フォーム・・・下手投げ、球種・・ストレート、カーブ、シュート。
(3年生になりフォームをチェンジした可能性あり)
1978年
(八幡浜高校時代)
成田も本格派でコーナーを攻めるのがうまい。
1979年
(八幡浜高校時代)
投攻守三拍子そろったなかでも安定度抜群なのが投手力。エース成田は春のチャレンジマッチ前に肩を痛め、四国大会に出場せずじまいだったが、その後すっかり回復、6月3日の新居浜商との練習試合で五十余日ぶりに登板、「六、七分の出来」(勝川紘史監督)で被安打3で完封勝ちした。184㌢の長身をいっぱいに使っての下手からの速球は威力、制球力とも十分。シュートも相変わらずよく切れる。夏をめざして、伊方の自宅から学校まで片道16㌔の道のりをずっと走って登下校した鍛錬の成果がどう実を結ぶか。
八幡浜工・中藤、八幡浜・成田両エースが持てる力を振り絞り力の入ったすばらしい投手戦は、互いに譲らず延長十四回、3時間58分にも及ぶ1点を争う死闘を展開したが、十四回表その中藤が自ら決勝点をたたき出して、優勝候補の一つといわれていた八幡浜を振り切った。八幡浜が一回表松本の三遊間適時打で先制すれば、二回表八工はダブルスチールから捕逸を誘ってすかさず同点とした後は、同投手の巧みなコンビネーション、球威のある投球を両チームとも打ちあぐねて0の行進。延長に入って八工がようやく成田の球をとらえ始める。十一回初めての連打、十二回一死三塁とムードにのったところで十四回のヤマ場を迎えた。一死後、三好が中堅横へ安打、成田のワイルドピッチで二進、続く岩田は二ゴロに倒れたが二死三塁。中藤はファウルなどで粘り抜いた末、成田の外角高めの甘いカーブをのがさず中前打して、三好が歓喜のホームを踏んだ。それにしても春の覇者八幡浜打線を沈黙させた中藤は、適度に荒れ、直球がホップするように打者の手元でよく伸びた。また十四回裏のピンチにスクイズを失敗させるなど好投だった。八幡浜は中藤の球を打ち込めなかったのが痛く、マウンドで孤軍奮闘する成田を擁護できなかったのが敗因。十四回裏も一死三塁としながらスクイズ失敗するなど自ら甲子園の野望をつぶしてしまった。
「あの一球甘かったですねェー」と中藤に打たれた投球を語る成田、その顔から大粒の汗がしたたり落ちる。延長十四回、打線の援護もなく投げつづけての一球「バテなかったけど打たれて悔しい」。最後の夏が一瞬にして飛んでしまった。十四回、四時間、交互にマウンドに立ち投げ合った中藤とは伊方中時代ともに野球をした仲、それだけに余計「負けたくなかった」。その投げ合いでは負けなかったが、思いもかけぬ中藤の一発に泣いてしまった。
伊方から毎日16㌔、往復32㌔の道のりをただひたすら走って大会に備えてきた成田、その努力と汗もかつての仲間に打ち砕かれ故障に泣いた春の大会に続いてまたしても悲運のエースとなった。しかし、その努力と健闘はたたえられる。
(3年生になりフォームをチェンジした可能性あり)
1978年
(八幡浜高校時代)
成田も本格派でコーナーを攻めるのがうまい。
1979年
(八幡浜高校時代)
投攻守三拍子そろったなかでも安定度抜群なのが投手力。エース成田は春のチャレンジマッチ前に肩を痛め、四国大会に出場せずじまいだったが、その後すっかり回復、6月3日の新居浜商との練習試合で五十余日ぶりに登板、「六、七分の出来」(勝川紘史監督)で被安打3で完封勝ちした。184㌢の長身をいっぱいに使っての下手からの速球は威力、制球力とも十分。シュートも相変わらずよく切れる。夏をめざして、伊方の自宅から学校まで片道16㌔の道のりをずっと走って登下校した鍛錬の成果がどう実を結ぶか。
八幡浜工・中藤、八幡浜・成田両エースが持てる力を振り絞り力の入ったすばらしい投手戦は、互いに譲らず延長十四回、3時間58分にも及ぶ1点を争う死闘を展開したが、十四回表その中藤が自ら決勝点をたたき出して、優勝候補の一つといわれていた八幡浜を振り切った。八幡浜が一回表松本の三遊間適時打で先制すれば、二回表八工はダブルスチールから捕逸を誘ってすかさず同点とした後は、同投手の巧みなコンビネーション、球威のある投球を両チームとも打ちあぐねて0の行進。延長に入って八工がようやく成田の球をとらえ始める。十一回初めての連打、十二回一死三塁とムードにのったところで十四回のヤマ場を迎えた。一死後、三好が中堅横へ安打、成田のワイルドピッチで二進、続く岩田は二ゴロに倒れたが二死三塁。中藤はファウルなどで粘り抜いた末、成田の外角高めの甘いカーブをのがさず中前打して、三好が歓喜のホームを踏んだ。それにしても春の覇者八幡浜打線を沈黙させた中藤は、適度に荒れ、直球がホップするように打者の手元でよく伸びた。また十四回裏のピンチにスクイズを失敗させるなど好投だった。八幡浜は中藤の球を打ち込めなかったのが痛く、マウンドで孤軍奮闘する成田を擁護できなかったのが敗因。十四回裏も一死三塁としながらスクイズ失敗するなど自ら甲子園の野望をつぶしてしまった。
「あの一球甘かったですねェー」と中藤に打たれた投球を語る成田、その顔から大粒の汗がしたたり落ちる。延長十四回、打線の援護もなく投げつづけての一球「バテなかったけど打たれて悔しい」。最後の夏が一瞬にして飛んでしまった。十四回、四時間、交互にマウンドに立ち投げ合った中藤とは伊方中時代ともに野球をした仲、それだけに余計「負けたくなかった」。その投げ合いでは負けなかったが、思いもかけぬ中藤の一発に泣いてしまった。
伊方から毎日16㌔、往復32㌔の道のりをただひたすら走って大会に備えてきた成田、その努力と汗もかつての仲間に打ち砕かれ故障に泣いた春の大会に続いてまたしても悲運のエースとなった。しかし、その努力と健闘はたたえられる。
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