プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺博文

2014-07-17 22:25:15 | 日記
1965年

巨人から移籍獲得した七森についで、左投手の補強に力を入れていた国鉄が十日前、阪急の渡辺博文投手(24才)=立命大出プロ入り三年生=を正式入団させた。金田放出後の国鉄には渋谷、七森、巽ら左投手がいるが、オープン戦でも一本立ちできるようなピッチングをだれも見せない。そこで林監督が、「若いわりにはなかなかピッチングをよく知っている」と、太鼓判を押して、渡辺をとったもの。渡辺は大倉山、湯之元キャンプにテスト生として参加。左腕投手という希少価値と、味のあるピッチングを買われて晴れて国鉄入りしたわけだ。渡辺は、「八日には女の子が生まれたし国鉄入団も正式に決ってホッとした。一年生のつもりでただ一生懸命にやります」と心機一転を期している。1メートル73、73キロと中柄の体つきだが、うま味のあるピッチングが林監督の手腕でどの程度磨き上げられるか。荒れ球の七森と渡辺、移籍してきたこの左腕コンビの活躍は楽しめる。
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団野富士夫

2014-07-17 21:14:07 | 日記
1965年

「まったく迷惑千万な話だ」と、西鉄球団の関係者を嘆かせている元西鉄選手がいる。というのは、去る八月十一日のこと。北九州市門司区星ヶ丘会社員・宮地日出人さん方で空巣を働こうとして、門司署員に捕まったコソ泥の団野富士夫(25才)が、元西鉄の投手であったからだ。この団野は現役時代、名の知られた選手ではなかったが、一軍のマウンドを踏んだ投手。五年前、退団した後は定職もなく福岡近辺をブラブラしていたが、やがて悪の道へ・・・というわけで、四年前にも一度、自転車ドロで臭い飯を食っている。西鉄としては退団した以上、何んら関係はないのだが、その都度元西鉄投手という恥かしい思いをさせられている。こんどの事件も何かと西鉄の名が持ち出され「またか・・・・」と関係者たちは渋い表情である。
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荒川巌

2014-07-17 19:31:24 | 日記
1965年

「本当にやったのかい?」イースタン・リーグで、荒川がノーヒット・ノーランを記録した・・と聞いたナインは、一瞬うたぐった。せっかくの好投も引き分けに終わったため、参考記録にとどまったとの情報を知らされて感心したり、残念がったりだった。「バックが1点でもとってやれば荒川の記録も正式なものとして残ったのに・・・」とトクさんこと飯田コーチはしきりにバックの貧打を怒る。当の荒川は胃をこわして長いことパッとしなかっただけに、「これだけ投げられたということで充分満足しています」と、前置きして、「前半は真っすぐがよく伸び、参考記録でもべつに残念という気持ちはありません」と記録に対しては、割に淡々としていた。荒川は、三年前ノンプロ清峯伸銅から西垣スカウト(現評論家)に見出された正統派の投手で、上手からの速球と垂直に大きく落ちるドロップが主武器。会津商時代には、一試合に25三振を奪ったという信じられないような表記録を持っている。
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安藤敏雄

2014-07-17 19:20:55 | 日記
1965年

西鉄の安藤投手は、芦屋高からプロへ入って六年目。独特の下手投げで、ユニークな存在として注目されたこともあったが現在はファームの試合で、もっぱらリリーフ役として登板している。安藤の欠点はコントロールが悪いことだ。ブルペンではそうでもないのに、マウンドに上がったとたん、制球力が狂う。「本当のフォームをつかんでいない。人のピッチング・フォームを真似ているから、どうしても自分に合ったフォームをマスターできない。いいところを吸収さえすればいいのだが。六年目だからそろそろ奮起して持ち味を生かしてほしい」と重松コーチは説明する。ファームのゲームでさえ、安定したピッチングができないのには重松コーチも頭を痛めている。五月末の南海一回戦に、リリーフで出てわずか1イニング投げただけで坂口、無徒にねらい打ちの連続のホーマーを喫し、六月一日の中日戦でも1イニングで失点1.相変わらずコントロールに甘さがあり、そこをつけ込まれている。ルーキーの池永が一軍で、これまた同じく尾崎がファームで重点起用される。中堅クラスの存在が脅かされているときだけに、ここらで奮起しなければ一軍へ上がる望みも絶たれるのではなかろうか。
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村上俊義

2014-07-17 19:14:53 | 日記
1965年

阪神の村上俊義投手は昨年度のウエスタン・リーグ最優秀投手である。福岡の東筑高からノンプロ・ブリヂストンタイヤを経てプロ入りバネはあるし、スピードも申し分ない。昨年は阪神投手陣を支えてウエスタン・リーグの優勝に貢献した。ところが球団では、この村上を将来性なしとみて手放した。理由はスピードがあってもコントロールに欠ける。ブルペンでいくらいいピッチングをしても、いざマウンドに上がったら力を発揮できない。しょせんはファームの投手と評価したからだ。だが、他の球団がほうっておかなかった。まず昨年暮に西鉄が、つづいて阪急がトレードを申し入れ、結局阪急入団が決まった。阪急入団のさい、岡野社長と西本監督に、同じところ西鉄で自由契約選手になった畑をとらないかという話が持ち込まれた。阪急の首脳部は畑と村上を天ビンにかけた。畑はキャリアでは申し分ないし、すぐにでも使えるかもしれないが、肩を痛めており、性格にも弱いところがある。それに、ちょっと年をとり過ぎている。これがひっかかった。それにくらべると村上には若さがあるし、球そのものに力がある。将来性の点では村上という結論に達して、村上をとることに決めた。阪神をクビになった村上がベテランの畑を押えて阪急入りになったというのは、いかにも面白い話だ。村上の性格は無口でおとなしい。無口の点では鎌田と双璧だといわれていたくらいだ。その村上が珍しくしゃべった。「いくらウエスタン・リーグでがん張ったところでダメだということがよくわかりました。今度は一軍で投げられる特色を持った投手になるよう努力します」
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