハウス

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