プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川端英文

2019-12-28 22:07:55 | 日記
1963年

巨人軍ではこのほど川端英文投手(17)=身長1㍍78、体重67㌔、右投げ右打ち、伊東南中卒=を練習生として採用した。川端君の父親富次さん(41)=伊東警察署勤務=の友人が荒川コーチと知り合いである関係から採用が決まったもの。巨人では土山吉晴君についで二人目の練習生。なお川端君は大田区鵜ノ木町の私立東京高校定時制に入学することも決まった。

川端君の話 練習のお手伝いをしながら野球の勉強をできるのでうれしい。学校にもいかせてもらえるのだし、一生懸命やります。お父さんも許してくれました。
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小川健太郎

2019-12-28 12:46:25 | 日記
1964年

中日ドラゴンズは七日、球団事務所でノンプロ立正佼成会の小川健太郎投手(28)=明善高出=の入団を発表した。同投手は二十九、三十年東映に在籍したことがあり、プロ球界には九年ぶりのカムバック。三十六年から立正佼成会に移り、通算成績は34勝17敗で、横手からのキレのよい変化球を持ち、ショートリリーフに予定されている。1㍍77、65㌔、右投げ右打ち、背番号は59。
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岩上江笠

2019-12-28 10:12:45 | 日記
1963年

はなばなしい打撃戦を展開したが、近鉄が七回まで毎回のように安打を放ち、岩上の好リリーフもあって快勝。岩上はプロ入り初勝利を飾った。

岩上は二回以降内角へのシュート、外角カーブのコンビネーションよく六回石井晶に右前打されただけ。完全に阪急打者を牛耳った。

近鉄別当監督の話 また先手を取られたが、岩上が阪急の打線をうまくかわしてくれたし、よく打ったよ。きょうは効果的に点が取れたのがよかった。

近鉄岩上投手の話 ブルペンでは調子はよくなかったので丹念に低目をねらって投げた。シュートに効果がありました。八回そのシュートを全部ねらわれましたが、もっと楽に九回まで投げられるようにならねば…。
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久保祥次

2019-12-28 09:04:21 | 日記
1962年

セ・リーグ広島カープは三日久保祥次捕手(20)=広陵高、広大医学部勤務=の入団を正式発表した。1㍍74、75㌔、右投げ右打ち、背番号40。同選手は八月二十八日の新人テストに合格したもの。
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古田忠士

2019-12-28 08:51:36 | 日記
1964年

大洋球団は二十八日、古田忠士遊撃手(17)=早鞆高、右投げ、右打ち、身長1㍍72、体重65㌔=の入団を発表した。同選手は今夏の高校野球山口県予選で下関商池永投手から2安打を放ち1-0で快勝する因をつくり、注目を集めた。さらに甲子園大会では主将、三番打者として15打数、6安打、打率4割をマーク。攻、守に抜群の力を発揮して早鞆高決勝進出の立て役者となった。
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上別府幸一

2019-12-28 08:41:14 | 日記
1964年

西鉄ライオンズはこのほど軟式野球界から上別府幸一投手(17)左投げ、左打ち、180㌢、68㌔=を獲得した。同投手は宮崎県高千穂町にある日本ジャスパー興産のエースで、三十八年の国体軟式野球で全国優勝した経験がある。ことし八月ウエスタン・リーグが大分に遠征した際、重松コーチが知人に紹介され、平和台球場でテストした結果入団が決まったもの。同投手は二十日から平和台球場で行われている西鉄秋季練習に参加している。
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