プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

伊藤則男

2025-01-12 13:03:26 | 日記
1958年


主戦伊藤は1・8㍍の長身を利して投げるオーバー・ハンドの速球投手。府下ではA級投手に数えられているが四死球が出ると崩れる。
試合は好打、美技の応酬で事実上の優勝戦にふさわしい好ゲームを展開、一万余のファンを最後までクギづけにした。平安・立命ともに藤野、伊藤と予想通りの投手を立てた。藤野は内、外角をきるカーブで、伊藤も内角の鋭いカーブに威力があった。


立命も伊藤、長谷川の完投投手が二人いる。伊藤は本格派で速球を武器としてカーブをうまくおりまぜる。長谷川は横から投げる投手。


明治は伊藤のドロップに悩まされながら毎回走者を出す鋭い攻撃をみせた。そして遂に7回決勝点をあげた。先頭の野村が右前安打し一死後高沢とヒット・エンドランが当たって二、三塁、続く田中のバントは全身守備の坂部後につかまったが、三塁走者が走らないのをみた坂後が一塁に投げたが、これが大悪投になって均衡を破った。さらに次の佐藤がスクイズを決めて2点目をあげた。これで明治の下田投手はすっかり気をよくして、落ちる球を決め球に打気にはやる立命打線を押え切った。

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宮崎晋一・井上守

2025-01-12 12:48:31 | 日記
1962年
中日・宮崎は下手投げからシュートとカーブを内、外角に散らし阪急打線を二安打におさえた。しかし走者が出ると球威がにぶる。二回には四球、永井の二塁打を足場に1点、六回にも井上が安打で出たあとバント攻めにあい得点された。阪急・井上も速球とカーブで五回まで中日を無得点に押さえていたが、六回小淵に左翼席へライナーのホームランされた。八回には二死後柳川、小川に連安打されて同点、九回も代わった河崎がコントロールに苦しみ、三人を四死球で出したあと代わった永井が歩かせて決勝点をとられた。

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山田正雄

2025-01-12 12:47:54 | 日記
1962年
打倒日大三をねらえるチームーそれは日大一、日大二だけではない。第一に明治高。左腕山田は東京随一の評があり、その速球、カーブは高校生ばなれしている。


山田投手は都下高校№1の定評があり、今夏の予選では日大三、日大一、早実ともに優勝候補の一角とみられていたが、同投手のワンマン・チームのために三回戦で法政一に敗れた。しかし1㍍79の長身から投げ下ろす左腕特有の快速球は超高校級といわれ、一部球界通の間では甲子園大会で評価の高かった中京商のエース林よりも高く買われていた。投手陣強化に必死の大毎は、いち早く片岡青木両スカウトが都内港区青山六丁目の自宅に足を運び熱心に勧誘した結果、進学をあきらめてプロ入りに踏み切ったもの。しかし同投手は、投手としての経験は二年秋からで比較的浅くむしろ打撃に自信を持っており大毎でもその豪快なバッティングに期待をかけている。


山田投手の話 プロ野球には前から関心がありました。両親は大学進学を進めるのですが、大学はあまり気乗りがしません。プロでやりたいという気持ちの方が強かったところへ、大毎から話がありました。最終的には十月ごろに決めたいのですが、おそらくプロ入りの気持ちは変わらないでしょう。もしプロ入りしたら投手よりバッティングを生かしたいと思います。


実父仲司さんの話 私どもは大学進学をすすめているのですが、なにせ本人がプロに強いあこがれをもっており、それを無理に止めてもどうかと考えています。最終的には本人の意見を尊重してやりたいと思います。

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原之後富則

2025-01-12 12:07:33 | 日記
1962年
両軍とも守備陣の乱れは目をおおいたくなるほどだった。四回国鉄の4点も、巨人の3失策に恵まれたもの。六回にもヒットを集められたが、かんじんのところでワイルド・ピッチ、失策が出て労せず4点。巨人はカーブとスライダーをコーナーに散らす原之後に手が出ず、八回岩本の2ランのあと、亀田の2失策で3点を拾ったに過ぎなかった。国鉄は小西、赤城、小橋ら堅実なバッティングで打点をかせいだ。

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ラフィン

2025-01-12 12:01:40 | 日記
1997年
近鉄は1日、第四の外国人となるジョニー・ラフィン投手(25=3Aポータケット)の入団を発表した。メジャー4年間で10勝をマーク。主に中継ぎで活躍した本格派の右腕。契約金1000万円、年棒3000万円で、背番号は「44」中日のジミー・ウイリアムズ投手(31)とはいとこにあたる。市原稔編成部次長は「メジャーに最後の最後で漏れたほどだから力はある。球速も145~146㌔出るし、三振が取れるタイプ」と語った。今後は二軍で調整中のボブ・ミラッキ投手(32)との併用となる。なお、正式な来日は今月の9日ごろになる予定。


近鉄は1日、第四の外国人選手として米大リーグ・レッドソックス傘下の3Aポータケットのジョニー・ラフィン投手(25)=190㌢、77㌔、右投げ右打ち、背番号44=の入団を発表した。契約金は一千万円、年棒は三千万円。九日に来日する。ラフィンの大リーグ通算成績は131試合に登板して10勝6敗3セーブ、防御率3.88。主にセットアップとして活躍した。制球にはやや難があるが、MAX148㌔のストレートにスライダー、シンカーを織り交ぜ、ピンチにも三振を取れるのが特徴だ。近鉄は先発投手が不足している上、ミラッキが不調。開幕からファーム暮らしを続けている。「二人で競争させる」(生駒球団代表)としているが、若さと馬力のあるラフィンに先発ローテの一角を託す。ラフィンは今季、中日に入団したウィリアムズのいとこ。日本球界の情報も入手できる。「近鉄でプレーできるので、エキサイトしている」と球団にコメントを寄せている。


近鉄が第四の外国人選手として獲得したジョニー・ラフィン投手(25)=1㍍90、77㌔、右投げ右打ち=が九日夜、関西国際空港の日航機で来日。レッドソックス傘下ポータケットに所属していたラフィンは、メジャー通算10勝6敗3セーブ、防御率3.88で94年には7勝をマーク。MAX148㌔を誇る本格派右腕で、近鉄としてはいまだに二軍で調整中のミラッキに代わり、一軍の先発要員として期待されている。


神戸市内のホテルで入団発表を終えた近鉄の新外国人投手ラフィンはさっそく、グリーンスタジアム神戸に移動。佐々木監督、小林投手コーチらが見守る中で投球練習を披露した。変化球を交えて28球。「いつでも投げられる」とアピールした。190㌢の長身で、ボールには角度がある。右腕が遅れて出てくるのも特徴。打者にはボールが見づらそう。近鉄投手陣は苦しい台所事情だけに、佐々木監督は期待を寄せていた。


先発のラフィン=3Aポータケット。九日に来日したばかりの右腕は、長身から投げ下ろす直球と、本人いわく「シークレット」の落ちる球が武器。とはいえ投球練習はGS神戸で十、十一日に計52球を投げただけ。この日も試合前に野手陣と連係プレーの練習を突貫で行う出たとこ勝負。案の定、二回一死からいきなり三連続四球で満塁。続く柳田に左翼へ犠飛を浴びると、またも四球で満塁。湯上谷に左前に運ばれ、3点を失った。MAXは139㌔。六回にも四球を連発し、小林投手コーチの「ストライクが入れば…」という不安が的中した格好だ。「初めてにしてはまあまあ。日本の野球に慣れればやっていく自信はあるよ」とウインクして見せたラフィンだが、その正体は依然、シークレットのままだ。


今季初のサヨナラ勝ちが決まった瞬間、佐々木監督も胸をなで下ろしたに違いない。9日に来日したばかりの新外国人ラフィンを賭けで先発起用したが、制球難で7四球を出し6回途中に降板した。メジャー通算10勝で、7勝を挙げた94年にはモンデシー(ドジャース)と最後まで新人王を争った。しかし、日本デビューはさすがに緊張したという。「すこし緊張した。でも初めてにしてはまあまあ。日本の野球に慣れればやっていける自信はある」と強がったものの、190㌢の長身右腕には課題の多いデビュー戦だった。「先発の頭数が足らんし使っていくが、矯正する部分も多いな。クイックモーションもできないし…。これから育てていくピッチャーだな」佐々木監督も評価を保留。

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ウエスト

2025-01-12 11:35:32 | 日記
1997年
喜びいっぱいの大きな目が、摩天楼のような大男を見上げていた。「チャンピオン、チャンピオン」と言いながら王監督が197㌢のウエストの手を取ってスタンドに向けてアピールする。メジャー通算31勝の助っ人左腕が、ホークスファンが忘れかけていた記録を呼び戻してくれた。4月29日の武田に続くチーム2試合連続の完封勝利。南海時代の1983年5月8日の阪急戦での井上、10日の日本ハム戦での山内和以来、なんと14年ぶりの快挙だった。「この2試合はピッチャーのおかげだよ。しかも、いやらしいオリックス打線相手にね」指揮官は左右の両輪をほめちぎった。ウエスト自身にとっても来日初完封。100球肩との批判を浴びていたが、しっかり132球を投げ切った。「攻撃的なピッチングをしたんで、よくボールが動いてくれたよ」直球、カーブにチェンジアップをうまくミックスさせて、日本一チームを手玉に取った。

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デニス・パウエル

2025-01-12 11:28:14 | 日記
1994年
パウエルが七色の変化球を披露した。10月29日、日向キャンプに合流し、首脳陣の前で持ち球を披露した。光山捕手相手に47球。サイドハンド投法も交え、シンカー、スライダーなど多彩な変化球を全力投球。米田新投手コーチは「コントロールがいいし、思っていたより球も速い」と話していた。シアトル・マリナーズ時代には対ヤンキース戦で四番打者のメル・ホール(前ロッテ)を7打数で6三振と抑えた実績もある。「左打者には打ちにくい面白い存在だ」と、村田投手コーチも採用に前向きであった。


1995年


昨年の日向キャンプにテスト参加して入団。過去十二年間でメキシカン・リーグからメジャーまで、延べ十八球団を渡り歩いた苦労人で、スリークォーター、サイドから5つの球種を投げ分ける。「近鉄のお役に立ちたい」とマジメぶりをアピールしているが、はたして牛投の救世主になれるかどうか。


年棒三千五百万円、近鉄の格安助っ人が変幻自在の投球でチャンピオンチームを封じ込めた。四回から登板したパウエルが先頭の岡崎に投手強襲打を打たれたが、その後は持ち前の幻惑投法で抑え、3回を投げ被安打1の無失点に抑える好投を見せた。初めて他チームに投げたパウエルは「チームが違うしエキサイティングだったよ」直球、カーブ、チェンジアップなど5種類の球種に加え、スリークォーター、サイドハンドと投げ分ける幻惑投法、これで先発ローテに名乗りを上げた。投手陣に頭を痛める鈴木監督も「山崎、高村、パウエルに10勝ずつしてほしい」と期待する。価格破壊が叫ばれる球界で、わずか三千五百万円の掘り出し物外国人。酒、タバコ、ギャンブルを一切やらず、ドジャースの3Aアルバカーキ時代に同じユニホームを着ていたブライアントが「お前は変わったな」と驚くほどのまじめぶり。クリスチャンであるブレンダ夫人の影響が大きいのだが、その家族も三月五日に来日する。三月七日のダイエー戦に先発が決まっているパウエルの気合も今以上に入るだろう。


パウエルの投球を初めて見た。ストライクを取るコントロールはあるが、微妙な所への球の出し入れが今ひとつという印象だ。良かったのは、左打者に対してクロス気味にステップすることでバッターの腰を引かせていたのと、腕の振りを意欲的にサイドにして投げるカーブ。先発投手として期待されているようだが、この日の投球だけでは判断しにくい。右打者への外に沈むシュート系統の球のコントロールができるか。外国人独特の上体投げだけに、後半までスタミナが持続できるか。この二点を今後見極める必要があるだろう。


痛快な巨人封じだ。近鉄の新外国人、D・パウエル投手(31)が昨年の王者・巨人を相手にオープン戦初登板。4回から3イニングを投げ、打たれたヒットは内野安打1本だけ。ハウエル、マック、広沢と並ぶ巨人の重力打線を無失点に抑える好投を演じた。パウエルの左腕がうずいたのは5回、鳴り物入りで来日したマックとの日本初顔合わせだ。「彼には何度か打たれた経験があるしね。プレッシャーもあったよ」92年、93年にマリナーズに在籍していた当時、マックと対戦。その記憶がパウエルを奮い立たせた。簡単に2ストライクに追い込み、スライダーでボテボテの三塁ゴロ。年棒3500万円のパウエルが、3億8000万円のマックを見事に攻略した。

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