プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

久保貴裕

2023-06-02 14:21:38 | 日記
1992年


京都成章・県大会ベスト8
MAX141㌔の速球が武器。ほかにカーブ、スライダー。

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土居正史

2023-06-02 12:18:12 | 日記
1985年
巨人を退団した土居正史投手(28歳)岡山東商ー日本石油ー広島ーロッテー巨人。プロ生活8年。若いといっても、すでに1児の父である彼は、妻子をかかえての生活のために、将来を選んでいる余裕はない。再就職のために大型トラックの運転免許を取ったり、不動産関係の会社を探したりしていたが、結局、決まったのは東京海上火災の契約取りの仕事。所属は東京営業所(港区三田)「2年たったら独立して代理店を構えるのが条件なんです。そのためにも、億の扱い量を目指しているんです。(狭い量1億で年収約1千万円)野球で鍛えたガッツで頑張るつもりですが…。でも、正直いって、野球よりいまの仕事のほうが大変ですね」スーツ姿がピッタリ板についていた。

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串原泰夫

2023-06-02 11:27:03 | 日記
1986年
初めての一軍のマウンドへ、目を輝かせる串原だ。5年目の春である。いままでは、二軍の消化試合とオープン戦の2試合しか投げたことがない。それが、今季は一軍。球界異例のだ出世物語でもある。57年、地元・所沢商からドラフト外で入団。自宅は、西武球場から車で15分のところにある所沢市若狭。これほど、本拠地に近い選手も、また珍しい。「5年間は、辛抱だぞ」(現在は東京・赤羽署署長)父親・勝人さん(55歳)は、そういって尻を叩いて送り出した。もちろん、串原本人もその決意だった。ところが、現実はもっと厳しかった。西武で待っていたのは二軍のバッティング投手。次の年は一軍のそれだった。「ああ、二軍の試合で投げてみたい。いつまで、こんな仕事が続くのかなあ」一人、空しい日々を送った。3年目、59年からはアメリカ野球留学で修業。この年は収穫がなかったが、翌年もメンバーに選ばれ、ガムシャラに取り組んだ。速球が伸び、フォークが切れるようになった。モヤシのように細かった体も締まって、たくましくなった。プロの力を身につけて、日本へ帰ってきた。それが、オープン戦の好投に(1勝2敗1S)森監督が目をつけ、チャンスを与えて一軍の投手に成長させた。自宅には、59年西武に在籍した江夏豊投手の、背番号「19」のユニフォームが飾ってある。「辞めるとき、ボクを励ましてくれたんです」自身が昨年までつけていた背中の「66」が、今年から約半分の「35」に。さらに半分になればエースナンバー。今年の活躍いかんでは、決して夢ではない半減ではないだろう。串原の出世チャレンジは今後も続く。

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