1956年
試合前藤本監督から先発を申し渡された新人青山(札幌光星高)は自信がなさそうでさえない顔をしていた。それでも三回まではノー・ヒットと抑え、重心を低くして上手から投込む速球に威力をみせていた。
柴田と青山の先発は、シュートのきかない柴田よりは内角いっぱいへプレートの右はしからクロス・ファイアで投げこむ青山が荒いながらやや球威にまさっていた。しかし内角以外の球は平凡。
二回から青山の登板。左腕の青山は速い球をコントロールよくコーナーにきめ、外角に沈む球、大きく曲がるヤマなりのカーブにも威力があった。
1957年
青山は大きいドロップ、米田は速球でともに好投、中盤は投手戦となった。