プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

倉橋寛

2014-07-26 16:46:56 | 日記
1972年

一度は失敗したが、何年か後にまた売り直すのをレコード界ではクリーニング歌手という。球界にもこれに似たクリーニング投手がいる。大洋の倉橋寛投手(26)で、高校(仙台育英)を出てすぐ南海に入団。三年でクビ。郷里の仙台でサラリーマンぐらしを三年つづけたが、好きな野球が忘れられずに昨年大洋のテスト入団した変わりダネだ。六月末のイースタン、対東映戦で完封勝ちしていちやく注目され、ようやく長いブランクから立ち直ろうとしている。倉橋にとって記念すべき日となった六月二十四日。イースタンとはいえ、プロ入りして初めて完封勝ちを果したその夜。六畳だけの間借りの家(川崎市・新丸子)に帰った倉橋の朗報を洋子夫人(21)は信じなかった。翌朝スポーツ新聞をみて夫のいうことがほんとうだとわかって、あわててごちそうの買い出しに飛び出したという。甲子園で滝川の芝池(近鉄)と投げ合ったのがただ一つの自慢のタネで、南海時代も二年目にウエスタンで3勝4敗だったというだけの球歴。第二の杉浦を目ざし下手投げ投手も、ほどなくガソリンスタンドの店員、タンク・ローリーの運転手、電機メーカーのサービスセンターの修理員とつぎつぎに変身しなければならなかった。このテレビの修理員のころ、喫茶店でサボりながら、何げなく手にしたスポーツ新聞で大洋のテスト生募集を知った。野球の虫がうずいて、矢もたてもたまらなかった。再スタート一年目の昨年はブランクと体力をとりもどすのでせいいっぱい。だが、ことしはちがう。テストで合格したとき64㌔だった体重がいま69㌔にふえた。キャンプの終わったあたりから多摩川で毎朝つづけたウサギとびとランニングのおかげで、足腰に見違えるような肉がついた。同県人のよしみもあって、倉橋をマークしていた島田コーチは「もともと投手としてのセンスはいい。これだけからだができるとこれからたのしみだ」という。シーズンはじめに宮崎二軍監督から「ことし実績をあげないとクビだぞ」と引導を渡されているから、必死だ。いま、何よりのはげみになっているのは東映・加藤捕手の活躍だ。高校時代バッテリーを組んだ仲で、ともに一度はプロ野球の世界から足を洗った間柄。「あいつがバリバリやっているとうれしくて・・・。ぼくも早く追いつきたいですよ」やはり東北人はねばり強い。
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松尾輝義

2014-07-26 09:27:54 | 日記
1972年

来季、真っ先に一軍入りしそうだとみられている巨人・松尾が先発。中村ピッチング・コーチはよく球筋をみきわめ、指導の参考にしようと、わざわざネット裏にやってきたところをみても熱の入れようがわかる。だが大乱調。得意のスライダーはボール一つ低く、カウントをかせぎにいったまっすぐをロッテ打線にねらわれ、一回三分の二を投げただけで3四球、三安打をかまされ、6点を失ってダウン。「一年のしめくくりだと思ってりきんでしまった」と松尾はいうが、このぶんでは一軍への道から一歩遠ざかってしまった。
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合田栄蔵

2014-07-26 08:57:59 | 日記

1965年

毛糸であんだお守り袋を首にぶらさげている。岩清水八幡と住吉神社でもらったお礼が二つ。信仰心もなければジンクスもかつがない男が、この夜は違った。「いまは調子がいいんだ。雨にでも降られたらこんどいつ出番が回ってくるかわからない。なんとしても今夜投げなければ・・・」自信もあったのだろうが、泣き出しそうな雨雲をにらみながらお守り袋に手をやり訴えるような口ぶりだった。三ゲーム半につまった西鉄との差。「マウンドにあがったらゲーム差など忘れてしまった。とにかく勝たなければと思った」という気持ちがプロ入り初完封に結びついた。「ぼくのピッチングと西鉄がもり返してきたということとはなにも関係がない。ただ大事な時期に投げさせてもらったことがうれしい。ベンチの期待を裏切らないように一生懸命投げる。それだけですよ」芽の出なかった五年間の下積みで合田はマウンドに立つ感激を一層大切にしているのかもしれない。男ばかりの四人兄弟の末っ子。二番目の兄、光利さん(32)が市立尼崎高で投手をしていた血筋もあるが「素質より努力がここまで引き上げた」と見る人が多い。近鉄の土井、高木は「あまりいいできではなかった」といいながら、同じような合田評をした。「外角に決まるスライダー、これで泳がされ、つぎにぼんやりしたカーブにやられた。外角を中心に得意のカーブを有効に使っていたようだ」これで通算近鉄には6勝1敗。合田は「近鉄さんとは顔を合わす回数が多かったから・・・」と逃げる。野口コーチは「剛速球でバッタバッタと三振をとるだけがピッチャーやない。相手打者によって組み立てた配球のリズムを持っている。長つづきする投手に成長したといえるな」という。あと東京に勝てば全球団から勝ち星をかせぐことになる。残り二十二試合がすべて優勝に結びつく。チーム事情の中で合田の右腕は「たよりになる」と見るのは戸倉勝城氏。そんな賞賛の声を受けて合田はとまどっている。初めてのナインのバスを待たせ拍手で迎えられ、プロ入り六年生もペコペコ頭をさげどおしだった。
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