1972年
西鉄グランドホテル一階、花の間で中島は緊張しきっていた。ちょうど一か月前、太平洋クラブの船出が発表された場所とおなじところだ。坂井代表、城島チーフ・スカウトらの笑顔とは対照的に中島の顔は真っ赤。こんなにたくさんの人に囲まれるのは初めてのことなのだ。しかし、ゆっくりと考えながらも、報道陣の質問にはしっかりとこたえた。「プロ野球のきびしさは覚悟しています。自分のすべてを出してがんばるだけです」力強くこういって、坂井代表をたのもしがらせた。甲子園大会に一度も出場しておらず、中央球界ではあまり知られていなかったが、スカウト間では、中島の力は高く評価されていた。ドラフト会議前、阪急を除く十一球団がプロ入りの意思があるかどうかの打診を行っているのをみてもわかる。今シーズンの成績は三十試合で26勝4敗。今年春の八代市長杯争奪戦高校野球大会で、水俣高相手に一安打、23奪三振というみごとなピッチングをやってのけ、中島の名は九州にひろがった。今夏の甲子園大会予選では、中九州代表決定戦で津久見高(甲子園で優勝)と対戦、真っ向から投げおろす内角ストレートを武器に好投したが、惜敗している。中島が本格的に野球を始めたのは中学校(本渡中)二年生からだが、本渡北小時代から新聞配達、牛乳配達を続けていたため足腰の強さは抜群。本渡市中学陸上大会の砲丸投げで13㍍76をマークしたが、この記録はいまだに破られていない。この日、発表の席には父親・丈四郎さん(68)は顔を見せなかった。病弱でずっと寝たっきりなのだ。そのため、一家をささえなければならない中島は、早くからプロ入りを決意していた。それだけに念願がかなってうれしさもひとしお。何度も「一位で指名されて光栄です」を繰り返した。交渉にあたった武末スカウトも「まだ荒けずりだが、きっとものになる」と期待していた。
西鉄グランドホテル一階、花の間で中島は緊張しきっていた。ちょうど一か月前、太平洋クラブの船出が発表された場所とおなじところだ。坂井代表、城島チーフ・スカウトらの笑顔とは対照的に中島の顔は真っ赤。こんなにたくさんの人に囲まれるのは初めてのことなのだ。しかし、ゆっくりと考えながらも、報道陣の質問にはしっかりとこたえた。「プロ野球のきびしさは覚悟しています。自分のすべてを出してがんばるだけです」力強くこういって、坂井代表をたのもしがらせた。甲子園大会に一度も出場しておらず、中央球界ではあまり知られていなかったが、スカウト間では、中島の力は高く評価されていた。ドラフト会議前、阪急を除く十一球団がプロ入りの意思があるかどうかの打診を行っているのをみてもわかる。今シーズンの成績は三十試合で26勝4敗。今年春の八代市長杯争奪戦高校野球大会で、水俣高相手に一安打、23奪三振というみごとなピッチングをやってのけ、中島の名は九州にひろがった。今夏の甲子園大会予選では、中九州代表決定戦で津久見高(甲子園で優勝)と対戦、真っ向から投げおろす内角ストレートを武器に好投したが、惜敗している。中島が本格的に野球を始めたのは中学校(本渡中)二年生からだが、本渡北小時代から新聞配達、牛乳配達を続けていたため足腰の強さは抜群。本渡市中学陸上大会の砲丸投げで13㍍76をマークしたが、この記録はいまだに破られていない。この日、発表の席には父親・丈四郎さん(68)は顔を見せなかった。病弱でずっと寝たっきりなのだ。そのため、一家をささえなければならない中島は、早くからプロ入りを決意していた。それだけに念願がかなってうれしさもひとしお。何度も「一位で指名されて光栄です」を繰り返した。交渉にあたった武末スカウトも「まだ荒けずりだが、きっとものになる」と期待していた。