1960年
国鉄スワローズの新人に、東京理科大学三年生という変り種がいる。昨年暮のことだった。国鉄の西垣徳雄氏が、世田谷区成城町にある二軍の練習場に行こうと成城学園前駅を降りたったとき、そこには近所の中学生三人が西垣氏を待ちかまえていた。「オジさん、もの凄く球の速いお兄さんがいるんだ。テストしてみてよ」西垣氏が半ば面白半分に返事をすると、やがて子供と一緒にノッソリとあらわれたのが平社だった。早速、グラウンドに連れ出して投げさせてみると、メッポウ球が速い。西垣氏もこれには驚いたが、ただフォームが全然なっていない。そこで注意をあたえ、一週間後、もう一度グラウンドへ来るようにいいわたして彼を帰した。翌朝、西垣氏の前にあらわれた彼のピッチングは見ちがえるばかりの上達ぶり。こうして契約のはこびになったものだ。ところが、1月23日から始まった国鉄の始まった国鉄のトレーニングに参加した平社投手のいでたちがまた傑作だった。ズッタ靴にセーター。その上にジャンパーを着こみ、腰にはタオルならぬ手ぬぐいをさげて、まるで昔の高等学校の生徒のようなスタイル。カメラマンがカメラを向けると、「自由参加のうちは、あなたがたのいうことを聞く義務はないと思う」と取材を拒否。練習が終わっても風邪をひくからという理由で絶対に風呂には入らない。見かねて林田コーチが注意をしたが、筋の通った理屈をいうので、林田コーチはサジを投げ、すべてを西垣氏に依頼、西垣氏が母親に、「チームに協力しない現状では契約できない」と申し入れたところ、翌日からようやく風呂だけには入るようになったという。この風変わりな青年を世田谷区船橋の自宅にたずねてみると、彼はまだ就寝中。かわって玄関にあらわれたお母さんは、「あの子は写真を撮られるのが嫌いですから、多分おめにかからないでしょう」と困ったような顔。以下はしぶしぶ起き上がってきた彼との一門一答だ。
ープロ入りの動機は?
「大学へ行っているとドイツ語の単位をとらなくちゃならないし、ぼくはドイツ語が苦手なものだから」
ー野球は前から好き?
「プロでやれるとは思わなかった。父は北大の教授をしていたし、ぼくにも学問で身を立てさせたかったらしい」
球団事務所の某氏は、「まだ学生だし、学生服でキャンプインするのはかまわないが、革靴ぐらいははいて指宿に行ってくれればいいが・・・しかし将来たのしめそうな選手だ」と語っていた。
十四号台風が去った二十一日の後楽園での対巨人ダブル・ヘッダーは、快晴、超満員である。なつかしい選手がいた…平社達三郎投手だ。平社といえばカメラぎらいで、今春指宿キャンプで話題になった投手だ。一軍昇格命令はいつ出たのかときくと、平社君はテレクさそうに頭をかきながらこういった。「一軍にきて、三日目です。実は二軍でまた二度ばかりモメまして…(モメた原因がぼくなんですとつけたす)それで遠征にもいかれないでね。こっちに一人残っていても仕方がないんで一軍の試合にこいということになったんでしょう」とは正直なもの。「おかげでスライダーが投げられるようになりましたし、直球もコントロールがつきましたよ」とニッコリ。彼は変人かもしれないが、やはり誰よりも野球がすきなのだ。