プロ野球 OB投手資料ブログ

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前岡勤也・人見武雄

2017-08-26 22:13:09 | 日記
1965年

そこへいくと、甲子園に旋風をまき起こし、鳴り物入りで阪神へ入りながら芽が出ず、中日へ移っても代走専門に終わった前岡は、すでに「中日シネラマ館」へ就職し、過去をさっぱり捨て去っているし、ロク膜疾患、火事と災難の続いたかつての五番打者人見も「六甲山ホテル」で営業の仕事に精を出している。東京の小林、上条、新井、押田の四人はそろって、東京新宿の印刷会社で模範社員の仕事ぶり。「苦しかった野球生活を思えば、なんでもやれる。仕事をおぼえたい一心だ」とかくルーズだった野球生活とは違って無遅刻、無欠勤は立派なもの。巨人の柴田とともに法政二高優勝の原動力となった的場以下石田、高井良、波山、大森の甲子園組、神宮で脚光をあびた佐々木、小西、会田らも消えていった。社会人の全電化で活躍した大洋の平野、ニッポン・ビールのエースだった一年ちょっと在籍しただけ。井上忠、寺田、松久保、財津、平井などは25名のワク内からいきなり自由契約にほうり出されてしまった。異色の双生児バッテリー中日の上崎兄弟は一度も公式戦に出ぬまま、九州飯塚の実家へ消然とひきあげた。

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