プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉川久一

2024-01-19 20:42:03 | 日記
1959年
「勝利投手になった感想ですか。悪くないですね」これが十二日の大毎戦で初白星をあげた吉川久一投手の喜びの声だ。興国商ー近大から阪急へ投じたがぱっとせず、表に出ないままで石の上にも…の三年目ようやく、その努力に報いられ、最近登板機会に恵まれてきた。八日の対南海戦、3回投げて被安打1奪三振1自責点0、さらに十日の南海戦では2回2/3投げて、被安打2奪三振1、自責点0とまず大過なくこの初勝利に至っている。1メートル70、72キロ左投右打。

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浦野保一

2024-01-19 20:37:05 | 日記
1955年


投手浦野の外角をきる快速球はその長身と相まってかなりの威力をもっている。一日投球五百を目指して精進している。


1957年
昨春入団、カーブの制球力あり

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清水宏臣

2024-01-19 20:32:03 | 日記
1985年


過去にない強力な攻撃型チーム。三年生の多い中、バッテリーは清水ー石黒の二年生。清水は右の本格派で直球、カーブに威力。
主戦清水は長身を生かし低めへの速球と、制球の良いカーブで打ち取る。


1986年


右の本格派清水は、速球が武器。打者とのかけひきにも磨きがかかった。


主戦清水は低めのストレートに威力があり、打っても四番で攻守の柱。


1986年


中日は二十三日、名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所でドラフト外で獲得した愛知県立小坂井高の清水宏臣(ひろたか)投手(18)=187㌢、84㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。清水は早ければきょう二十四日にも名古屋残留組の自主トレに体験入門、キャンプには二月中旬から合流する。背番号は64。握手した伊藤代表が思わず驚きの声を上げた。「何という力をしているんだね、君は」そう言われて清水は187㌢の長身を恥ずかしそうに丸めてみせた。速球は140㌔。球質もズシリと重い。華やかな球歴はなくても荒削りの素質とガッツが頼もしい。清水は最初こそ、生まれて初めての晴れやかな席に緊張感を漂わせていたが、すぐに度胸で語った。「目標は小松さん、宮下さん。キレの良さは小松さん、重さでは宮下さんのようなストレートを投げたい」本格派エースを夢みる清水。しかし、打者としての非凡なセンスを持っている。そのエピソードを小坂井高・及部監督が披露してくれた。「あいつが打撃練習を始めるとテニス部に迷惑が掛かったものですよ」小坂井高グラウンドの両翼は90㍍。その上に3.8㍍のネットが張ってある。清水の打球はそれを越えてテニス部のコートを襲い、たびたび選手たちを逃げ惑わせたというのだ。「ボクは前から、地元でこういう手のついていない素材を探せと言ってきたんだよ」伊藤代表がいつになく上機嫌に言った。ドラフト外でも清水へのまなざしは熱い。


1987年


二日間の自主トレ体験を終えて清水はまたいつもの高校生に戻った。遅ればせの入団ということでかなり緊張もしたが、逆にヤル気も出た。「やっぱりプロは厳しいと思いました。これからはキャンプに行くまで自分で鍛えます」清水には夢がある。それはヤクルトに入団した内藤(豊川高)と対戦して勝つこと。内藤は豊川南部中で同級生。二年までは清水がエースだったが、三年になって背番号1を奪われた。そして自分はファーストへコンバート。高校進学の際、声がかかった豊川をけって愛知県立の小坂井を選んだのもそのためだった。雪辱の思い出はいつも爆発的なエネルギーになる。「ボクは打撃が買われたからファーストへ回されたと、今でも思っています。もしピッチャー同士で最後まで争っていたら、どうなっていたことか」中日にも投手として入団した清水。高校時代は豊川に0勝2敗、プロはその逆転の場でもある。

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清水宏臣

2024-01-19 20:31:06 | 日記
1985年


過去にない強力な攻撃型チーム。三年生の多い中、バッテリーは清水ー石黒の二年生。清水は右の本格派で直球、カーブに威力。
主戦清水は長身を生かし低めへの速球と、制球の良いカーブで打ち取る。


1986年


右の本格派清水は、速球が武器。打者とのかけひきにも磨きがかかった。


主戦清水は低めのストレートに威力があり、打っても四番で攻守の柱。


1986年


中日は二十三日、名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所でドラフト外で獲得した愛知県立小坂井高の清水宏臣(ひろたか)投手(18)=187㌢、84㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。清水は早ければきょう二十四日にも名古屋残留組の自主トレに体験入門、キャンプには二月中旬から合流する。背番号は64。握手した伊藤代表が思わず驚きの声を上げた。「何という力をしているんだね、君は」そう言われて清水は187㌢の長身を恥ずかしそうに丸めてみせた。速球は140㌔。球質もズシリと重い。華やかな球歴はなくても荒削りの素質とガッツが頼もしい。清水は最初こそ、生まれて初めての晴れやかな席に緊張感を漂わせていたが、すぐに度胸で語った。「目標は小松さん、宮下さん。キレの良さは小松さん、重さでは宮下さんのようなストレートを投げたい」本格派エースを夢みる清水。しかし、打者としての非凡なセンスを持っている。そのエピソードを小坂井高・及部監督が披露してくれた。「あいつが打撃練習を始めるとテニス部に迷惑が掛かったものですよ」小坂井高グラウンドの両翼は90㍍。その上に3.8㍍のネットが張ってある。清水の打球はそれを越えてテニス部のコートを襲い、たびたび選手たちを逃げ惑わせたというのだ。「ボクは前から、地元でこういう手のついていない素材を探せと言ってきたんだよ」伊藤代表がいつになく上機嫌に言った。ドラフト外でも清水へのまなざしは熱い。


1987年


二日間の自主トレ体験を終えて清水はまたいつもの高校生に戻った。遅ればせの入団ということでかなり緊張もしたが、逆にヤル気も出た。「やっぱりプロは厳しいと思いました。これからはキャンプに行くまで自分で鍛えます」清水には夢がある。それはヤクルトに入団した内藤(豊川高)と対戦して勝つこと。内藤は豊川南部中で同級生。二年までは清水がエースだったが、三年になって背番号1を奪われた。そして自分はファーストへコンバート。高校進学の際、声がかかった豊川をけって愛知県立の小坂井を選んだのもそのためだった。雪辱の思い出はいつも爆発的なエネルギーになる。「ボクは打撃が買われたからファーストへ回されたと、今でも思っています。もしピッチャー同士で最後まで争っていたら、どうなっていたことか」中日にも投手として入団した清水。高校時代は豊川に0勝2敗、プロはその逆転の場でもある。

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上辻修

2024-01-19 20:10:07 | 日記
1979年
上辻投手は仮装小林スタイルでの投球法で打者に打ってもらおうと、コーチ共々努力しているが、先日はその努力工夫も小林に五たび抑えられ、しかも五敗目は4安打完封。「がっかりした。でも今度こそ打ってくれるでしょう」

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