1954年
近鉄田中投手の実弟、下手投でまだまだ安定した投球は望めないがコーチに野口がいるので精進如何では延びよう。
1955年
田中はかなり伸びのある速球と大きく落ちるドロップを巧みに使って好投した。
1956年
阪急はシュートを多投する田中を打てず八回の渡辺の右翼本塁打で1点還したにとどまった。
1957年
大映の田中は投球間隔を長くとり、速球、カーブ、シュートなどを一球一球ていねいにコーナーに決めた。うま味はあったがそれほど威力はなかった。
田中は外角いっぱいのスライダーで毎日打線をほんろう、つけ込むすきを与えず、九回荒川の安打による一死二塁のピンチも山内を敬遠したのち葛城、鈴木を連続三振にうちとってみごとシャット・アウトで二勝を飾った。
近鉄田中投手の実弟、下手投でまだまだ安定した投球は望めないがコーチに野口がいるので精進如何では延びよう。
1955年
田中はかなり伸びのある速球と大きく落ちるドロップを巧みに使って好投した。
1956年
阪急はシュートを多投する田中を打てず八回の渡辺の右翼本塁打で1点還したにとどまった。
1957年
大映の田中は投球間隔を長くとり、速球、カーブ、シュートなどを一球一球ていねいにコーナーに決めた。うま味はあったがそれほど威力はなかった。
田中は外角いっぱいのスライダーで毎日打線をほんろう、つけ込むすきを与えず、九回荒川の安打による一死二塁のピンチも山内を敬遠したのち葛城、鈴木を連続三振にうちとってみごとシャット・アウトで二勝を飾った。