プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

今野隆裕

2023-06-24 19:27:58 | 日記
1993年
横田真之外野手とともにロッテから移籍した技巧派左腕。キャンプインの段階では体は仕上がっており、3日の練習ではフリー打撃に登板し足の上げ方を変えてタイミングをはずすズルさもチラリ。「ボクの場合は流れるスライダーやシュートはあるけど落ちる球は持っていない。それでパームボールの習得に取り組んでいます」中日では今中、山本昌、山田の左腕トリオは先発組。現段階ではリリーフに回る可能性が強いが、落ちる球をものにできれば化ける目も・・・。

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松田慎司

2023-06-24 19:23:47 | 日記
1993年
報徳学園時代は86年のセンバツでベスト8まで進出。社会人・西濃運輸でも89年から4年連続して都市対抗に出場した松田。172㌢、68㌔と小柄だが140㌔の直球に加え、スローカーブ、シンカー、シュートと球種も豊富。何よりも武器になるのが、スクリューボールだ。「シンカーとシュートが自然に変化するヘンなボールなんです」と本人も予想できない落差だとか。

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石井伸幸

2023-06-24 19:19:09 | 日記
1992年
石井投手はガッチリとした体から繰り出す速球が武器の本格派サウスポー。夏の県大会では、一回戦で敗退したが、伸びのある速球はスカウトの注目を集めた。


今年二月に野手から投手に転向、公式戦でのマウンド経験は二試合、計九イニングしかない。ただ夏の県大会では四イニングで8奪三振の実績。「石井君の素質を見抜いている人がいたのですね」と油井昭宏・藤枝明誠監督は話す。父の幸雄さん(47)は「子供のころ、一緒にキャッチボールをしたことがあるが、ずいぶん遠くまで球を投げる子だと思ったぐらい。まさかプロから声がかかるとは…」と信じられない様子だった。


1993年


少しでも体を絞り二軍の試合で投げる夢の一軍マウンドを3、4年後目指す。


体に力があり、ストレートはスピード、威力とも十分で将来性豊かというスカウト評。

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小島圭市

2023-06-24 19:11:44 | 日記
1987年
高校出ルーキーのなかでも、基礎体力を作るのに一番時間がかかった。しかし、持ち前の度胸と都会っ子のある意味でのいいかげんさが功を奏して徐々に実力を発揮。プロ1勝目は木田よりもひと足先にあげ、ファームの秘密兵器とさえいわれるようになった。技術的にはキレのあるストレートと落差の大きいカーブが武器。どんな状況でもストライクがとれる制球力も持ち合わせている。


1999年


興農は中日を引退し、台湾で頑張っている小島圭市を先発させた。小島は、7回まで6安打1失点の好投で、球速は141キロながら、スライダーとチェンジアップがよく決まった。

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知野公昭

2023-06-24 18:52:48 | 日記
1993年
横浜の4年目・知野公昭投手が頭角を現してきた。入団2年目には練習生扱いも経験した苦労人。5月22日のロッテ戦では、プロ初勝利を初先発初完投で飾ってみせた。今年からサイドスローに転向、背水の陣で挑んでいるだけに結果がでてニッコリ。若生二軍投手コーチも「シュートが切れるし、制球力もついてきた」と成長を認める期待の星だ。その顔だちから殿下の愛称を持つハマのプリンス。知名度もアップしてきた。

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斉藤肇

2023-06-24 18:42:57 | 日記
1991年


大会屈指の本格派投手斉藤は、140㌔を超す速球のほか、カーブ、フォークと球種も豊富。連打はされない。
大洋から4位指名された星陵高の斉藤肇投手は「指名され、これまで育ててくれた中学、高校の先生や仲間にお礼をいいたい。12球団どこでもと思っていたが、大洋は好きなチームの一つでうれしい」と大洋・斉藤の誕生をはやくも予告した。七歳から野球を始めた斉藤は、小学四年生からマウンドに立つと富士宮三中、星陵高とエースナンバーをつけてきた。182㌢、74㌔の体から投げ下ろす直球の威力は十分。甲子園には足を運べなかったが、最高140㌔を超える直球で三振の山を築き、右本格派として高校球界にその名を響かせた。プロ入りは小さなころからの夢だったが、夏の県大会を前にして「進むならプロ」と心に決め運命の日を待った、という。


七歳から少年野球チームに入り、高校で一年生の八月からベンチ入りし、エースに。今夏の県大会では三回戦まで進んだが、春の練習試合ではノーヒットノーランを二度達成した。身長182㌢で、体重74㌔。百四十㌔を超す直球が武器。斉藤投手は「指名されて、ホッとしています。ストレートで三振を取れるようなピッチャーになりたい」と意欲を見せている。


1998年


斉藤肇投手は、6年目の昨年も一軍マウンドを踏むことはできなかった。ストレート主体の投球から、チェンジアップを覚えピッチングの幅を広げたが、白星を挙げたのは9月11日のヤクルト戦1試合だけ。「いつも以上に気合を入れてやりました。結果を出さなければいけない年だったんですけど」と斉藤。同期入団の三浦は一軍の主力投手に成長しただけに、自分の立場がもどかしかっただろう。


2002年


大黒柱は今年入部した斉藤肇投手。地元・静岡出身で横浜ベイスターズ、台湾・兄弟とプロで10年間プレー。横浜で一軍登板はなかったが、ファーム歴代2位となる207試合の記録を作った。カーブ、シュート、フォークと変化球を駆使して打ち取るのが身上だ。

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