プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小浜裕一

2024-01-11 21:19:39 | 日記
1985年


小浜は181㌢、73㌔の大型。スピード自慢だけに、緩いカーブも効果的。春先、調子を崩したが、復調の兆しは見えている。
1986年


「切れのいい直球で勝負できる投手が目標です」-昭和43年2月19日生まれの18歳、身長182cm、体重79㌔、右投げの本格派投手、背番号73。昭和63年1月阪急ブレーブスにドラフト外入団、神戸市立葺合高校出身ーこれが小浜裕一のプロフィールだ。「高校を卒業をしたら大学へ行って野球を続けようと思っていました。プロになれるとは思いもしなかったんだけど、試しに受けたプロテストに受かってしまったんです」とテレ臭そうに笑う。甲子園には縁がなかった。


人工芝で野球がやりたくてテストを受け、120人の難関を突破し見事入団。投手経験は浅いが常時140㌔をマークする球威の持ち主。


1988年


練習漬けですっかり逞しくなった。テスト入団の意地を見せよう。


1989年


基礎体力もつき、スピード、制球力、コンビネーションなど投球内容に安定度が増した。力はある。ファームのゲームでどんどん投げぬき、自信を深めたい。強気でゆこう。気持ちさえ逃げなければ活路は開ける。飛躍の年。


1991年


ウエスタンリーグで8勝。そしてファームのエースは10月4日、対ロッテ戦(川崎)で初セーブをあげた。「あんなに真面目に練習する選手はいない」と仲間はいう。「今年はとにかくどこまでできるか挑戦してみる」中継ぎでも抑えでも、やっぱり一軍の味はこたえられないよね。


1992年


一軍での活躍が期待されていた昨年は、不運にも故障に泣かされた。しかし、チーム一番の真面目な男は、腐ることなく黙々と下半身強化に努めた。今季は再びマウンドに姿を見せ、相手打者を得意のミラクル変化球でキリキリ舞いさせてくれるだろう。


1993年


故障から立ち直り、昨年は久々に一軍のマウンドに立つことができた。わずか2試合の登板だったが、復活へ確かな手応えをつかんだ。バットの芯を微妙に外す頭脳的ピッチングが帰ってきた。


1994年


クレバーなピッチングとは彼のような事を言うのだろう。丁寧にコーナーをつく投球が微妙に変化し、相手打者は首をひねるばかり。今季こそ一運に定着し、プロ入り初白星を掴んでくれそうだ。

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松林和雄

2024-01-11 20:51:04 | 日記
1980年
松林は足と肩をそなえた強打者。特にパンチ力に広島は早くから注目していた。通算成績は打率3割6分、18本塁打。二、三年後、外野陣の一角に食い込める素質を持つ選手として期待をかけている。180㌢、75㌔、右投げ右打ち。


四、五年のうちに一軍に上がれるようにがんばりたい。山本浩さんのように三拍子そろった外野手を目指す。バッティングは右一本で、長打力にみがきをかけたい。


無名ではあるが中国地方の高校球界では傑出している。他球団からも話はあったが「広島以外は入団しない」と広島一本に絞っていた。スケールが大きく、1試合に2本塁打も珍しくない強打者。守備もうまい。中学時代に陸上ランナーとして鳴らし、足腰が強いのも魅力。180㌢、75㌔、右投げ右打ち。


広島の3位指名を受けた柳井商高の松林和雄外野手(18)=三年=は「4位指名か、はずれるかと思っていたが、3位指名という高い評価を受け、とてもうれしい。機動力があり、明るいムードの広島カープにあこがれていた」と興奮気味。グラウンドで、後輩選手に胴上げされ「先輩がんばれ」と激励されていた。高校時代は一年生からレギュラー。通算打率3割6分、本塁打18本の強打者。「山本浩二選手を目標にがんばる」とプロ入りの決意を固めていた。


1982年


ルーキーだった昨年、持ち前の快足を生かしてスイッチヒッターに転向した松林和雄選手。「将来は、一、二番を打てる打者に育てたい」(阿南二軍監督)まだ入団して2年目、ましてスイッチして一年となれば「小細工がきかない」のも仕方ないところ。


1990年


入団してまず思ったことは、溶け込みやすい明るいチームだということだ。福岡という街も、食べ物が安くて新鮮で、住みやすい。印象どおりの街で気にいっている。トレードの話を聞いたとき、最初は悔しい思いもしたが、やる気を奮い起こした。スイッチヒッターなのにパンチ力のある右打席にしか立てなかった広島時代よりも、ホークスの方が自分の良い面が出せるのではないかと考えている。そしてホークスなら、数多くチャンスが回って来るだろう。1年でも長く野球をやりたいし、与えられたチャンスは決して逃さずに、ひとつひとつのプレーに責任をもってのぞみたい。出塁率をあげて塁に出れば足を見せたいと思っている。

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別所真三・西野叡治・福島孟男

2024-01-11 20:35:52 | 日記
1957年
「最初から二軍に入れられしぼられたものはシンがある」と話しているのは根本コーチ。今年二年目になる別所=浪華商、西野=南部高、福島=八戸高(いずれも投手)らは、その意味からいって来年から一軍に登録される可能性がある。この三人はともに六尺近い恵まれた体格で、とくに真向から投げ下す球は、スピードがあり、ドロップを決め球にもっているので期待される。一軍の試合が始まる前に打撃練習が行われるが、彼らはそのバッティング・ピッチャーに起用され、ベテラン相手にビュンビュン投げている状態だ。

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木村勉

2024-01-11 19:47:34 | 日記
1956年
近鉄の木村勉外野手は現在チームの中で最高の打率・292をあげ、ベストテン七位に顔を並べている。負傷でしばらく欠場していたが八月十一日の大映戦から元気な姿をグラウンドにあらわした。五割の線をマークしたいと芥田監督が意気込む近鉄にあって後半戦の活躍が大いに期待されている。


八月七日の阪急戦(西宮)で左肩にデッドボールをくらって約半月休んでしまった。ちょうど当りのでていたときなのでまったく残念だった。八試合連続安打していたし千本安打にあと十本というので張切っていた。連続安打はどのみち、そう続くもんではないから大して気にはしていないがバッティングに調子がのってきていたときなので欠場したくなかった。内出血で腕のつけ根のところがすごくはれ上がって一時はもと通りになるのかなと心配した。まだ完全になおっていないので無理がきかない。投げるときは利腕でないからこたえないがバッティングのとき力がはいらず引っぱれない。それにインコースにシュートがくると無意識のうちに身体をうしろへ引いてしまう。若いもんと違ってわれわれは年をくっているからいったん調子にのると容易にくずれないが、調子が狂うと、もとへもどるのにヒマがかかる。傷が完全になおるまでもう少し休みたかったが自分勝手なことばかりいっておれない。武智修君も足の負傷がなおっていないのに頑張っているしボクものらりくらりと休んでいるわけにはいかん。それに今シーズン中にぜひとも念願の千本安打をやりとげたいと思っている。あとわずかだし故障がないかぎり大丈夫だと思うがあまりあせらずのんびりやりますよ。そりゃ胸のうちではほかにいろんな希望や目標をもっているがボクなどはこれからの選手ではないし、もう峠にきているんだから大きなことはあまりのぞまず、ともかく千本安打を目標に、それができればまたあらたな目標を持ちたいと思っている。

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中島治彦

2024-01-11 19:30:59 | 日記
1988年
強気を売り物にするこのルーキーは、入団交渉で最も大切な金銭交渉でも、あっさりしたものだった。交渉が始まって、わずか十五分。それでもう入団が決まっていた。推定契約金三千七百万円、年棒六百万円。「ボクが思っていたより高い評価をされ、満足しています」その中島、自分の売り物は?と聞かれて、間髪入れずに答えたのが、これ。「攻めるピッチングです」同席した北海道担当の谷木スカウトもうなずいた。「速球は140㌔。まだ速くなる。とにかく、インコースにグイグイと投げるシュートがすごいんだよ」どうやら、マウンド度胸がいい投手らしい。そういえば経歴も一風変わっている。南国・宮崎の日南学園から、北国・苫小牧へ。「野球をやらないつもりで、地元・日南の王子製紙に入ろうとしたらこうなって」「高校で野球をやめるつもりが、いまやプロへ」というんだから、なるほどユニークな話だ。まだ二十三歳ながら、奥さん(百合子夫人)だけでなく、生まれて二ヶ月の長女の桃子ちゃんもいる。「とにかく、巨人に入る吉田君より多く投げたい。自信はあります」苫小牧工場出身としてはロッテの高沢秀昭外野手以来、二人目。「ぜひ、二人の対決ができるような選手に」と村瀬工場長代理や樋口監督にハッパをかけられて「頑張ります」と連発する中島だった。

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中島治彦

2024-01-11 19:28:19 | 日記
1988年
強気を売り物にするこのルーキーは、入団交渉で最も大切な金銭交渉でも、あっさりしたものだった。交渉が始まって、わずか十五分。それでもう入団が決まっていた。推定契約金三千七百万円、年棒六百万円。「ボクが思っていたより高い評価をされ、満足しています」その中島、自分の売り物は?と聞かれて、間髪入れずに答えたのが、これ。「攻めるピッチングです」同席した北海道担当の谷木スカウトもうなずいた。「速球は140㌔。まだ速くなる。とにかく、インコースにグイグイと投げるシュートがすごいんだよ」どうやら、マウンド度胸がいい投手らしい。そういえば経歴も一風変わっている。南国・宮崎の日南学園から、北国・苫小牧へ。「野球をやらないつもりで、地元・日南の王子製紙に入ろうとしたらこうなって」「高校で野球をやめるつもりが、いまやプロへ」というんだから、なるほどユニークな話だ。まだ二十三歳ながら、奥さん(百合子夫人)だけでなく、生まれて二ヶ月の長女の桃子ちゃんもいる。「とにかく、巨人に入る吉田君より多く投げたい。自信はあります」苫小牧工場出身としてはロッテの高沢秀昭外野手以来、二人目。「ぜひ、二人の対決ができるような選手に」と村瀬工場長代理や樋口監督にハッパをかけられて「頑張ります」と連発する中島だった。

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