プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

服部受弘

2022-07-30 16:53:36 | 日記
1950年
第十八節北海道シリーズにおける中日全勝はファンの胸に深く垂れこめた暗雲を一気に吹き払う快さを持っていたしかも数あるその原因の中で一きわ光彩を放つのは全員の猛打、服部、杉下の快投である、こうして服部投手は一抹の不安を感じさせた過去三ヶ月からみごと脱却堂々十二勝五敗(第四位)と中日のエースたる貫禄を十二分に発揮するに至った。本名ツグヒロ、通称ハッチャン、勿論十年戦手である服部投手は今年三十歳、三河の国は岡崎中学の出身でもとを正せば名古屋軍の捕手、監督竹内氏の手によって投手へ転向しリリーフ投手として定評があったのは余りにも有名な話、いささか軍調に流れることもあるが素早いモーションからくり出す外角低目の曲球、浮き気味の直球、さらにシュートと彼の持つ武器は多く打力にもまた捨て難い鋭さ、確実さがある。間もなく夜間ゲームも開始されようとしている時昨年シールズを迎え撃った経験に期待するところは大きく彼唯一の負け越し松竹を破ることがやがて中日優勝への道に通ずるものとして注目されているも無理からぬことであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小島禎二

2022-07-30 16:42:47 | 日記
1950年
「禎ちやん、面会…」呼ばれてヌーツと立上った身長の丈五尺七寸余の男、スマートな肢体だが顔にはまだヤンチャ坊みたいな若々しさが漂っているーこの小島選手は日体専の卒業で今年二十歳のドラゴンズ新鋭投手、強肩を買われて一塁手から転向したサウスポーだが昨シーズンは五試合に出場しただけ、熱意と身体にものをいわせ名監督天知ちゃんの指導よろしく大活躍するのはまさにこれからというところだ。その彼、さる三月十九日鳴海での対松竹戦に七回から登板、二ー〇まで追込んではカーン、またカーンとやられたもののそこはやはり若さのなせる不覚、とまれ日一日と成長ぶりを見せてくれる彼の左腕は頼母しい。かつて名古屋市貿易商事のコーチをつとめ地元知多郡上野町名和の出身というからドラゴンズとの縁も深く、彼の大成は中日ファン待望の的、それだけに前途洋々たる彼の健闘を心から祈らずにはおられない。


1951年


名古屋も本多ー小島ー服部ー近藤と調子出しにリレーさせたが幾分南海の方が安定していた、本多、小島の今年が楽しめるなどとネット裏で話していたが本多はスピードボール、小島は左投手のアウト・シュートといずれも威力を加えてきた、熱心な練習は恐ろしい、国枝の抜けた内野を西沢、竹本、松本、土屋で固めたがグラウンドの悪いのも手伝って上々の調子とはいえなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マウンス

2022-07-30 16:31:12 | 日記
2003年


ヤクルトの新外国人投手で米大リーグ、レンジャーズのトニー・マウンス投手(28)=1㍍88、86㌔、左投げ左打ち=の入団が22日、正式に決まった。来季契約に関して大筋で合意していたが、この日、球団事務所に本人のサイン入り契約書が届いた。年棒は4000万円で2年契約。マウンスはMAX146㌔の直球にカーブ、スライダー、チェンジアップなどを持つ技巧派。球団関係者によれば、マウンスはプレーのかたわら不動産ビジネスもこなす知的左腕とか。クレバーな投球が期待できそうだ。


ヤクルトは10日、テキサス・レンジャーズのトニー・マウンス投手(28)=との契約で合意に達したと発表した。2年契約で年棒は4000万円(推定)プラス出来高払い。マウンスは直球、カーブ、スライダーに緩急をつける技巧派の左腕。極端に緩い球を使うなどマウンド度胸も十分。今季はレンジャーズ傘下の3Aに所属。6月13日に大リーグ・レンジャーズへ昇格。登板11試合にすべて先発し1勝5敗、防御率7・11をマークした。マウンスは「とても興奮している。経済的にもとてもよいチャンスだし、日本の文化も楽しみたい。投手としても成長したい」と、日本のプレーを待ちこがれている様子。


ヤクルトは22日、米大リーグ、レンジャーズのトニー・マウンス投手(28)=188㌢、86㌔、左投左打=と正式契約を結んだ。メジャーでこそ11試合で1勝5敗で実績はないが、フォークボール以外7種類の変化球を操る技巧派として若松監督が期待をかける左腕。獲得に当たった中島国際部長が「頭のいい選手」と評した新助っ人は、不動産ビジネスも手がけていた。「不動産の投資ビジネスをしているようだ」と同部長。本業に支障がきたすほど、のめりこんでいない様子で、来日後も継続するかは未定だ。さらに、趣味にコンピューターを挙げるなど、知的なにおいがするマウンス。2年契約で年棒4000万円プラス出来高と決して高給とはいえないが、まずは本業の方で実力を披露する。


2004年


マウンスが来日初勝利。MAX142㌔直球とカーブを低めに集め、七回途中まで5安打2失点。ここまでは序盤に失点し3連敗。間合いをとることで投球リズムをつくり「勝てて本当に嬉しい」若松監督は「直球がよくなってきた。あとはカーブのキレだね」と今季初の3連勝をもたらした左腕に笑顔を贈った。


来日初勝利のマウンスにヤクルト・伊東投手コーチ「直球に力強さが出てきた。だから緩いカーブも生きるんだ。これでチャンスもつかんだ。次回の先発は伝えてあるよ」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三富恒雄

2022-07-30 16:06:09 | 日記
1951年
暫く名古屋の投手力の片りんがうかがわれるようなゲームだった、先発の三富は下手気味のサイドアームから投げ出すシュート、インドロップ、浮気味の直球と同じモーションから多様に繰りだしての魔球は未だすごみはさ程感じられなかったが今シーズンの活躍を楽しませてくれ、なるほど往年の名投手村松の背番を貰い掛川へ墓参りに出かけて風邪をひいた効果はあったと思わせた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本多逸郎

2022-07-30 16:01:48 | 日記
1951年
先取点を奪われた紅軍の追撃は思うようにバットが十分にふれず、こんなはずはなかったとこぼす坪内、原田、杉山を手こずらした白軍先発本多の進境が目だつ、彼はさすが今シーズンのホープと目されている噂に違わず左投手独特のシュート、手許に食いこむ速球に味があるピッチングをまして投手力の一威力になる力強いものをみせたが三富、星田はそれぞれのくせのある投法にまあまあというところ。


中日の本多は長い間、ベンチをあたためていたがシーズン末期から調子をだし、スピードも豊かになり左投手独特のインドロの切れもよく曲がるようになった、未知数であり大友ほどの期待をいだけぬにしてもホープの一人ではある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする