プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田中彰

2014-09-13 22:33:35 | 日記
1977年
・阪急に「第二の福本」出現か。
田中彰外野手22歳。昨秋の入団テストで見事に合格、いまV3を目指すナインとともに懸命のトレーニングをつづけている。神戸学院大では強肩を買われて外野手から投手に転向した。昨年春には関西六大学リーグで「神院大旋風」の立役者になりながら、172センチ、72キロの小柄な体が災いしたのか、ドラフトではどこからも指名がかからずじまい。しかしプロへの夢は断ちがたく、阪急のテストに応募、88人の中から、投手の夏目とともに2人だけ選ばれた。年俸180万のテスト入団。しかし田中の株は飛日に日にあがる一方だ。とくに足腰のバネのよさが目立ち、ランニングでは常にトップグループ。上田監督でさえ「いい走り方をしとる。運動神経の良さを感じさせるね。ひょっとすれば福本のようになるかもしれんで」と目を細めるほどだ。「子供の頃からの夢が実現したんです。死に物狂いで頑張ります」大柄なナインに混じればいかにも体は小さい。しかしテストを受けてまでプロ入りした田中には人一倍の根性がある。住友コーチも「彼のようにガッツをムキ出しにするヤツの方が鍛えがいがある。ガッポリ契約金をもらった者に負けるかという、意気込みがこちらにも伝わってくる」とキャンプでのシゴキを早くも宣言している。
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K・H・ライト

2014-09-12 16:11:31 | 日記
1972年

異色の新人、K・H・ライト投手が、ウエスタン・リーグの対広島5回戦で、プロ入り初のマウンドを踏んだ。長身のうえに長いモミアゲ、かっこうだけは大リーガー並みだが、球威の方はさっぱり。5イニングを投げ、道原、前田にホームランされ、4点を失った。ところが、当のライト君、デビュー戦がKO同然だったというのに「はじめてだから、打たれてあたりまえですよ」とケロリとしたもの。ショックを受けているようなところはみじんもなく「三振を三つ取れた方がうれしい。これから一つずつ勉強していきます」と笑顔さえ浮かべた。大石ピッチングコーチも「あんなもんでしょう。入団したころよりはだいぶかっこうがついてきた。いずれにしろ、一軍で使えるようになるのは二、三年先のこと」といっていた
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野上俊夫

2014-09-12 13:53:30 | 日記
1968年

和歌山市の中心から少し西へはいった寺町の一角に野上の実家がある。すぐ裏の寺の境内と墓地が野上のトレーニング場である。柔軟体操、ランニング、縄とび、素振りー。午後は約3㌔離れた水軒浜海岸までの往復を走る。これが、昨年十一月、阪神入りがきまってからの日課である。正月は先輩(市和商)の阪神・藤田内野手といっしょに和歌山城内まで足をのばして走り回った。野上が本格的に野球をはじめたのは、小学校四年のときだったそうだ。根っから野球好きの父親俊彦さんは、そのころから野球の基本が書いてある本を片手に、手とり足とりして教え込んだ。俊彦さんの頭の中には、早くからプロのユニホームを着た俊夫君の晴れ姿がきざみ込まれていたのではないだろうか。「ドラフト会議でどこぞの球団から指名されるとは思っていたが、まさか一位でランクされるとは・・オトロいた(驚いた)-」野上は和歌山弁まる出しでテレた。昨年六月、すでに住友金属への就職が決まり、本人もその気になっていた。それが、一転してプロ入りに踏み切ることになったのは、両親のすすめでも親類のアドバイスでもなかった。ほかならぬファンレターだったというからおもしろい。阪神が指名したことが報道されると、南は九州から北は北海道まで、全国各地の阪神ファンから野上の家にレターが殺到、一日も早く阪神へ入団せよなにをぐずぐずしているかー早く一人前になって巨人を手玉にとってくれなど、どれもこれもプロ入りをすすめる内容のものばかり。この熱烈なファンの手紙を読んで、迷っていた心がはっきり決まった。千五百通にのぼる激励文は、いまも野上の部屋に大切に残されている。野上の母、正子さんは、いまだにプロ入りに疑問を持っている。「大会社へ就職したほうがよかったのではー。もし、しくじったら本人がかわいそうです。周囲の人は大金がもらえてなどといいますが、金なんかどうでもええ」と涙を浮かべて話した。しかし、父親から「お母さんを納得させるのはお前次第ー」ときびしくいい渡されている野上は、意外にさっぱりしている。一人っ子の甘さなど、かけらもない。経済的に恵まれない家庭に育ったことで、シンが強くなったのかもしれない。「早く一本立ちして、巨人相手に投げたい」と、きっぱりいった。
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河原明

2014-09-12 13:29:48 | 日記
1968年

東洋一海抜330㍍の煙突が、豊後水道に煙をはき出す大分県佐賀関町。この日佐賀関の巨大な煙突のほかに、町の人たちの自慢がもう一つふえた。投手力で日本一を誇る西鉄から、ドラフトで第一位に指名されて入団した河原投手を出したことである。煙突を見上げる白ヶ浜、里ヶ浜、きれいな小石の上を走る同投手に、期待の声援があちこちからかかる。身長182㌢、体重75㌔、胸囲は94㌢。期待をになうにふさわしい堂々たる体格だ。もちろん、実績もじゅうぶん。全身のバネをきかせた横手からの快速球が注目されたのは、大分商二年生のころ。昨年六月の県大会では、一試合奪三振21、連続奪三振13というとてつもない記録をつくり各球団のスカウトたちを「九州にものすごい投手がいる」と騒がせた。甲子園の活躍はまだ記録に新しい。昨年末には、はやばやと西鉄の練習に参加、剛球の片りんを披露した。「まだフォームが固まっていない。いずれは直さねばならないが、あれだけのタマを投げられるのは、人並みすぐれたバネ、筋肉を持っている証拠。首脳陣は、文句なしに合格点をつけた。ナチュラルに右や左に曲がるボール。タマのにぎり方やフォームの粗けずり。こぢんまりとまとまった選手が多い若い芽のなかでも、異色の存在。中西監督は「久しぶりに力のある投手を見たという感じだ」と頭をほころばせる。打てぬ悩みが、ことしも続きそうな西鉄。むしろ昨年を下回る可能性が強い。それだけに、投手陣の負担はふえる。当然、河原もソロバン勘定の中にはいっている。「八人のスタッフのなかにはいれるよう、キャンプで育てる」と中西監督は断言する。「下半身を強くすること。それに、現在のストレート、カーブのほかにシュートを覚えたい。目標は稲尾さん」周囲の期待が大きいわりには、河原の抱負はことば少ない。精肉業を手広く営む父親、利晴さん(55)も「無口だが、気の強い子です。きっとやってくれます」とむすこの根性に全幅の信頼をおいている。目標にしている稲尾より、はるかにすぐれた体格ー。西鉄から池永についでの新人王誕生も、可能性はじゅうぶんある。
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中野孝征

2014-09-12 12:17:58 | 日記
1968年

「進学するんだ、ノンプロに就職するんだ、といってた選手が巨人に指名されると、すぐプロ希望に変わってしまうでしょ。あれ、どうかと思う。巨人ってそんなに魅力あるのかな」暮れに入団したばかりだというのに、もう巨人に反発心をみせる。打倒巨人を旗印に掲げる別所監督には、うれしい新人の登場である。ライトブルーのトレーニングシャツを頭からすっぽりかぶって、身じたくができると、ひとつ大きく背伸びをした。シャツも、トレーニングパンツもズックグツもみんな新品。町の人がふり返って見るのにも、テレもせず、スタスタと正月の町を走った。宇都宮市の郊外、兄雅美さんの家から通称水道山といわれるトレーニング場まで往復するだけで約12㌔。そこでまた、とんだりはねたり、正月早々からトレーニングはさびしい。身長1㍍71。プロ選手にしてはあまり大きいほうではない。ハダカになると、そのたくましいからだに圧倒される。入団するとき、健康診断をした横浜市・鶴見の矢橋整形外科病院の矢橋健一院長は、十数枚のレントゲン写真を手にして感嘆の声をあげた。「プロ野球の選手をたくさんみてきたけど、こんなすごい骨格はみたことがない」作新学院からノンプロ岩崎電気ー日本楽器と、いつも猛練習がついて回った。院長を驚かせた骨組みは、それに耐え抜いた成果だろう。新人王の武上の身上が粘りとしぶとさなら、中野のそれは、洗練された野球センスだ、と小山スカウトはいう。「この二遊間コンビ、売り出しますぜ」同スカウトは、もういまから自信満々である。中野の入団で同じ遊撃手の矢ノ浦はトレード要員。アトムズのこの新人へのほれ込みようは、ただごとではない。三歳のとき、父親に先立たれ、母親フミさんの手で育てられた。フミさんは日雇い労務者までしたというから、中野も経済的につらい思いをさせられたらしい。抱負は、「どんなことをしても、この商売にしがみついて離れない」だった。
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八重樫幸雄

2014-09-12 11:43:03 | 日記
1970年

小学校四年生のときに、新聞配達をはじめた。ちょうどそのころだった。プロ野球の選手にあこがれ、「よーし、ボクも」と幸雄少年は夢を抱いた。中学から高校に進んでからも新聞は配りつづけた。移行して夢もどんどんふくらんでいった。でも、ときおりふっと心配がかすめることもあった。ノンプロに行った方がいいんじゃないかな。その迷いもブラジル遠征のメンバーに選ばれてふっきれた。プロ以外にない。だから迷わず飛び込んだ。高校生では太田と並んでたった二人の一位指名だったことが、いっそう意を強くさせた。末っ子の三男坊。でも暮らしが楽でなかった家庭環境は、あまったれにさせなかった。小さいときから「自分がほしいものは、自分の力で手に入れる」ことになっていた。それが、地味な存在である山内(広島)にあこがれ「給料をもらったらミットやスパイクを買う。余ったら貯金」といわせる堅実な少年に育てあげた。マユが太く、スキ間だらけの歯並び、いかつい顔。人気マンガ「巨人の星」に出てくる捕手の伴宙太を思わせる。捕手というのは、新人にとってむずかしいポジション。田淵だって転向を考えた。「ボクの売りものは肩なんです。どうしても捕手で成功したい」。たとえ下積みが長くても「力いっぱいやってダメならあきらめがつく」東北一といわれたスラッガー。二度の甲子園出場で、一本もスタンドへたたき込めなかったのが大いに心残り。幸いチャンスはめぐってくる。「甲子園でホームランを打ちたい」。仙台商、捕手、十八歳。
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浅野啓司

2014-09-12 11:28:40 | 日記
1968年

メンバー表をみると、投手は十五人もいる。別所監督、山根コーチにことしのエースをきいたら、申しあわせたように「浅野」という返事が即座にはねかえってきた。昨年あたりなら、石戸、佐藤、石岡などの名前がとびだしてきたところだ。それだけ浅野の進境がめざましい証拠なのだろう。キャンプ視察にやってきた水野成夫オーナーは、浅野の成長におどろき、楠ヘッドコーチに「むかし一高、東大で活躍した内村祐之投手(前プロ野球コミッショナー)に風格がそっくりだ」と耳うちしたそうだ。ブルペンでの投球ぶりにも、余裕がうかがえる。投球フォームが変わった。昨年はスリークォーターから投げ込んでいたのを、オーバーハンドにしたため、球速とともに打者への威圧感が加わってきた。「これまでは手首の強さだけで投げていたが、キャンプにはいってからはボデースイングが大きくなり、スタミナも倍増している。リリーフが多かった昨年とちがって、ことしは先発して完投というケースが断然多くなるだろう」とみるのは山根コーチ。一日の投球量は、かるく二百球以上。右打者の外角低めをつく速球のノビがすばらしい。一年目の昨シーズンは50試合に登板して8勝10敗。石戸の12勝、佐藤の10勝につぐ勝ち星だが、防御率2・76は二人をはるかにしのぐ好成績だ。「勝ち星よりも信頼される投手になりたい。まず投球内容の充実を心がける」と控えめながら意欲をのぞかせる浅野。しかし、浅野が勝ち星を重ねられるかどうかは、投球内容と同時に、バックの援護しだい。別所監督も「たとえ投手が2、3点とられても、打線が4、5点取り返すような試合をやって、勝ちグセをつけさせたい」といっている。首脳陣がその援護の面でもっとも期待をかけているのは四番打者のロバーツ。来日一年目で本塁打28本、89打点、打率2割7分をマークした実績は、二年目の今シーズン、日本の野球にもなれてさらに飛躍がのぞめるだろう。「固定したメンバーは組まずに、調子のいい選手から使っていくが、ロバーツの四番だけは別格。ロバーツの前にどれだけ走者がでるかによって得点力が左右されると思う」ともいう別所監督。シーズンオフで帰国しているあいだも中南米のウインターリーグに出場してコンディションをととのえていたというまじめ人間ロバーツは、十二日よる、元気にキャンプインした。ロバーツの存在は、投手陣、わけてもエースの座をめざす浅野にとってたのもしいかぎりだろう。
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水谷孝

2014-09-12 11:13:00 | 日記
1968年

阪急の高知キャンプで最大の収穫は、プロ二年生の水谷(三重高出身)の成長といわれている。オープン戦第一戦の先発投手に選ばれた十九歳の少年は、西本監督ら首脳陣の期待にこたえるピッチングを披露した。6イニング、二十二人の打者に投げ、被安打4で失点0。オープン戦の前日、水谷は高知市営球場の特設ブルペンで足立、石井茂らの主戦投手とならんで懸命に投げ込んでいた。その姿を目を細めてみつめていた真田コーチが「ことしものになるのはこれ一人ですよ。なんとか5勝はさせてやりたい」といっていたものである。試合が終わり、報道陣に囲まれた水谷は「まずまずのできでした。スピードはじぶんでも満足できなかったけれど、思うところへ投げられました」と邪気のない笑顔を浮かべた。真田コーチは、オープン戦とはいえ、今年の初試合をみごとに飾った愛弟子をベタほめした。「文句のないできだった。完投させようと思ったほどだ。とくに外角低めのタマがよかった」こんごの課題はなんですと聞かれると「腕の振りがよくなればスピードがもっとでる。開幕までに鋭く曲がるカーブと、内角のシュートを完全にマスターさせたい。この二つをおぼえれば先発要員の一人に加えることができると思う」確信があるのだろう、一気に話した。阪急入りした昨シーズンは制球力不足のため9試合に登板しただけ。勝ち星をあげることはできなかった。「オフシーズンになったら、うんと走りこめ」西本監督からきびしくいい渡された水谷は、正月休みに故郷の名古屋へ帰ったときも、毎日ランニングを欠かさなかった。そしてことしは、昨年に比べ身長が2㌢、体重も3㌔ふえ、1㍍80、80㌔とたくましさを増した。キャンプ中に、ピッチングが甘いと、真田コーチから十日間の外出禁止を命じられたときもイヤな顔ひとつせず、もくもくと練習に打ち込んだ。「ぼくの最大のねらいは公式戦で1勝をあげること」という水谷、いまのすなおさとしんぼう強さを失わなければ、この少年投手の悲願は意外に早くかなえられそうな気がする。
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稲生高善

2014-09-11 21:07:20 | 日記
1976年
・稲生捕手のひたむきな練習態度が話題になっている。しかし彼の名を知るものは少ない。ことしでプロ4年目だが昨年までは南海にいた。実績はゼロに等しく、ファームでも代打要員が主で3年間の通算打率が246.昨年暮れには、あっさりクビを宣告されカープへ。しかもテスト入団。68人のうち、ただ1人の合格者だったわけだ。南海への入団もテストを経てというから野球への情熱も相当なものだ。「成功すれば、取る金も一般の人とは、まるで違いますからね」とハングリー精神を見せる。176センチ、78キロで右投げ右打ち。見た目には平凡だが「まじめな男で実に練習熱心です。成功してほしい1人ですね」南海で同じカマのメシを食った寺岡コーチは力こぶを入れている。捕手陣に決め手がないカープだけに一軍登用のチャンスは十分にありそうだ。「全体に力感がある」と首脳陣もほめる稲生だけに、なんとか成功してほしい。
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佐々木剛

2014-09-09 21:28:23 | 日記
釜石北高校時代

1965年

エースの佐々木は右腕から繰り出す速球に威力を持っているものの、制球力に難があり、この進境がチーム力のカギだ。

1966年

投手力は、佐々木だけがたより。佐々木は、冬季練習中に肩を痛め、本格的な練習を始めたのは最近だが、肩の痛みはほとんどとれ、一七五㌢の長身から速球をビシビシ投げている。コントロールにやや難があったが、調子が出ればかなりやれる。
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岩崎良夫

2014-09-07 22:56:57 | 日記
1967年

今大会で野球部を解散する立正佼成会は、最後の日が次第に近づいてくる。「せっかくなれてきた時だけに、去るのは実に寂しいんです。それだけになんとしてもこの大会は優勝したい」佼成会全ナインのチームに対する愛着と執念が、決勝のホームランを左翼ポールぎわに運ばせたと岩崎はいった。そのホームランも、消えかかる佼成会を懸命にささえるかのように、きわどく飛んでいった。「相手があんまり強くファウルと抗議するんでいやになっちゃった。昨年のオープン戦でも、あのような当たりをファウルにされてしまって残念な思いをしたことがあるんです」絶対に切れなかったの自身も話すたびに憤然とした口調になっていった。名門作新学院時代は二年生で一番を打ち、甲子園の土を踏んでいる。佼成会に入ってもすぐ一番打者。しかし1㍍73の体にしては本塁打が意外に多い。今夏の都市対抗予選でもサッポロ、リッカー戦でいずれも本塁打を放って本大会出場の立役者になった。「夏は土屋さんに押えられているからそれだけにきょうの本塁打はうれしかった。内角直球だと思いますが、思い切って振りました」にきびが顔一面に吹き出てまだ童顔だ。すでに河合楽器に入社が決定している。「河合楽器には、東都で首位打者を取った佐野さんが入るそうですから一生懸命やらないとレギュラーにはなれないでしょうね」と新天地に意欲を燃やしている。佼成会は岩崎の貴重な一打で準決勝に進んだ。有終の美をかざろうとする佼成会ナインは、岩崎の根性に代表されるように勝つことに目を色をかえている。1㍍73、68㌔、右投げ、右打ち。佼成会庶務課勤務、二十才。作新学院出身、背番号16。
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園田喜則・五島長登志

2014-09-06 19:03:23 | 日記
1967年

内野陣の強化ー東京はこの一点に今シーズンを賭けることになったが、その線で補強されたのが園田(1メートル七七)五島(一メートル七九)といった大型遊撃手。ともに高校時代は三割五分の高率をマークし、強肩俊足の持ち主。次代の内野手として大いに期待されている。ところが、こうした大型選手の抱負が、口をそろえて「さっぱり自信がありませんが、しっかりやります」と、まったく控え目なもので、いささか意外だったが、これも高校生らしく謙虚でいいと好評。それでも問われるままに話した抱負の中に、二年先輩にあたる山崎のことにふれると「山崎さんを追い抜こうと思っています」と、現代っ子らしい強気な発言となった。この二人をとった青木スカウトは、「いままで、うちの内野は小型だった。ことしは大型選手を補強する方針に切り替え、成功した。みていてください」と、早くも将来の活躍にタイコ判を押している。
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