プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

西浦丈夫

2024-05-15 21:33:36 | 日記
1975年
「一度でいいから、一軍でプレーしたい。それを目標に…」と、阪神と正式契約を結んだ西浦丈夫選手(18)は、はにかんだ。1㍍82、76㌔の大型内野手、ドラフト外の入団。それも、ことしも阪神の背番号64のユニホームを着ていながら試合には出れなかった幽霊選手。晴れてタイガースの一員となった二年目のルーキーは、オフを返上で来季に備える。西浦がタイガースのユニホームを着たのは、昨年の秋だった。秋季練習で三日間のテストを受け、めでたく合格。身分は年棒百万円の球団職員。平安高を二年で中退してのテスト。昔と違って、いまでは高校卒業見込みの年齢でなければ、練習はできても試合には出れない。「つらかったこと?試合に出れなかったことじゃあ、ありません」という。いやだったのは練習のとき。見物に来たファンのあの64番、だれじゃいという声だった。若手の一員として合宿に入り、同じ練習をしているのに、西浦の名前はメンバー表に載っていなかった。一年間、足踏みしての阪神の西浦。そうなったのは、「うどんのおかげかなあ」と頭をかく。四十九年、平安高はセンバツに選ばれた。西浦も十四人のメンバーに入った。ところが、甲子園に乗り込む矢先になって血を吐いて倒れ、甲子園の夢はつぶれてしまう。その不幸、実はうどんを七杯もたいらげ、もどしたときにのどの血管が切れたためだった。夏の大会にも甲子園に出たのに、出場メンバーからはずされた。ヤケになって練習にも出なかった。そんなとき、河西スカウト部長と知り合いの野球部長が阪神の話をしてくれた。「そのとき、迷わず中退を決めたんです。両親も許してくれましたし、いまでも後悔はしてません。ことし入団してくるドラフトの選手とトシは同じ。それでもボクの方が先に一年、プロになじんでいるんですから…」二十二日の契約で、契約金を手にした。それは五十万円だった。年棒はちょっぴり上がって百十万円。ドラフト上位選手の足元にも及ばない。それでも西浦は気にならない、と断言する。「だって、自分で選んだ道ですから。よそ見しないで前に進むだけです」テスト生の先輩でもある山内コーチからは、「スイングが鋭くなった」と、ちょっぴりおほめのことばをもらった。からだも、この一年でひと回り大きくなった。そこで晴れて一人前のタイガースの一員に。トレーニングにも力が入る。「やっぱり、気分が違います。来年が待ち遠しいです」楽しみは二軍戦に出られるようになること。それに自分の名前の入ったメンバー表を見ることに違いない。


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1975年プロ野球退団選手

2024-05-15 21:17:30 | 日記
1975年
がっくり、鬼頭はすっかり元気をなくしている。かつては大洋の左腕のエース、五年前にはヤクルト戦でノーヒットノーランをやったのに、任意引退の手続きを終えたいま就職口がさっぱりないのだ。友人も心配していくつかのはなしはあった。が、月給三十万円だったプロ選手と同じ待遇にはほど遠い。家賃が六万円のマンションを出てもっと安いアパートに移り、なんとか「サラリーマンになりたい」と懸命にあてをさがす毎日だ。再就職はともかく、まずはアルバイトと、阪神をクビになった坂口は運送会社につとめた。デパートの贈答品を運びながらねらいは「年内就職」だ。同じ阪神の井上と大和田はアルバイトもあきらめ、ともに出かける先は自動車学校。免許をとり条件をよくしてから職さがしをしようと悲壮な決意。「東京・江戸川の実家は床屋だけど、いまさら何年もかけて理容師になるのも…」と二十六歳の大和田。みんな深刻だ。職が決まった仲間も一流会社はひとりもいない。親せきや知人が経営する中小企業ばかりだ。南海では偶然にも二人がボタン関係。杉山は東京に帰り、友人のボタン輸入販売会社で計理を担当、臼井はおじさんが社長のボタン製造工場で技術者として再スタートする。実家を継ぐのはヤクルト・市場。京都でガラス販売業の修業を始めている。南海の大塚は大阪・南で夫人がやってきたスナック経営に本腰を入れるが、これはグンと恵まれたケース。十八年間の経験を買われて神奈川テレビの解説者に内定している大洋の森中が、ことしのオフでナンバーワンの転職となりそうだ。プロのユニホームをあきらめ切れず、来春の自主トレからキャンプにかけて他チームのテストを受けるのはロッテ・東条、南海・筒井と近鉄の大場、川本、森山。だがここでも見通しは暗い。クビと同時に広島から「王キラーのワンポイント」とその特殊才能を買われて入団が決まった左腕・平岡はむしろ例外だ。あまりの不況に就職をあきらめ、これまでになかった大学進学に活路を見つけようとするものも出てきた。巨人の西村は「体操の先生になりたい」と中京大の受験準備を始めた。「経済の勉強をする」ため阪神・尾藤は東経大か愛知大に進みたいという。阪急の今増も「無理をして職につくよりも」と阪南大へ。卒業する四年後に景気が好転するという保証はなにもないというのに…。このあとまだ何人かのクビ切りがあるだろう。一千万円プレーヤーがもてはやされるかげで、夢破れた無名の選手たちにはみじめな年の暮れだ。

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