プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中島弘美

2014-07-22 20:54:12 | 日記
1972年

西鉄グランドホテル一階、花の間で中島は緊張しきっていた。ちょうど一か月前、太平洋クラブの船出が発表された場所とおなじところだ。坂井代表、城島チーフ・スカウトらの笑顔とは対照的に中島の顔は真っ赤。こんなにたくさんの人に囲まれるのは初めてのことなのだ。しかし、ゆっくりと考えながらも、報道陣の質問にはしっかりとこたえた。「プロ野球のきびしさは覚悟しています。自分のすべてを出してがんばるだけです」力強くこういって、坂井代表をたのもしがらせた。甲子園大会に一度も出場しておらず、中央球界ではあまり知られていなかったが、スカウト間では、中島の力は高く評価されていた。ドラフト会議前、阪急を除く十一球団がプロ入りの意思があるかどうかの打診を行っているのをみてもわかる。今シーズンの成績は三十試合で26勝4敗。今年春の八代市長杯争奪戦高校野球大会で、水俣高相手に一安打、23奪三振というみごとなピッチングをやってのけ、中島の名は九州にひろがった。今夏の甲子園大会予選では、中九州代表決定戦で津久見高(甲子園で優勝)と対戦、真っ向から投げおろす内角ストレートを武器に好投したが、惜敗している。中島が本格的に野球を始めたのは中学校(本渡中)二年生からだが、本渡北小時代から新聞配達、牛乳配達を続けていたため足腰の強さは抜群。本渡市中学陸上大会の砲丸投げで13㍍76をマークしたが、この記録はいまだに破られていない。この日、発表の席には父親・丈四郎さん(68)は顔を見せなかった。病弱でずっと寝たっきりなのだ。そのため、一家をささえなければならない中島は、早くからプロ入りを決意していた。それだけに念願がかなってうれしさもひとしお。何度も「一位で指名されて光栄です」を繰り返した。交渉にあたった武末スカウトも「まだ荒けずりだが、きっとものになる」と期待していた。
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野崎恒男

2014-07-22 20:33:44 | 日記
1971年

野崎恒男投手・・富士重工 1㍍76、76㌔、右投右打、立正大出、和歌山県福町出身

同投手は立正大時代から速球派として注目されていたが昨年までは皆川(東映)の控えで一躍中央に知られるようになったのはことしになってから。夏の都市対抗では日立製作所の補強選手として出場。スリークォーターからのシュートは鋭く即戦力として期待されている。
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深代芳史

2014-07-22 20:19:06 | 日記
1966年

阪急の深代芳史投手(20)=群馬・沼田高出、1㍍81、69㌔、右投右打、二年目=は、二十八日のウエスタン・リーグ対阪神八回戦(西宮)でノーヒット・ノーランを記録した。同投手が出した走者は四球2、三ゴロ失の計三人。ウエスタン・リーグのノーヒット・ノーランは昨年九月の西川(広島)いらいで、同リーグ四人目。

深代投手「シュートがいいところに決まったので、決め球のカーブが生きたと思います。最近、やっとコントロールがついてきました。これまでフリー・バッティングで投げるとき、なんとかコントロールをつけたいと心がけてきましたが、その成果が出たと思います」
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辻野欣也

2014-07-22 19:45:19 | 日記
1966年

イースタンでは、毎年実績をあげている辻野が、毎年実績をあげている辻野が、今年も快調なピッチングを見せている。すでに7試合に登板して5勝1敗(完封1)。52回1/3イニングで防御率1.04は、文句のつけようがない内容だ。この辻野、兵庫県洲本実業高校から東京入りしてもう五年目。プロ球界随一の長身(1メートル88センチ)に恵まれながら気が小さく一軍入りすると、委縮して実力が半分位しかでないという内弁慶。辻野は、「二軍なら押えられる自信があるんだけど、一軍のマウンドに立つと意識しすぎてがぜんコントロールが悪くなる自分でわかっていながら、なかなか直せない」と首をひねっている。昨年、一軍の公式戦で投げたのは3試合、一昨年はわずか2試合だけ。首脳陣も、「体はでかいが、気が小さすぎる」と精神面の充実を望んでいるが今年あたりその壁を突き破れるかどうかー。
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高木孝治

2014-07-22 19:16:38 | 日記
1972年

高木孝治投手(20)=1㍍77、70㌔、左投左打、水城高出、ノンプロ日鉱日立 背番号55

・同投手は長身から投げおろすストレートが武器で、高校三年の春、茨城県予選ではノーヒット・ノーランを二回、平均奪三振十個という記録を持っている。ノンプロ時代は鈴木(現ヤクルト)の陰に隠れて活躍のチャンスがなかったが、左投手が鈴木、神部の二人しかいない近鉄は、その将来性を高く評価「リリーフ投手に育てたい」(岩本監督)と期待している。
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