1985年
過去にない強力な攻撃型チーム。三年生の多い中、バッテリーは清水ー石黒の二年生。清水は右の本格派で直球、カーブに威力。
主戦清水は長身を生かし低めへの速球と、制球の良いカーブで打ち取る。
1986年
右の本格派清水は、速球が武器。打者とのかけひきにも磨きがかかった。
主戦清水は低めのストレートに威力があり、打っても四番で攻守の柱。
1986年
中日は二十三日、名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所でドラフト外で獲得した愛知県立小坂井高の清水宏臣(ひろたか)投手(18)=187㌢、84㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。清水は早ければきょう二十四日にも名古屋残留組の自主トレに体験入門、キャンプには二月中旬から合流する。背番号は64。握手した伊藤代表が思わず驚きの声を上げた。「何という力をしているんだね、君は」そう言われて清水は187㌢の長身を恥ずかしそうに丸めてみせた。速球は140㌔。球質もズシリと重い。華やかな球歴はなくても荒削りの素質とガッツが頼もしい。清水は最初こそ、生まれて初めての晴れやかな席に緊張感を漂わせていたが、すぐに度胸で語った。「目標は小松さん、宮下さん。キレの良さは小松さん、重さでは宮下さんのようなストレートを投げたい」本格派エースを夢みる清水。しかし、打者としての非凡なセンスを持っている。そのエピソードを小坂井高・及部監督が披露してくれた。「あいつが打撃練習を始めるとテニス部に迷惑が掛かったものですよ」小坂井高グラウンドの両翼は90㍍。その上に3.8㍍のネットが張ってある。清水の打球はそれを越えてテニス部のコートを襲い、たびたび選手たちを逃げ惑わせたというのだ。「ボクは前から、地元でこういう手のついていない素材を探せと言ってきたんだよ」伊藤代表がいつになく上機嫌に言った。ドラフト外でも清水へのまなざしは熱い。
1987年
二日間の自主トレ体験を終えて清水はまたいつもの高校生に戻った。遅ればせの入団ということでかなり緊張もしたが、逆にヤル気も出た。「やっぱりプロは厳しいと思いました。これからはキャンプに行くまで自分で鍛えます」清水には夢がある。それはヤクルトに入団した内藤(豊川高)と対戦して勝つこと。内藤は豊川南部中で同級生。二年までは清水がエースだったが、三年になって背番号1を奪われた。そして自分はファーストへコンバート。高校進学の際、声がかかった豊川をけって愛知県立の小坂井を選んだのもそのためだった。雪辱の思い出はいつも爆発的なエネルギーになる。「ボクは打撃が買われたからファーストへ回されたと、今でも思っています。もしピッチャー同士で最後まで争っていたら、どうなっていたことか」中日にも投手として入団した清水。高校時代は豊川に0勝2敗、プロはその逆転の場でもある。