プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

木村昌広

2022-07-03 09:52:11 | 日記
1998年


木村選手は入社後、1㍍92の長身から投げ下ろす速球とフォーク、スライダーを武器に頭角を現した。


2000年
マウンドに立つと191㌢の長身が一段と際立つ。「持ち味はストレートとフォークのコンビネーション」と本人も語るように、長身から投げ下ろす140㌔台中盤のストレートは威力十分。フォークの落差も大きく、三振の取れるタイプの投手だ。1年目の昨季は、調整法の面で戸惑いがあったと振り返る。無理をした結果、右肩を故障し不本意な成績に終ったが、今年はそのケガも完治。調整方法もつかみ、体づくりの面でもようやくプロの環境に慣れてきたという。8月5日現在、13試合に登板して4勝2敗1セーブ、防御率3.66とまずまずの安定感を示している。体力的にもプロでやっていける自信が付いてきたことが、結果につながっているのだろう。現在の課題は、左肩の開きが早いということ。佐藤二軍投手コーチも「楽をして投げ過ぎ。もっと体の開きを我慢して体重移動してほしい」と注文を与えている。今季は一軍に2度上がったが、いずれも結果が残せずにすぐに逆戻り。「欲しいところでストライクが取れるボールがなかった」と反省していたが、カウントを取れるボールにこだわる必要はないだろう。常に勝負球のつもりで投げないと、せっかくのチャンスに自分の持ち味を出せないままに終わってしまうことになる。後半戦の目標は一軍に定着することという木村。現在、オリックスは優勝争いのさなかで、投手不足という厳しい状態が続いている。これは、木村にとっては願ってもないチャンス。チームメートには、戎といういい刺激になる先輩もいる。十分化ける可能性を持っており、1つ勝てれば、一気に台頭も考えられる。このチャンスを逃さず、将来的にはローテーションの一角に食いこむような投手に成長していってほしい。

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湯口敏彦・高橋幸広

2022-07-03 09:37:11 | 日記
1970年


守りを受けて絶つのが、大会屈指の左腕投手といわれるエース湯口敏彦選手。一年生からエースとしてマウンドを踏んだ。昨年は県内で、パーフェクトゲーム一、ノーヒットノーラン二を記録した。180㌢の長身、まだあどけなさの残る湯口君はまじめな性格。だが、マウンドに上がりとキリリと表情がひきしまってナインの闘志を呼び起こす。その左腕がふりかぶり、上手投げからインコース低目へうなりを生じて飛び込む豪速球の球威は参加二十六校の投手陣のなかでも随一。落差の大きいドロップ、意表をつくナチュラル・カーブ。そのタマの重さは超高校級だ。先の甲子園での練習でも打者の手元へきてグーンとのびるタマ、あれネちょっとプロ級だよとスポーツ記者仲間の湯口評だった。まさに巨人の星ならぬ岐阜の星・湯口だ。控えの高橋幸広(右翼手)は中学時代は県一の投手だった。高橋君は投手よりも五番を打つチーム随一のスラッガーとして生きてもらいたいもの。


控えの高橋は直球が低目に決まり出し、今大会の登板も考えられ、投手力に余裕を見せている。


エース左腕湯口は180㌢の長身から投げる内角ひざもとに突く直球と、大きく曲がるカーブに威力がある。県予選でははじめて先発し、岐阜商打線を三安打に押え、三振9個を奪う好投をみせた。彼の欠点だった立ち上がりのコントロールの悪さが解消されたのは大きな進歩である。控えの高橋は湯口がいるだけに登板する機会が少なかったが、県春季大会以来、先発投手として活躍、県予選でも湯口を助けた。右腕からの直球は伸びがある。しかしまだコントロールにやや甘さがみられる。


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空谷泰

2022-07-03 09:10:23 | 日記
1954年


空谷の速球は全部シュート、外角へスライダーするので「巨人も手こずる」と天知監督は太鼓判を押す。

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小沢祐規

2022-07-03 09:04:52 | 日記
1984年


背番号62 打撃捕手
昭和36年9月7日生=23歳、右投右打、183cm、83kg
静岡 拓殖大ー大洋(59外)=1年
昨秋、大洋の新人テストを受け不合格。練習生として頼み込んだ頑張り屋。

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宮下信明

2022-07-03 09:03:52 | 日記
1950年
第七回戦が打撃戦の花と咲いたのに比し、この八回戦は輝ける投手戦であった、宮下がのびのある直球に鋭いシュートとカーブを交えて松竹の打棒に立ちふさがれば、真田は剛球の威力に中日の進撃をはばんで許さなかった…

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木村博

2022-07-03 09:00:33 | 日記
1952年


むしろ左の新人では木村が巧味のあるシュートでいち早く星を稼ぐように思われる。

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藤野光久

2022-07-03 08:56:22 | 日記
1951年
名古屋ドラゴンズでは十二月十六日、東都ノンプロ界切っての強打者藤野光久選手(26)と正式に契約を完了した旨発表した。藤野選手は台南師範では庭球戦手として活躍昭和十六年に全日本№1にランクされるほどであったがその後野球に転じ熊本ペアーズで投手、外野を勤め投手としても外野手としても強打は定評があった。昭和二十四年明治座へ引抜かれ常時四番を打ちノンプロ界では屈指の強打者ぶりを発揮した。今年は投手としては十三勝一敗、打者としては三割七分、昨年は松竹が狙って失敗、今シーズンは大映国鉄、阪神、近鉄など猛烈なさそいのうちに同校を注目されていたが名古屋入りと決定した。


1952年


名古屋の藤野はシュートと落ちる球で前半阪神を抑えていたが、六回の失点から不調となった。


大洋は七回まで藤野のカーブとシュートにほんろうされ4安打を散発しただけだったが…

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