1996年
生まれ変わったかのように助っ人は攻め続けた。これまでの悪夢を振り払う粘投。九回途中で降板したものの、わずか1失点で来日初勝利を手にした。ただかわすだけのピッチングとは、決別していた。王監督も「良く投げてくれた、かわす前に攻めの投球ができてた」とボルトンをたたえた。その言葉通り。シンカーと直球で内角を攻め、外角のスライダーで打ち取るピッチングがさえた。「コントロールに気をつけて投げた。四球で失点することが多かったからね。前の登板予定から好調を維持できてたよ」先月二十九日、北九州での先発予定が流れ、この日になっていた。しかも、相手は最初の登板で7失点のKOを食らった日本ハム、すっかり自身を喪失したボルトンは次のチャンスにも二回途中でKOされた。そして四月十二日にはついに登録抹消…。その悔しさがボルトンを支えていた。「ファームではひたすら投げ続けたよ。コントロールにもスタミナにも自信がついたんだ。それに体重を4キロぐらい増やしたかな」コントロールへの自信が回復したことで、すべての問題が解決した。攻める配球もかわす配球も思いのまま、東京ドームで本塁打されたデューシーを併殺打に打ち取り、お返し。王監督が「おい、別人じゃないのか」と疑うほどマウンドさばきは堂々としていた。さらにこの日のボルトンには心強い味方があった。兄のグレッグ・ボルトンさん夫妻と婚約者のエイミー・ハリソンさんが米国から駆けつけていた。「気持ちの上で支えになったよ」照れながらうつむくボルトンの笑顔がその存在の大きさを証明する。この1勝はただの1勝ではない、帰国する家族にもローテ入りを待望する首脳陣にも大きなプレゼントになった。
この試合のボルトンは、いつもの彼とは違っていた。ボールが先行、ストライクは高めに来て、三回と持たずにKOされ続けていたのが、ストライクが先行し、カーブを低めに決めるという逆の投球、これが見事に成功した。本人も二軍に落ちて「これではいかん」と考えたのだろう。さほど素晴らしいともいえないカーブでも、きっちり低めに来れば、そう簡単に打ち込まれることはないという見本みたいな投球内容だった。
生まれ変わったかのように助っ人は攻め続けた。これまでの悪夢を振り払う粘投。九回途中で降板したものの、わずか1失点で来日初勝利を手にした。ただかわすだけのピッチングとは、決別していた。王監督も「良く投げてくれた、かわす前に攻めの投球ができてた」とボルトンをたたえた。その言葉通り。シンカーと直球で内角を攻め、外角のスライダーで打ち取るピッチングがさえた。「コントロールに気をつけて投げた。四球で失点することが多かったからね。前の登板予定から好調を維持できてたよ」先月二十九日、北九州での先発予定が流れ、この日になっていた。しかも、相手は最初の登板で7失点のKOを食らった日本ハム、すっかり自身を喪失したボルトンは次のチャンスにも二回途中でKOされた。そして四月十二日にはついに登録抹消…。その悔しさがボルトンを支えていた。「ファームではひたすら投げ続けたよ。コントロールにもスタミナにも自信がついたんだ。それに体重を4キロぐらい増やしたかな」コントロールへの自信が回復したことで、すべての問題が解決した。攻める配球もかわす配球も思いのまま、東京ドームで本塁打されたデューシーを併殺打に打ち取り、お返し。王監督が「おい、別人じゃないのか」と疑うほどマウンドさばきは堂々としていた。さらにこの日のボルトンには心強い味方があった。兄のグレッグ・ボルトンさん夫妻と婚約者のエイミー・ハリソンさんが米国から駆けつけていた。「気持ちの上で支えになったよ」照れながらうつむくボルトンの笑顔がその存在の大きさを証明する。この1勝はただの1勝ではない、帰国する家族にもローテ入りを待望する首脳陣にも大きなプレゼントになった。
この試合のボルトンは、いつもの彼とは違っていた。ボールが先行、ストライクは高めに来て、三回と持たずにKOされ続けていたのが、ストライクが先行し、カーブを低めに決めるという逆の投球、これが見事に成功した。本人も二軍に落ちて「これではいかん」と考えたのだろう。さほど素晴らしいともいえないカーブでも、きっちり低めに来れば、そう簡単に打ち込まれることはないという見本みたいな投球内容だった。