プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

宮下信明

2022-07-07 14:40:05 | 日記
1950年
宮下は器用な男、非力な調子やっぱり多難はあるだろうー云々ーといっても二年ほど前、スタンド評はこんなことさえずったという、それがどうだ、昨秋以来メキメキ頭角を現した彼は「シュートボール宮下」「巨人キラー宮下」として一躍中日のホープに成り上がったばかりかつい最近の対松竹戦では天晴れ小西監督にシャツポを脱がしたではないか。当年とって二十五歳、出身こそ早実だが実はチャキチャキの名古屋ッ子、ダンス、マージャン、映画、音楽と揃った趣味もなかなかどうして大したものだ…ところでそれはそれ、コト野球となれば彼の胸はグンと引締り謙虚な自覚とひたむきな情熱とを秘めたその右腕は容易に打者を寄せつけはしない。今年は十五勝か、いや二十勝かとまれ直情純粋と評される五尺六寸、十六貫五百の彼がお得意のシュート、カーブ、さらにはシンカーを織りまぜ宿願の打倒巨人を目指す日も近い、好漢宮下に幸あれ、頑張れ宮下。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮下信明

2022-07-07 12:39:05 | 日記
1951年
宮下はシュートを殆ど避けて、曲球とスライダー気味のカーブの二種をうまく使いわけて好投、宮下は後半巨人の猛反撃をうけたがバックの好守がこれを三併殺にしりぞけるなど際どい熱戦に経過した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田原藤太郎

2022-07-07 11:52:40 | 日記
1953年
エース田原は国鉄スワローズ田原投手の実弟で五尺七寸、十九貫の巨体から外角低目をつく速球を主体に、コントロールのよいカーブ、ナックルで打者のタイミングをはずし予選八試合をわずか四点におさえている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武智修

2022-07-07 11:45:37 | 日記
1950年
広島カープのエースは武智だ、内藤、中山の台頭、黒川、竹村、林(次)、石川の新鋭と数にはことかかないその投手陣でも、ウデと直球では武智の右に出るものはまずいまい、武智がエースにおさまっている広島の強さも弱みもあるようだ。武智は元来が投手でない、いわんやエースとまつられるような型の投手ではない、十八年のプロ入りだから球歴には不足はないが、もともとが内野育ちで、戦前の阪神でも戦後も金星でもショートをやっていた。去年の阪急でもいやいやながら投手をつとめさせられた。その彼が広島カープの興亡を担うエースといわれるのは明らかにカープ投手陣の弱体を物語るものだ貧弱な投手陣はそのまま広島の弱点に違いない、だがこの弱点も裏を返せば強味といえぬこともない、エースにふさわしからぬエース武智をおしたてて、しやにむにおしまくろうとする広島ナインの熱と意気、それを率いる石本監督の強気戦法ーペナントレースを戦いぬくカープの武器はまずこれである。岩本監督がいの若い選手がすくすくのびて石本式打法が広島ナインのお要素となりきるまでイバラの道を進むカーブのマウンドを守るのに武智のウデと度胸はうってつけ、小柄ながら小器用にスピードのない直球とカーブをあやつって、どんな強打者でもおめずおくせず巧に打ち気をそらすユトリをもっている心臓とプレート度胸が彼の身上。広島カープが阪神を破った二つ目の勝星も十一安打をあびながら崩れそうで崩れない武智のプレートさばきからかせぎとられたものだカープが非力であればあるほど度胸をすえてエース武智は投げぬき勝ち抜くに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児玉利一

2022-07-07 11:32:12 | 日記
1937年
昭和十一年大分商業を経て明大へ入学した児玉はその活躍は凄まじかった、殊に本年明大が春秋連季優勝の礎石をなしたのはただ驚異の他はない。六尺になんなんとする巨体の右肩から投げおろす直球は、一見平凡に見えるが打者の目を幻惑するチェンジ・オブ・ペースの妙味が盛り込まれ、スピードの変わらぬカーヴとクロス・ファイア気味に投げ込む外角低目の直球はウイニングショットとして申し分ない威力を秘めている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸山二三雄

2022-07-07 11:20:17 | 日記
1950年


左投左打、京阪商、5尺6寸、17貫
シュートボールとインドロを武器とするがコントロールに難があり昨年は余りかんばしくなかった、南海にあって東西対抗にもでたことがあり復調がまたれている

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本多逸郎

2022-07-07 11:16:44 | 日記
1956年
行けるところまで投げさせて見ようと急造本多を先発させた中日の投手起用は、故障者が多いといえどもペナントをねらうチームの策としては一考を要するものではないか。投手の経験もあるし素質もあるのだが、練習不足はコーナーワークに通すだけのピッチングに余裕がなくて球速、威力もなくナックルを主体に試合度胸、いわゆる心臓の投法とでもいうべきだったが、いつ打たれ出すかは時の問題であった。


『第一試合に勝ったら本多を先発させるかもしれない」と第一試合前に語っていた野口監督の言葉どおりスタートメンバーには投手本多とある。「中山、伊奈が不調で左投手がいないから」だそうだ。高校時代に投手の経験はあるが、二週間ほど前からピッチングをはじめたという。外野ー一塁ー投手と鮮やかな転向ぶりをみせたマウンド上の本多はややてれくさそうであった。それでもファンの声援にこたえて立上りトップ金山を三振に討ちとり二死後平山を歩かせたが、河合が二盗に刺し、二回はバックの支えもあって三人でかたずけ、すべり出しはまずまずというところ。ところが、浮上がる速球にナックルを交えて力投をつづけるこのわかづくりの投手も三回先取点を奪われてしまった。この回広島は一死二塁に原田をおいてこの日の当たり屋金山が左前に快打し、一点をあげたもの。つづく四回にも2四球と安打でさらに加点した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田宮謙次郎

2022-07-07 10:20:40 | 日記
1950年


かたや中大の高橋。かたや日大の田宮と東都五大学の好敵手がプロではじめて顔を合わせた十六日の国鉄、阪神戦、プロ二年生の田宮が投げ勝ったが、惜しいところでパーフェクト・ゲームの大記録を逸した。しかし九回二死まで無安打無四球の好投は後輩高橋に投げ勝ったどころのさわぎではない田宮も嬉しかったろうが、松木監督も藤村助監督もゴタゴタつづきのストーヴ・リーグ以来はじめて明るく笑ったことだろう。若林衰え、梶岡が肩をいためたとあってはダイナマイト打線がいくら点をかせいでも追いつかず、六位に転落した去年のタイガースの悲運は全く投手陣の無残な不調にあった、その中でわずかに光ったのは藤村(弟)と田宮の健投で、ことに十勝八敗の星はプロ一年生としては武末投手のルーキー№1につぐ上出来の活躍だった、タイガース投手陣がそろって不調だったため新人の彼が買われたのではない、重いシュートボール威力あるカーヴ、まだまだ若いという弱点があっても使えば使うほどのびる彼の素質はすでに試験ずみである。田宮が一線投手として働けるだけの活躍をみせた今年のタイガースの前途は去年よりはるかに明るいようだ。去年のBクラス転落、ストーヴ・リーグのゴタゴタと悲運つづきの阪神だが、そこは名門タイガース、若手選手を中心に再建タイガースへの足なみは快調。その再建のカギは投手陣の活躍如何であろう野崎、塩見、内山、駒田と目白おしの若い投手たちの中でひときわ光るサウスポー田宮が大成した日にこそ阪神黄金時代がまた実現することだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする