1985年
小浜は181㌢、73㌔の大型。スピード自慢だけに、緩いカーブも効果的。春先、調子を崩したが、復調の兆しは見えている。
1986年
「切れのいい直球で勝負できる投手が目標です」-昭和43年2月19日生まれの18歳、身長182cm、体重79㌔、右投げの本格派投手、背番号73。昭和63年1月阪急ブレーブスにドラフト外入団、神戸市立葺合高校出身ーこれが小浜裕一のプロフィールだ。「高校を卒業をしたら大学へ行って野球を続けようと思っていました。プロになれるとは思いもしなかったんだけど、試しに受けたプロテストに受かってしまったんです」とテレ臭そうに笑う。甲子園には縁がなかった。
人工芝で野球がやりたくてテストを受け、120人の難関を突破し見事入団。投手経験は浅いが常時140㌔をマークする球威の持ち主。
1988年
練習漬けですっかり逞しくなった。テスト入団の意地を見せよう。
1989年
基礎体力もつき、スピード、制球力、コンビネーションなど投球内容に安定度が増した。力はある。ファームのゲームでどんどん投げぬき、自信を深めたい。強気でゆこう。気持ちさえ逃げなければ活路は開ける。飛躍の年。
1991年
ウエスタンリーグで8勝。そしてファームのエースは10月4日、対ロッテ戦(川崎)で初セーブをあげた。「あんなに真面目に練習する選手はいない」と仲間はいう。「今年はとにかくどこまでできるか挑戦してみる」中継ぎでも抑えでも、やっぱり一軍の味はこたえられないよね。
1992年
一軍での活躍が期待されていた昨年は、不運にも故障に泣かされた。しかし、チーム一番の真面目な男は、腐ることなく黙々と下半身強化に努めた。今季は再びマウンドに姿を見せ、相手打者を得意のミラクル変化球でキリキリ舞いさせてくれるだろう。
1993年
故障から立ち直り、昨年は久々に一軍のマウンドに立つことができた。わずか2試合の登板だったが、復活へ確かな手応えをつかんだ。バットの芯を微妙に外す頭脳的ピッチングが帰ってきた。
1994年
クレバーなピッチングとは彼のような事を言うのだろう。丁寧にコーナーをつく投球が微妙に変化し、相手打者は首をひねるばかり。今季こそ一運に定着し、プロ入り初白星を掴んでくれそうだ。
小浜は181㌢、73㌔の大型。スピード自慢だけに、緩いカーブも効果的。春先、調子を崩したが、復調の兆しは見えている。
1986年
「切れのいい直球で勝負できる投手が目標です」-昭和43年2月19日生まれの18歳、身長182cm、体重79㌔、右投げの本格派投手、背番号73。昭和63年1月阪急ブレーブスにドラフト外入団、神戸市立葺合高校出身ーこれが小浜裕一のプロフィールだ。「高校を卒業をしたら大学へ行って野球を続けようと思っていました。プロになれるとは思いもしなかったんだけど、試しに受けたプロテストに受かってしまったんです」とテレ臭そうに笑う。甲子園には縁がなかった。
人工芝で野球がやりたくてテストを受け、120人の難関を突破し見事入団。投手経験は浅いが常時140㌔をマークする球威の持ち主。
1988年
練習漬けですっかり逞しくなった。テスト入団の意地を見せよう。
1989年
基礎体力もつき、スピード、制球力、コンビネーションなど投球内容に安定度が増した。力はある。ファームのゲームでどんどん投げぬき、自信を深めたい。強気でゆこう。気持ちさえ逃げなければ活路は開ける。飛躍の年。
1991年
ウエスタンリーグで8勝。そしてファームのエースは10月4日、対ロッテ戦(川崎)で初セーブをあげた。「あんなに真面目に練習する選手はいない」と仲間はいう。「今年はとにかくどこまでできるか挑戦してみる」中継ぎでも抑えでも、やっぱり一軍の味はこたえられないよね。
1992年
一軍での活躍が期待されていた昨年は、不運にも故障に泣かされた。しかし、チーム一番の真面目な男は、腐ることなく黙々と下半身強化に努めた。今季は再びマウンドに姿を見せ、相手打者を得意のミラクル変化球でキリキリ舞いさせてくれるだろう。
1993年
故障から立ち直り、昨年は久々に一軍のマウンドに立つことができた。わずか2試合の登板だったが、復活へ確かな手応えをつかんだ。バットの芯を微妙に外す頭脳的ピッチングが帰ってきた。
1994年
クレバーなピッチングとは彼のような事を言うのだろう。丁寧にコーナーをつく投球が微妙に変化し、相手打者は首をひねるばかり。今季こそ一運に定着し、プロ入り初白星を掴んでくれそうだ。