1962年
東映・水原監督は二十三日午前、東京大田区調布南町の自宅に宮沢スカウトを呼び駒大・三沢今朝治一塁手の獲得について話し合った結果とることにきめた。同選手はすでにノンプロ熊谷組入社が内定しているが、三沢は東映入りを希望。松商学園の先輩宮沢スカウトにその希望をもらしていた。しかし東映では早大・鈴木(悳)選手の入団がきまっていなかったことと「一塁手は二人も必要がない」という意見が球団の中にあって決定がのびのびになっていた。三沢選手は近日中に熊谷組の了解を求めたうえ、東映と契約を結ぶことになっている。
三沢選手「熊谷組にお世話になる予定だったが、できるならプロ野球で自分の力をためしたかった。シーズン中に西鉄の伊藤スカウトと東映の宮沢さんから話があったのでプロでやることに決心した。宮沢さんは松商学園の先輩だし、東映に親しみを感じていたので入団したいと思っていた。幸い希望通りになってうれしい。熊谷組とは話し合って円満に解決したい」
三沢今朝治 松商学園出身。松商では三十三年夏の選手権大会に出場、三十四年高校の先輩小林監督に誘われて駒大に入学。一年のときからリーグ戦に出場したが、故障がつづいてレギュラーになったのは昨秋から。そのシーズンに四割二分二厘で首位打者になった。今春は三番に抜てきされたが、苦手の外角球をライトに流すことをマスターして四割三分五厘で再び首位打者になり、エース泉とともに駒大初優勝の原動力となった。秋は三割六分五厘(打率二位)で惜しくも三シーズン連続首位打者の記録をつくることはできなかったが、三シーズン連続ベスト・ナインに選ばれた。長打力(今春2ホーマー)があるわりにやわらが味あるバッター。1㍍72、73㌔、左投左打、二十三歳。
東映・宮沢スカウト「水原監督と会って、三沢君のことについて話し合い、きめた。素質のある選手なのでプロにはいっても十分やっていけると思っている」
駒大・小林監督「三沢が東映にはいることは宮沢スカウトから聞いた。彼は熊谷組に入社が内定していることでもあるし、問題のないように、そちらの方(熊谷組)をきれいにかたづけてから東映にはいりたいといっている。本人がプロでやりたいと希望していたが、その夢がかなえられたのだからよかった」
東映・水原監督は二十三日午前、東京大田区調布南町の自宅に宮沢スカウトを呼び駒大・三沢今朝治一塁手の獲得について話し合った結果とることにきめた。同選手はすでにノンプロ熊谷組入社が内定しているが、三沢は東映入りを希望。松商学園の先輩宮沢スカウトにその希望をもらしていた。しかし東映では早大・鈴木(悳)選手の入団がきまっていなかったことと「一塁手は二人も必要がない」という意見が球団の中にあって決定がのびのびになっていた。三沢選手は近日中に熊谷組の了解を求めたうえ、東映と契約を結ぶことになっている。
三沢選手「熊谷組にお世話になる予定だったが、できるならプロ野球で自分の力をためしたかった。シーズン中に西鉄の伊藤スカウトと東映の宮沢さんから話があったのでプロでやることに決心した。宮沢さんは松商学園の先輩だし、東映に親しみを感じていたので入団したいと思っていた。幸い希望通りになってうれしい。熊谷組とは話し合って円満に解決したい」
三沢今朝治 松商学園出身。松商では三十三年夏の選手権大会に出場、三十四年高校の先輩小林監督に誘われて駒大に入学。一年のときからリーグ戦に出場したが、故障がつづいてレギュラーになったのは昨秋から。そのシーズンに四割二分二厘で首位打者になった。今春は三番に抜てきされたが、苦手の外角球をライトに流すことをマスターして四割三分五厘で再び首位打者になり、エース泉とともに駒大初優勝の原動力となった。秋は三割六分五厘(打率二位)で惜しくも三シーズン連続首位打者の記録をつくることはできなかったが、三シーズン連続ベスト・ナインに選ばれた。長打力(今春2ホーマー)があるわりにやわらが味あるバッター。1㍍72、73㌔、左投左打、二十三歳。
東映・宮沢スカウト「水原監督と会って、三沢君のことについて話し合い、きめた。素質のある選手なのでプロにはいっても十分やっていけると思っている」
駒大・小林監督「三沢が東映にはいることは宮沢スカウトから聞いた。彼は熊谷組に入社が内定していることでもあるし、問題のないように、そちらの方(熊谷組)をきれいにかたづけてから東映にはいりたいといっている。本人がプロでやりたいと希望していたが、その夢がかなえられたのだからよかった」