プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山田武史

2023-06-18 21:49:50 | 日記
1987年
強気な性格がプロ向き。社会人時代は、二度全日本チームに選ばれ、抑え役として大活躍したのも度胸のよさが買われてのものだった。アマチュア時代はストレートでグイグイ押すピッチング。プロに入ってからはSFFを覚えるなど、変化球のコンビネーションで打者をうち取るようになった。開幕に一軍入りを果たし、中継ぎで数試合登板したが、ポンセ、レオンらに一発を浴びファーム落ち。高めに浮くと長打を浴びやすい球質で、課題は低めに球を集めるコントロールだ。

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水沢薫

2023-06-18 21:44:19 | 日記
1987年
えげつないシュートが武器の本格派右腕。今季、社会人野球からドラフト2位で入団して即戦力と期待されたが、入団直後にフォームを改造。これまでより腕の振りを大きくした。ストレートは140㌔程度だが、大小2つのカーブを見せ球に、シュートを決め球としている。コーナーに決まれば一軍相手にでも十分通用するだけの力はある。ファームでは主にストッパーとして起用され、2イニング位ならピシャリと抑えられる力はつけた。これからの課題は先発したときのスタミナである。

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川崎啓之介

2023-06-18 21:17:11 | 日記
1959年
このほど左記八選手の退団が決定した。田原、浜島、島津、川崎の四選手はトレードを希望していたが、それも報われずそれぞれノンプロへ進むことになった。カッコ内は就職先。
「投手」
田原藤太郎(未決定。郷里北海道での就職を希望している)
浜島清光(愛知マツダ)
「捕手」
島津充(愛知マツダ)
平田晟(未決定。郷里大阪での就職を希望)
伊藤守(東海電々)
「内野手」
川崎啓之介(愛知マツダ)
「外野手」
鈴木義文(ヤシカ)
照林一幸(山口陶器)
しかし、川崎などは昨シーズンはしばしば代打として登場し、好打してたが、今シーズンはさっぱり。元来の気の弱さからプロ野球人として大成するまでにいかなかったことは残念である。新就職先での再出発を、心から祈りたいものである。

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樽見金典

2023-06-18 20:37:46 | 日記
1987年
柳川高時代は2年生まで野手、おもに外野や一塁を守っていた。主戦の西村(現中日)がケガをしたため、急きょ3年の春から投手に転向した。3年の夏は控え投手で背番号10。そのため「西村にだけは負けたくないんです」とライバル心を燃やしている。武器は伸びのあるストレートと落差のあるカーブ。ゆったりとしたフォームから繰り出す速球は打者もタイミングをとりづらい。投手経験が浅いため、まだまだ伸びる可能性は大。課題は基礎体力。今季は腰痛で2試合しか登板できなかった。

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橋野昭南

2023-06-18 17:20:02 | 日記
1972年


山口県徳山球場で、去年チームを引退した橋野昭南氏がひょっこりと訪れてきた。「久し振りだな、いまどうしているの」と、懐かしい元チームメートの問いかけに橋野氏は、目下、山口県光市のボウリング場に勤めてプロ・ボウラーの修業中だと近況を伝え、ナインを安心させていた。現役時代、若手の世話を焼いて人気があった人だけに、自分のことより西鉄の若手選手の伊原、米山、小松らが伸びて来ているのが、うれしかったようだ。「私もあいつらに負けないよう、必ず第二の人生を切り開いてみせますよ」と明るい顔を忘れなかった。

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五井孝蔵

2023-06-18 16:22:38 | 日記
1959年
昭和25年、近鉄パールズ創立とともに立教大学から参加関根、黒尾とともに投手陣の三羽烏といわれた。サミダレ投法は有名で荒い。ピッチングながら、その剛球はものすごかった。ただ惜しいことに、この未完の大器に、適切なコーチがなく磨かれなかったことは五井にとって不幸であった。当時、阪急の浜崎真二監督は、五井の才能をおしむあまり、五井を所望したが実現しなかった。38年頃から、その強打を生かして三塁に転向したが、ここでも話題になったが、しかしながら成功しなかった。29年かぎりで近鉄を去り30年に川崎コロムビアにはいったが、これも32年かぎりでやめて、いまは実務一本に打ちこんでいる。現在、川崎にあるコロンビア本社の電気生産課購買課につとめ、その方面で手腕を認められている。誠実にして地味な性格が野球より仕事の方が…と五井をしてふみ切らせたものだが、野球人として残した野性味豊かなピッチングは、当時のファンには忘れられない。立教大出身、六大学時代からスター選手として騒がれていた。東北人らしいボクトツさがマナーであってか、まれにみる豪球も、25年から29年までの近鉄では実を結ばず不運なプロ野球生活だった。

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塚本善之

2023-06-18 14:44:34 | 日記
1988年


高校通算42勝、防御率1.50と安定している。長身からキレのある速球を投げる。「体が細いのでまず下半身を鍛える。フォークは得意ダマ」

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芦沢公一

2023-06-18 14:41:48 | 日記
1988年


速球にも力があるが、郷土のヒーロー・堀内投手(元巨人)を思わせる大きなカーブがいい。「もちろん堀内さんのような投手が目標」
まだ下半身が弱いがカーブが一度上に上がった感じで落ちてくるので面白い。シュート、フォークもあり体さえできれば…。

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水沢英樹

2023-06-18 14:38:48 | 日記
1986年


右上手投の剛腕水沢。百四十㌔台の速球は超高校級。


1987年
春の全県選抜と東北大会を制して、優勝候補の一番手。水沢は速球にカーブ、シュートを織り交ぜる。三年生になってうまさも増した。


142㌔を記録した速球を武器にする水沢、昨夏に続く2年連続出場。


春のV校経法大付は、投打にバランスの良い大型チーム。投も1年の時から、マウンドを守っている水沢が、直球とカーブの配球良く成長。


1988年


高校時代の1試合平均の奪三振数が12。度胸も良く、あとはじっくり基礎体力を養えば…。

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