プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

合田栄蔵・久代義明

2019-12-21 14:56:18 | 日記
1960年

兵庫県下はもちろん全国高校野球界で有数の好投手として注目されていた県尼崎高の合田栄蔵投手(18)=三年=は三十一日、プロ野球南海ホークス入りを決定した。同投手は一年生のときから各球団スカウトにマークされ、今夏の予選終了後も何相、西鉄、東映の三球団から熱心な誘いを受けていたが、九月末南海鶴岡監督に説得されたのと、同投手が南海のチームカラーを好んでいたため、スムーズに南海入りが決まった。合田投手は一年秋から早くも県尼崎のエースとして登板、秋の県高校野球に優勝し、準々決勝で優勝候補の高知商を完封するなどの活躍で準決勝へ進出した。さらに今春の県大会では対兵庫高戦でノーヒット・ノーラン試合を樹立するなど活躍して優勝、近畿大会でも海南、宮津を完封して優勝投手になっている。やや上背(1㍍70)に恵まれていないが、マウンド経験からみてプロ野球でも十分活躍できる素質をもっている。とくにコントロールがよく、カーブ、シュートにもスピードを秘めている。正式契約は今月中旬の予定。なお同校の長幡外野手は先に阪神入りを決定している。また県下で屈指の好捕手として注目されていた三田学園高の久代義明捕手(18)=三円=も三十一日、プロ野球大阪タイガース入りを決定した。同捕手は長打力を誇る強打の持ち主で、今夏の予選前からすでに阪神をはじめ大洋、西鉄、広島、阪急の五球団にマークされていたが、同捕手が早くから地元である阪神を希望していたため、阪神入りが実現した。同選手は一年からレギュラーとして夏の予選に出場、二年から捕手に転向して四番を打っていた。今夏の予選では不振だったが、予選前に6ホーマーを放つ強打ぶりをしめした。なお身長は1㍍70、体重は76㌔。正式契約は近日中に行なう。
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日野美澄

2019-12-21 12:05:10 | 日記
1956年

中日入り内定の農大の花形選手、日野美澄遊撃手(21)=徳島県鳴門高出身=は十八日午前十一時から名古屋市の中部日本新聞社で小山中日球団会長との間で正式に契約調印した。六大学野球二十九年春のリーグ戦で首位打者となった。五尺六寸、十七貫。

日野選手談「パ・リーグの球団からいわれたが、中日のカラーがすきで、できるなら入りたいと思っていた。その矢先、球団の先輩からさそわれたのですぐ決意したわけだ。入団後はやはり遊撃手をやりたい。ただ大学とちがってプロの投手は球質が多いので打てる自信などはない。競争のはげしい世界だから真剣にがん張ってみたい。これからキャンプ・インするまでは主にランニングとバットの素振りをやる。とにかくいまのぼくには力をつけることが先決だ」
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大黒正一

2019-12-21 11:56:54 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは二十八日午後大黒正一外野手(21)=右投げ右打ち1㍍73、70㌔=と契約を行なった。同選手は三十五年愛媛県八幡浜高卒業後阪神タイガースに入団、ことし十一月自由契約選手になったもの。今季のウエスタン・リーグでの成績は、41試合、146打席、133打数、34安打、54塁打、本塁打4、打率・256、出塁率・317。

阪急・岡野代表の話 本人からの申し出で、テスト生のような形で契約した。ところが調べてみるとなかなか成績もよく、俊足とわかった。阪神がなぜこのような優秀な選手を手放したのかわからない。いわば各球団が気がつかなかった選手を取れたというところだ。二軍コーチ連中も将来性はじゅうぶんあるといっている。
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内山正博

2019-12-21 11:44:23 | 日記
1990年

63年の社会人日本選手権で準優勝に輝いた本田技研熊本のエース。昨年は全日本のメンバーに選ばれ、対キューバ戦にも出場している。サイドハンドから右打者のひざもとにくいこむシュートを武器に、外角へのスライダーでゆさぶる粘っこいピッチングが持ち味だ。その球歴、年齢からいっても即第一線出場を狙っている。
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黒木幹彦

2019-12-21 11:43:12 | 日記
1965年

西鉄は九日、黒木幹彦内野手(25)を任意引退選手とし、同選手が東京オリオンズ入りを希望しているので、近く正式に話し合いをすすめる。昨年十二月二十五日、第一回の契約更改の話し合いで約20%の減棒を言い渡されていた黒木は、その後球団の呼び出しにも応ぜず、球団に姿をあらわさなかった。このため十日までこなかった場合は自動的に任意引退選手にする方針だった。だが黒くは九日正午、天神町の球団事務所で川崎球団重役と約三十分話し合い「こんなに減棒されるのでは西鉄と契約できない。旧知の濃人コーチのいる東京オリオンズで働きたい」とトレードを希望した。球団ではまだ正式態度をきめていないが、この日黒木は任意引退の同意書にサイン。西鉄ー東京の話し合いを持つことになった。

黒木選手「これ以上西鉄にいてものびない。中日時代世話になった濃人さんのいる東京で働きたいので球団に話し合いを進めてくれるようにたのんだ」

川崎球団重役「まだ修行中の身で、ウチでは働けない。ほかのチームでプレーしたいというような言いぶんはどうも感心しない。東京に話してみてもどうなるかはわからない」
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