プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

横山守

2025-01-23 21:51:57 | 日記
1961年
国鉄の先発横山は立ち上がり調子よく、切れの鋭いカーブとドロップで大洋打線を押えていたが、四回一死後太田を四球で歩かせたあと二つの暴投、芝野を四球で歩かせてしまった。

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舟渡光政

2025-01-23 16:35:34 | 日記
1963年
パ・リーグ東映フライヤーズはこのほど兵庫県鳴尾高校の舟渡光政外野手(18)=180㌢、76㌔、右投右打=を獲得した。同選手は兵庫県下で強打の持ち主として評価も高く、今夏の予選では四割七分の高打率をマーク、鳴尾高の準々決勝進出の中心となり兵庫県のベスト・ナインにも選ばれている。すぐれた体格は長打力、脚力もありその大型外野手の素質に東映はじめ南海、阪神、阪急、西鉄が注目していた。東映に入団が決定したのは荒井スカウトの熱心な誘いがあったためで、さる十八日には、目下在阪している水原監督にも会って話がスムーズにまとまったもの。同選手をみた水原監督は、その体格に有望選手の期待をかけている。


舟渡選手の話 野球をやるならプロでやりたいと思っていました。東映は張本さんや西園寺さんと怪力バッターが多いのでボクの好きなチームです。監督さんにもお会いし、その人柄にひかれました。

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野呂瀬義昭・関根勇・野田征稔

2025-01-23 16:26:17 | 日記
1963年
さきに解散したノンプロ「PL」チームの三選手が二十五日、神戸市東灘区青木の川重グラウンドで行われた阪神タイガースの練習にテスト生として参加した。野呂瀬義昭投手(18)=右投げ、右打ち=大阪高中退、関根内野手(19)=右投げ、右打ち=大阪高中退、野田征稔内野手(21)=右投げ、右打ち=PL学園出、の三選手でいずれも綱島新八氏(元松竹ロビンスノンプロPL監督、現PL学園監督)の紹介で河西コーチを通じテストを受けたもの。野呂瀬投手はPLのエースで、沈む球を決め球にする。スピードもかなりある。野田内野手はシュアーな打撃で、大阪のノンプロ球界では随一の二塁手として定評があった。三選手は二十六日も引きつづき練習に参加するが、阪神の決定は二、三日後。


PL学園監督綱島新八氏の話 野田君は、他のノンプロ・チームに行くか、プロに行くかと迷っていた。本人も野球に情熱を持っているので、阪神のテストを受けさせた。立派なものを持っているが精神的な面でどうか、と思うところもある。最後にはPL教団へ帰ってくる人なので二、三年じっくり自分の力をためしてもいいと思う。野呂瀬と関根君は同じやるならプロでやりたいというので受けさせた。


野田選手の話 自分の力を試すつもりでプロの門をたたいた。もしプロでだめだったら、きっぱり野球をやめる覚悟はついています。とにかくプロでやりたい。


関根選手の話 捕手もやっていたが、三塁手としてテストを受けています。根性では負けんつもりです。


野呂瀬投手の話 PLではエースだったがプロで通じるかどうか。

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柴田勲

2025-01-23 08:46:06 | 日記
1962年
イースタン初登板の柴田が注目された。柴田は七回まで4安打に封じた。カーブでカウントを整え、シュート、スライダーを散らし、スピードはないが低目に決めた。三回二死二塁のピンチに、宮原に一、二塁間を抜かれ、これは山本恒の拙走で得点にならなかったがあぶない場面もあった。

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高野一彦

2025-01-23 08:37:54 | 日記
1963年
東映フライヤーズの高野一彦投手(22)=福岡京都高=は二十八日午後、東京・京橋の球団事務所をおとずれ退団の申し入れを行った。あいにく石原代表が不在だったが、砂川管理課長と話し合いを行った。同投手は昨年末、肩の故障でゲームには出ず、ことしも温泉などで治療に専念したが回復の見込みなしということで、この申し出になったもの。同投手は三十三年入団。三十五年には9勝をあげている。プロ六年間の通算成績は14勝18敗。球団としてはまだ正式に決定していないが任意引退選手として近日中に公示するもよう。


高野投手の話 いろいろ治療していることは事実だ。しかし、ことしは東映球団とも契約だしいまはなんともいえない。


砂川管理課長の話 本人がやめさせてほしいと申し入れてきた。肩が痛みその治療につとめたのだがなおる見込みがないとのことだった。本人の話では郷里(福岡県中津市)へ帰り家業(土建業)をつぐか、野球以外の職業につくとのことだ。

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田中(吉川)達彦

2025-01-23 08:25:45 | 日記
1963年
たまりかねた銚子商ベンチはここで三塁の田中達を呼びよせ、マウンドに送った。静岡は前田の中犠飛で1点差と追いあげた。しかし静岡の反撃はこれまで、田中のアウト・シュートに七、八、九回凡打を重ね、結局銚子商勝浦ー田中達のリレーにヒット1本に押えられ、むなしく姿を消した。


田中君は県予選の前、担任の花岡先生に誓った。「甲子園大会が終わるまで就職のことは考えずに全力を尽くします」と。プロのスカウトがねらっている金の卵だから就職とはプロ入りのことだろう。西宮での対柳川商戦に今大会初ホーマーを放って田中株をグンと上げたそれにこの日の活躍だ。六回無死満塁のピンチにリリーフ。中犠飛を打たれたが、あとはピタリ。ノーヒットに押える快投だった。「夢中でしたよ。カーブは自信がないからまっすぐばかり。余裕もなにもなかった」田中君はただ投げるだけだったという。自信があったのはバッティング。「大会にはいってからファウルで粘ると不思議に打てるんです」左翼を守る田中勝敏君とは同じクラス、席も隣同士の大の仲よしだ。「僕と区別してタツ(達彦)と呼んでいる」さしずめ銚子のタツといったところ。応援席でも大騒ぎ。「田中さんてね、快活で明朗でおとなしいし…」同校の女子生徒は手放しのほめようだ。花岡先生は「うちに秘めたファイトがいい。実にいい子です。それに尽きるんじゃないですか」予選から付きっきりの父親、七之介さん(57)は少々てれていた。「家では野球の話をしない子がよくやってくれた」魚商を営む七之介さんは次男坊に甘い。「将来も好きなようにさせてやる」というのだ。町内の少年相撲大会で優勝したのは小学校四年生の時、「体が大きかっただけです」と田中君はインタビューのイスにどっかとすわって答えている。花岡先生との約束を果たすために全力を尽くし切ったのだろう。無心でプレーした疲れがどっと出てきたのか、快い勝利の疲労感を背中の汗に見せていた。

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