プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岩本勝

2019-12-27 11:30:32 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは六日西宮球場での阪急対東映ダブル・ヘッダー終了後、球場内インタビュー室で、岩本勝投手=(17)山口県立豊浦高在学中、1㍍78、78㌔、左投げ、左打ち=の入団を発表した。同選手は本年度の春の選抜大会に投手として出場、一回戦で鎌倉学園に敗れたが、優秀な投手として多くの球団からねらわれていた。また打者としても三番を打ち、通算打率・371を残している。背番号は未定。
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石原碩夫

2019-12-27 11:23:46 | 日記
1964年

東映は十六日午後四時、東京・京橋の球団事務所に、ただひとり残っていた未更改選手の石原碩投手を呼んで話し合ったが、かねてから決めていた「引退して家業(牛乳店)をつぎたい」という本人の意思が堅いため、任意引退選手にすることを決めた。同投手は三十六年六月、ノンプロ東洋紡岩国から東映に入団。下手投げの有望選手として期待され在籍二年半で通算2勝2敗の成績。なおこれで東映は全選手の更改を完了した。
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吉成昭三

2019-12-27 11:17:13 | 日記
1963年

巨人はこのほど秋田高の吉成昭三投手(17)=175㌢、74㌔、右投げ右打ち=を獲得した。同投手は全国大会には出場していないが、秋田商のエースで速球派、足の速さは県内随一だった。八月、一時はノンプロ熊谷組への就職が内定していたが、本人のプロ入りの意思が強いのと日本テレビの仲介で巨人が勧誘。さる八月上旬、多摩川球場で川上監督、中尾コーチ立ち会いでテストを受けた結果、合格し、このほど正式に巨人入りが決まったもの。

巨人佐々木代表の話 テストの結果、結論やれるという話はきいていたが、ノンプロに内定していた事情もあって、のびていた。スカウトの話では、本人がウチにきたいといっているから心配はないということだった。

兄順一さんの話 本人がプロでやってみたいというのだから、意思を尊重してやることにしました。プロ入りか就職かをよく考えたが、弟はやっぱり巨人入りしたいとのことだった。
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田中調

2019-12-27 11:09:39 | 日記
1963年

東映フライヤーズは高松高の田中調(みつぐ)投手(左投げ左打ち1㍍75、64㌔)を獲得した。田中投手は今夏の北四国予選の準決勝で代表校となった西条に延長戦の末敗れたが、昨年から四国随一の左腕投手としてプロ球界から注目されていた。速球はこれまで一試合平均13個の三振を奪い、将来を期待される本格派、東映、南海、阪神、大洋から勧誘をうけていたが、東映の熱心な誘いに当初の進学の希望をまげて東映入りが決定したもの。

実父鹿市さんの話 本人はあくまで進学するというので南海さんにはそう伝えていた。しかし東映の熱心な勧誘に本人も同じ野球をやるならとプロ入りに踏み切った。東映は私もファンだし、チームについては申し分ないので喜んでいます。

東映荒井スカウトの話 田中投手は夏の予選、準決勝で西条高に惜しいところで敗れたが、西条の石川投手と投げ合った左腕で本格派の投手だ。素質は申し分ない。ウチにきてもらえるだろう。
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福富邦夫・細田正彦

2019-12-27 09:17:52 | 日記
1964年

国鉄は十日午後四時、東京・有楽町の球団事務所で福富邦夫外野手(21)=神奈川大三年中退、1㍍78、75㌔、左投げ左打ち、細田正彦投手(17)=山梨県市川高、1㍍77、70㌔、右投げ右打ちの入団を発表した。
福富選手が在学中に記録した通算打率は・420。攻守走三拍子そろった好選手として注目され、西垣技術担当重役が、早くから交渉していた。ことし六月、神宮球場で行われた全日本大学野球選手権大会の直前にプロ入りがウワサされ、同選手は、自発的に出場を辞退している。細田投手は横手投げの好投手。とくに奪三振が多く、一試合平均10個を記録している。なお同選手とも背番号は未定。
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