プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

竹田晃

2014-07-15 20:07:17 | 日記
1965年

国鉄にはテスト生上がりの有望株が多いが、大型バッターといわれる赤木のほかに、異色の本格派の右腕投手がいる。昨年秋のテストで、初めて硬球を握って合格したという竹田晃投手がそれ。一メートル八十三と図抜けた長身から思いきって投げ込む速球は、かなりのスピード。しかし、目下のところは大荒れで、竹田の相手をするキャッチャー連は「ヒーヒー」いってタマにとびついてばかりいる。このため大倉山の雨天ブルペンのトタンはドスン、ドスンぶっつけられて、かなりの被害をこうむった。そんな投げっぷりのよい竹田に対する首脳陣の評価は高い。「ゴムのボールから転向したばかりだから、荒れるのは仕方がない。体力あり、あれだけのスピードがあるんだから、鍛えようによっては面白いゾ」と、林監督も楽しみにしている。
中学は静岡だが、父親の竜一さん(四八)の勤める印刷工場の関係で東京に移ってきた。姉が二人の三人姉弟の末っ子である。おもしろいのは、国鉄のテストを受ける前に、東京オリオンズのテストで落っこちていること。山内(阪神)が大毎(東京)のテストを受けるまえに中日ですべり、吉田(阪神)も阪急ではねられた例がある。こうした過去の例から見て、「大物」になるかも知れないというわけだ。「目標は三年目で一軍にはいって投げること。それまでの二年間は、みっちりファームでピッチングをおぼえたいです。だから差し当たって、イースタンのマウンドが踏めるように一日も早くなりたいですネ。同じ軟式出身の土橋(東映)さんのような本格的なピッチャーになるのがボクの最大の夢です」と張り切っている。こういう竹田の希望どおり、三年目で神宮のマウンドが踏めるかどうかは疑問としても、そのやる気と、一度落とされたテストに再挑戦して、見事にパスした根性は買えそう。昨年の新人王になった高橋重も、入団した三十八年のキャンプではノーコン・シゲという異名をつけられていた。竹田もいまノーコンピッチャーといわれて、湯之元ではマシンより始末が悪いとキャッチャー連をヒーヒーいわしているが、、イースタンの開幕までにピッチャーになるかどうか楽しみな新人として注目したい。
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青木勝男

2014-07-15 19:27:56 | 日記
1965年

キャンプイン前に、昨シーズン限りで中日を退いた今津を採ったが、こんどは捕手陣に青木勝男選手(19)ー一メートル七十六、七十八キロ右投げ右打ちを獲得した。青木は、飯塚商の出身で、山口県のノンプロチーム山門鉄工にいたが、野球部が解散になり、ブラブラしているところを久野スカウトに拾われたもの。なかなか馬力のある選手で、白石監督もひょっとしたらモノになるといっている。ことし三年生の久保が著しい進境を示しているうえに、衣笠ががん張っているので、簡単に抜けそうにない。どうやら長尾が退団した穴埋めの戦力らしい。
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山田忠男

2014-07-15 18:59:38 | 日記
1965年

「レギュラーでないキャッチャーほど割りの悪いポジションはない」これがファームと一軍のかけ持ちになると、また大変だ。フウフウいったかと思うと夕方には一軍の練習の手伝いにかけつけなければならない。大洋の山田忠もその一人だ。山田は今シーズンでプロ入り五年目。宮崎県日南高時代から好打強肩のキャッチャーとして大いに鳴らしていたが、入団当時は日本一といわれた土井が捕手の座にすわっており、大型化を目指してからは伊藤が正位置を獲得。山田は一メートル六十八センチ、六十五キロという小柄な体が損をしてきたわけだが、バッティングは体の割りに長打力があり、昨年はイースタンでホーマーして2割7分8厘(126打数35安打)をマーク。今シーズンも一、二軍のかけもちをしながら二十日現在2ホーマー。打率は疲労がたたって、2割5厘(39打数8安打)と不振だが、イースタンではマスクをかぶり通している。
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米田敏美

2014-07-15 17:43:11 | 日記
1965年

稲尾に頼っていた西鉄は、ことしのキャンプで、若手を育てることに重点を置いた。この方針にしたがって、最も鍛えられたのがプロ三年生の米田敏美投手(二十一才)だ。三十八年春、秋田県十和田高から西鉄入りした本格派だが、1メートル76、73キロという標準型の体格のせいもあって、昨年まであまり注目されなかった。入団した年の三十八年は、西鉄が後半戦に優勝をかけていたため、当時のピッチング・コーチ若林忠志氏には注目されながら、使ってもらえなかった。昨年は武末コーチの下で6試合に登板し、0勝1敗という香ばしくない成績。しかし投球回数は八回にすぎないし、打者三十二人に対し被安打9、奪三振3、与四球1、失点3、防御率3・38という数字も、これで米田のすべてを評価するには不足である。オープン戦の前に中西監督は、「米田、安藤、杉町の中から一人か二人出てきてほしい」と語っていたが、この中ではやはり米田がレギュラー一番手。二月二十八日の対巨人戦に八、九回を投げた。代わりばな、王に左ホーマーをあびたが、その後は立ち直り吉田勝を左飛、堀田を遊飛、大橋を二ゴロに退け、九回も井上から二塁打2本を奪った塩原をシュートで左飛、高橋明を三振、柳田を遊飛に打ちとって試合を終わった。「王さんに打たれたのはシュート。外角にはずすつもりだったのが、ちょっと中に入った。でも、ホームランになるとは思わなかった」という。身上は速球だが、上位打者にはスライダーやシュートで向かっていく。「ボクの真っ直ぐは、自分でもかなり速いと思っているのですだからヘタな細工をするより真っ正面からズバリと投げ込んでいきたいと思っています。去年は前半、とくに夏場は絶好調だったんだけど、いい時に限って出してもらえなかった。後半になって、調子を落としたときに登板することになったのですだからことしは、いつ出されてもいいように、しっかりスタミナをつけておくつもりです」相当の自信家である。口数が少ないから、チーム内でもおとなしいとみられているようだが、細い体の内に秘めた闘志はそのピッチング同様に熱っぽい。キャンプでは、前半フォームをくずして苦しんでいたが、一週間ほどで調子をとりもどし、フリーバッティングでは、「速すぎるじゃないか」と、打者に叱られていた。そんな米田だから、当然中西監督の目にとまる。「ことし何勝なんて評価はできないけれど、使いようによっては相当いけるだろう。こいつがことしの秘密兵器だよ」キャンプ訪問の評論家たちにも米田の評判はいい。プロの打者がこわがりすぎてやたらに変化球を使いたがる若手投手が多い中で、米田のように、速球で勝負する投手は頼もしくみえるのだろう。だが大津コーチの採点はきびしい。「あの程度の体では、もっとフォームがまとまらないと馬力がつづかない。いまはボールを肩にかつぐようなフォーム、つまり腕のしなりだけで投げているような格好だが、もっと腰を入れて、前身の重みをボールにかけるようにしなくてはいけない。なるほど球は速いが、あの投法では、ボールが軽いのではないか。レギュラー選手として採点したら、まだ60点前後だ。これは経験が乏しいのだから、いうほうが無理かもしれないが、打者のカケ引きも、まだまだ甘い」同コーチのいうのは、王との勝負で負けたときのことだ。内角で攻めたあと外角に二球つづけて投げ、そのあと真ん中やや外がりでストライクをとったが、1-3から同じところに投げ込んで一発くらった。打者のこわさをまだ知らないわけだ。その米田は、こういう。「ボクがプロ入りしたお陰で、実家は生活に困っている。長男のボクは、早く送金できる身分になりたい。よくも悪くも、ことしで野球をやめる覚悟でやる。たとえこの腕が折れても投げまくってみたい」右腕をなでる米田には悲壮な決意がうかがわれる。田中勉、井上、安部、清、与田、若生の六投手を中心に、稲尾と池永、尾崎の両新人投手をからみ合わせるというのが、西鉄今シーズンのローテーション構想だが、稲尾の再起がまだ確定的でないうえ、新人二投手の実力もまだ未知数とあって、投手回転は非常に苦しい。そこでチャンスある米田にとって、ことしこそ秘密兵器として大いに暴れそうだ。
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山田直政

2014-07-15 16:03:48 | 日記
1967年

山田はことし春の岡山県大会で、関西高を七回までノーヒット・ノーランに押え注目され、大洋、広島からもマークされていた。落差の鋭いカーブは定評があり、通算成績は12勝4敗。
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松本正幸

2014-07-15 15:52:21 | 日記
1967年

昨年春の選抜甲子園大会に出場、四回戦で高知高に負けたが、本格派の速球投手として一躍スカウトに注目された。そのあとの春の九州大会では三回戦まで完封をつづけ、決勝でその春の甲子園大会で優勝した津久見高を破った。ことし三月、体育の授業中にラグビーで鎖骨骨折をしたためふるわず、夏の予選では準決勝で鎮西高に負けた。
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岩崎良夫

2014-07-15 15:17:03 | 日記
1967年

広島は二十四日午後二時から市内基町の球団事務所で登島球団重役(東洋工業専務)根本コーチ、木庭スカウトの立ち会いで交渉権を獲得した立正佼成会・岩崎良夫内野手(20)=1㍍73、68㌔、右投右打、作新学院出=の入団を発表した。同選手は、ハデさはないが、攻、走、守三拍子そろった堅実な選手で、とくにことしの選抜大会には一番で五割三分二厘を打ち首位打者になった。過去四十六試合の成績は打率三割二分、本塁打八本。ベース一周は14秒6。とくに二十五個の盗塁を成功させ、刺されたことは一度もないという俊足の持ち主である。守備も本来は二塁だが、内野ならどこでもやれる。「手薄な広島内野陣にとっては楽しみな選手」(根本コーチ)と期待されている。
岩崎内野手「古葉さんのようなタイプが好きなので、手本にして一生懸命がんばりたい。いまのところ自信とか抱負というのはありませんが、とにかくがむしゃらにがんばりたい」
木庭スカウト「同じノンプロからことしはいって活躍した産経の武上、大洋の松岡のようなハデさはないが、三拍子そろった好選手だ。わりに騒がれなかったのでウチにとっては幸いだった。ちょうど立正佼成会が解散するチャンスだった。大いに楽しみな選手です」
根本コーチ「内野手として欠点が少ない。スチールの成功率もよく、カンのいい選手で、実践的なプレーヤーだと思う」
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河村和茂

2014-07-15 14:45:59 | 日記
1968年

大洋は十四日午前十時から東京・丸の内の球団事務所でスカウト会議を開き、選択会議でもれになった神奈川県・向上高の河村和義捕手(18)=1㍍78、72㌔、右投右打=の獲得をきめた。同選手は神奈川県では評判の大型捕手。今夏の神奈川県予選では四回戦で横浜商に負けたが、四番を打ち、三試合で十三打数六安打の四割六分二厘をマークしている。すでに大洋の秋季練習に参加、テストを受けており、別当監督から「ぜひ入団させたい」という要望がでていた。
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島崎基滋

2014-07-15 14:23:09 | 日記
1968年

阪急は二十日午後三時から大阪・梅田の球団事務所でドラフト会議で第六位に指名した大分商・島崎基滋内野手(18)=1㍍75、72㌔、右投右打=と正式契約し、入団を発表した。この発表には渓間代表、藤井スカウト、義兄の大隈義行氏(大分東洋ゴム勤務)が出席した。契約金は六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)背番号は未定。
島崎は二年生からレギュラーで河原(西鉄)とともに夏の甲子園大会に出場、三塁手、九番打者として準決勝まで進出、その年の国体では準優勝した。最上級生のことしは四番を打ち、二年間の通算打率は四割八分台でホームラン十本、ベース一周14秒1と足も速く、好守、好打の内野手、三菱重工長崎に就職が決まっていたが、藤井スカウトが二度目の交渉で阪急入りにこぎつけた。
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中室幹雄

2014-07-15 13:47:12 | 日記
1967年

中室はベース一周14秒8。ことしも公式大会で35盗塁を記録している。通算打率は・360、7ホーマー。津山商はことし春の選抜大会の出場権を得ながら、生徒の不祥事から出場を辞退した。
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鎌田幸雄

2014-07-15 13:33:44 | 日記
1968年

大洋・入谷スカウトは十六日午後九時、大森工・鎌田幸雄投手(18)を横浜市中区北方町の自宅にたずね、母親タイさん(40)をまじえて話し合い、同投手の入団を正式にきめた。鎌田は今夏の東京都予選では四回戦で桜美林に負けたが、長身からの速球が武器。選択会議で四位に指名されたが、鈴木コーチの紹介ですでに大洋の秋季練習に参加、テストを受けて合格していた。

鎌田投手「まだ速球しか投げられないが、プロにはいったらコーチにアドバイスを受けていろいろおぼえたい。コントロールを身につけることがいちばんの課題だ」
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岡元勝幸

2014-07-15 13:21:27 | 日記
1968年

産経は二十一日午後、東京・有楽町の球団事務所でテスト入団の岡元勝幸一塁手(二三)=1㍍77、72㌔、左投左打、鹿児島高ーノンプロ立正佼成会ー大京観光=、武内国夫外野手(19)=1㍍72、67㌔、右投右打、大分県立日田林工出=を発表した。岡元は立正佼成会では金(中日)とともにクリーンアップを組んで活躍、黒江(巨人)が親がわりとなってテストに特別参加、合格したもの。大京観光では四番打者として打率三割五分、6ホーマー、40打点(六十試合)をあげている。武内は今季中盤から見習い選手として練習をつづけていた。
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雨宮捷年

2014-07-15 13:09:00 | 日記
1967年

選択会議でプロ球団から指名されなかった神奈川大・雨宮捷年(かつとし)一塁手(二二)=1㍍83、78㌔、右投右打、甲府商出=の近鉄入りが十日、決まった。同選手はノンプロ日軽金に就職が内定していたが、近鉄・須古球団部長の熱心な勧誘で近鉄入りに踏み切った。正式契約は日軽金の承諾をとり次第行い、十八日、大阪の球団事務所で入団発表をする予定。同選手は甲府商で巨人・堀内の二年先輩。当時から大型打者として注目され、三十八年夏の甲子園では右翼手で三、四番を打った。一回戦の武雄高(佐賀)二回戦の宮崎商に勝ち進み、三回戦で優勝した明星に敗れている。三十九年、神奈川大進学後は、鈴木監督のアドバイスで捕手から一塁手にコンバートされ四番を打ち三十九、四十一、四十二年の大学選手権で活躍した。今秋のリーグ戦でじは対関東学院大戦で横浜平和球場の左中間場外へ150㍍近くとばす大本塁打して、大洋、巨人、東京などからマークされていた。しかし三振か本塁打というバッティングの荒さのためドラフト会議ではどの球団からも指名されなかった。
近鉄では三輪田、石井と大学出の選手に入団を拒否されたため補強方針をかえ、須古球団部長が雨宮獲得にのりだし八日、東京、本郷の柳新館で同選手を説得、近鉄入りを内諾させ、内定していた軽金には九日、電話でこの旨を伝えている。今季ドラフト以外の選手でプロ入りするのは雨宮がはじめて。

雨宮選手「日軽金には非常に悪いのだが、どうせ野球をやるならプロでやってみたいと思っていた。ドラフト会議で指名されなかったので日軽金におせわになることにしていた。しかし須古さんがぼくの力を買ってくれ、なんとしてもきてくれといわれたのでプロ入りに踏み切ることにした」
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矢部祐一

2014-07-15 12:55:21 | 日記
1968年

福島県立田村高出身。高校時代は投手で四番を打ち、三年のとき、県大会で優勝している。四十年、オール常盤に入社するとおもにバッティングを買われ三塁手に転向した。ノンプロの通算成績は三十七試合、百四十四打数四十八安打、打率三割三分三厘、10ホーマー。ことしの都市対抗では富士鉄釜石に補強されて出場した。
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宮本孝男

2014-07-15 12:47:59 | 日記
1967年

竜ヶ崎一高のエース

東映がドラフト会議で第三位に指名した竜ヶ崎一高・宮本孝男投手(18)=1㍍80、74㌔、右投右打=の入団が五日内定した。東映の塚本スカウトが同日午後三時半から、竜ヶ崎市上町の自宅をたずね、本人と両親、実兄、それに竜ヶ崎一高、菅原野球部監督をまじえ約二時間半、四度目の交渉をした結果、契約金四百五十万円、参加報酬百二十万円(いずれも推定)で内諾を得た。同投手は切れのいいカーブを武器とした本格派。コントロールがあとひと息といわれているが、主将で四番を打ちバッティングも高く評価されている。正式契約と入団発表は来週の予定。
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