プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小早川幸二

2024-01-03 15:15:17 | 日記
1991年
投げるときに体が前かがみとなる、ちょっぴり変則なところが打ちづらい投球フォーム。緩急をつけたピッチングは将来性にあふれている。「中日は小さいころ、ユニホームが好きでした」ダイエーからトレードで移籍した時の入団発表で、中日入りを喜んでいた。プロ入り3年目だが、マウンドを踏んだのは、1年目ウ・リーグ2試合だけ。昨年は左肩痛に泣いた。心機一転で出直しだ。


1992年


「去年は暗い1年だった。今年は明るくいきたいですね」とは、抱負の声。ダイエーから移籍した昨年は、支配下選手にも登録されなかったのだから無理もない。しかし、左腕のスリークォーターからのクセ球は、首脳陣も「面白い存在」と注目するところ。「新監督の今年は、スタートラインが一緒だと思っている。チャンスを生かしたい」と、一軍の座をにらんでいる。

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富永章敬

2024-01-03 15:13:26 | 日記
1994年
昨年の春季キャンプでは、若手の成長株の一人。一軍のオープン戦にも登板し、期待の大きさをうかがわせていた。だが、その年に右肩、ひじ痛に襲われ、昨年はファームで4試合に登板しただけ。泣かず飛ばずに終わってしまったのは、何とも寂しい。「肩とひじを故障したことで、去年は投げていても怖さがつきまとっていた。でも、ことしはもう大丈夫。腕も思いきり振れるようになりました」と富永。速球は145㌔を超す速さを持っている。ことしは全力投球の年だ。

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大久保学

2024-01-03 15:07:54 | 日記
1984年
昨季新人投手の中で、ただ1人だけ勝ち星を記録した。幸運にも恵まれたとはいえ、2勝1敗という成績は大したもの。仲の良い畠山にもピッチングでは負けたくないとファイトを燃やす。表面にあらわれるガッツと大きなカーブ、コースにきまる速球、そして連投に耐えられるタフネスさが身上。静岡出身の山内(和)につづいて、今年は先発投手として1本立ちしたいと夢は大きい。

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中嶋治彦

2024-01-03 15:06:20 | 日記
1990年
昨季、ドラフト4位で入団した2年生。社会人では通算30勝10敗の実績を残す。開幕して間もなく、早々と一軍ベンチ入りしたのをみれば分るだろう。初登板したのは東京ドームの巨人5回戦(4月29日)。3番手としてマウンドに上がり敗戦処理を引き受けた。結局、1年目は7試合に登板しただけに終わったが、さし当たって中継ぎが彼の仕事だ。制球力がいいから、安心して使えるのがなんといっても強味。元来がカーブを武器としている投手だが、一軍での飛躍を望むためには、もう一つ速球のスピードを増すこと。パワーをつけて力で勝負を眺めるピッチャーにぜひ、成長してほしいものだ。渡米して好投した成果が楽しみ。先輩の米村と同じく子連れ新人で入団した。それだけに、プロとしての意欲は十分だろう。

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小池貴志

2024-01-03 15:04:26 | 日記
1989年
新人テストで、金子とともに晴れて合格した練習生。地元星城高では投手だったが、昨年の6月に右ヒジを痛めて、一時は野球を断念した。ところが、右ヒジが回復するにつれて「もう一度、自分の力を試してみたい」とテストを受け、念願の入団がかなった。故障を完治して「将来は郭さんのようなピッチャーになりたい」というのが夢。


1992年


昨秋の「黒潮リーグ」が飛躍のきっかけとなった。「これが最後だと思ってガムシャラに投げた」結果が、相手打者をバタバタとなで切る好投。「あれできっかけをつかめたんです」と、その後の秋季キャンプでもブルペンで見違えるようなピッチングを見せた。持ち味は何といっても馬力だ。1日200球くらい投げてもびくともしないタフさは、細かいコントロールやプレーさえ身につけば一軍でも通じる。今年を飛躍の年にしたい。

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金子歩

2024-01-03 15:01:43 | 日記
1989年


出身…東京・世田谷
花園小ー市川市立第七中ー東海大甲府高
新人テストで合格した練習生。東海大甲府高を卒業後、社会人野球にあって練習生として野球をつづけた。それだけに「あこがれのプロ野球選手になれるなんて…」と、その喜びもひとしお大きい。テスト受験者の中では、その速球が群を抜いて速かった。大柄のサウスポー投手として将来性が楽しみ。


1990年


昨年の新人テストに合格。1シーズンを練習生で過ごした。ウエスタンの試合目には、チームメートと一緒に練習しても、いざ練習が始まれば、ネット裏でスコアブックをつけて勉強する日々に明け暮れた。メモを取りながら、心の中ではどれほど悩んだことか。だが、金子はいつも明るい表情は崩さなかった。「あこがれのプロ野球に入れたのだ」という喜びが、彼の大きな支えになっていたのはいうまでもないだろう。そんな練習生時代に経験した苦労は、いつか必ず報われる日がやってくる。そのときに、どれだけ大きなプラスとなってはね返ってくることか。昨秋、米教育リーグ参加のメンバーに選ばれて、初めて実戦のマウンドに上がった。左腕から繰り出す速球には、十分スピードが載っていた。あとは制球力をつけていく。これが先決条件だろう。変化球に走らず、速球でグイグイと押しまくってほしい。

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