プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

福富邦夫・細田正彦

2019-12-27 09:17:52 | 日記
1964年

国鉄は十日午後四時、東京・有楽町の球団事務所で福富邦夫外野手(21)=神奈川大三年中退、1㍍78、75㌔、左投げ左打ち、細田正彦投手(17)=山梨県市川高、1㍍77、70㌔、右投げ右打ちの入団を発表した。
福富選手が在学中に記録した通算打率は・420。攻守走三拍子そろった好選手として注目され、西垣技術担当重役が、早くから交渉していた。ことし六月、神宮球場で行われた全日本大学野球選手権大会の直前にプロ入りがウワサされ、同選手は、自発的に出場を辞退している。細田投手は横手投げの好投手。とくに奪三振が多く、一試合平均10個を記録している。なお同選手とも背番号は未定。
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三沢今朝治

2019-12-24 11:27:38 | 日記
1962年

東映・水原監督は二十三日午前、東京大田区調布南町の自宅に宮沢スカウトを呼び駒大・三沢今朝治一塁手の獲得について話し合った結果とることにきめた。同選手はすでにノンプロ熊谷組入社が内定しているが、三沢は東映入りを希望。松商学園の先輩宮沢スカウトにその希望をもらしていた。しかし東映では早大・鈴木(悳)選手の入団がきまっていなかったことと「一塁手は二人も必要がない」という意見が球団の中にあって決定がのびのびになっていた。三沢選手は近日中に熊谷組の了解を求めたうえ、東映と契約を結ぶことになっている。

三沢選手「熊谷組にお世話になる予定だったが、できるならプロ野球で自分の力をためしたかった。シーズン中に西鉄の伊藤スカウトと東映の宮沢さんから話があったのでプロでやることに決心した。宮沢さんは松商学園の先輩だし、東映に親しみを感じていたので入団したいと思っていた。幸い希望通りになってうれしい。熊谷組とは話し合って円満に解決したい」

三沢今朝治 松商学園出身。松商では三十三年夏の選手権大会に出場、三十四年高校の先輩小林監督に誘われて駒大に入学。一年のときからリーグ戦に出場したが、故障がつづいてレギュラーになったのは昨秋から。そのシーズンに四割二分二厘で首位打者になった。今春は三番に抜てきされたが、苦手の外角球をライトに流すことをマスターして四割三分五厘で再び首位打者になり、エース泉とともに駒大初優勝の原動力となった。秋は三割六分五厘(打率二位)で惜しくも三シーズン連続首位打者の記録をつくることはできなかったが、三シーズン連続ベスト・ナインに選ばれた。長打力(今春2ホーマー)があるわりにやわらが味あるバッター。1㍍72、73㌔、左投左打、二十三歳。

東映・宮沢スカウト「水原監督と会って、三沢君のことについて話し合い、きめた。素質のある選手なのでプロにはいっても十分やっていけると思っている」

駒大・小林監督「三沢が東映にはいることは宮沢スカウトから聞いた。彼は熊谷組に入社が内定していることでもあるし、問題のないように、そちらの方(熊谷組)をきれいにかたづけてから東映にはいりたいといっている。本人がプロでやりたいと希望していたが、その夢がかなえられたのだからよかった」
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バレニイ

2019-12-24 11:07:05 | 日記
1955年

近鉄はジョージ・A・バレンティ遊撃手と十一日同球団事務所で仮契約した。正式契約は同選手の乗務の都合上来年一月上旬になる。バレンティ遊撃手は五尺八寸、十九貫、二十四歳。イリノイ州ハーヴェイ生れ、シカゴ・ハイスクール、イリノイ大建築科出身。五十三年来日、五十四年除隊し、その後米軍小倉キャンプの軍属として働いていた。
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上崎克公・上崎泰一

2019-12-24 09:53:27 | 日記
1963年

中日は七日午後、球団事務所で飯塚商のバッテリー上崎克公(かつとも)投手(18)=1㍍72、63㌔、右投右打=上崎安一(18)捕手=1㍍71、65㌔、右投右打=の入団を発表した。同選手は双生児で、高田代表は「大成するかどうかは別として球界のザ・ピーナッツだ。兄弟バッテリーで売り出したい」と得意顔だった。
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山田勝国

2019-12-24 09:46:03 | 日記
1962年

近鉄ではこのほどノンプロ東洋高圧大牟田の山田勝国外野手(18)=博多工出、1㍍79、75㌔、右投右打=の獲得に成功した。山田選手は高校時代中堅手で四番を打ち、三年間の通算打率四割、七ホーマーをはなっている。今春卒業と同時に東圧入りした。地元西鉄も高校時代からねらっていた。
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坂口俊一

2019-12-24 09:35:43 | 日記
1962年

中日は二十九日、二軍の坂口俊一マネジャー(24)=1㍍70、76㌔、右投右打、外野手=を来シーズンから選手に復帰させ後任は東京駐在の菅野彰一スコアラー(24)=法大出=を決めた。背番号は未定。
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宮本勝寿

2019-12-24 09:29:19 | 日記
1962年

近鉄ではこのほど大阪商大付属高・宮本勝寿選手(18)=1㍍74、75㌔、左投左打=の入団を正式にきめた。同選手は八月の公募テストに合格、その後、藤井寺の練習に参加していたもの。高校時代は投手だが近鉄では打力を生かして外野手に使う見込み。なお宮本と同時に第一次テストに合格した伊佐投手(京都・山陽電機)は不採用となった。
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辻佳紀

2019-12-22 16:46:25 | 日記
1962年

阪神タイガースは、二十七日大阪梅田の阪神本社二階会議室で明大辻佳紀捕手(21)=身長179㌢、体重87㌔、右投げ、右打ち=の入団発表を行なった。辻捕手は敦賀高時代に二度甲子園大会に出場、明大に入学後一年秋に初出場、三年春からレギュラーポジションをかちえた。ことし春のシーズンは主将として攻守の要であったが、六月の韓国遠征で左腰を痛め、秋のシーズンは後半二試合に出場しただけ。強肩強打の大型捕手としてプロからは大洋、大毎などから勧誘されていたが、このほど阪神に正式入団した。なお背番号は未定。

戸沢社長の話 捕手の強化が、補強のポイントだっただけに辻君には大いに期待している。研修制度のため50試合は出場できないがそれがすめばどしどし使いたいしまたぜひそうあってほしい。大学でもまれていることだし、補強をいそいでいたポジションに辻君を得たことは非常に心強い。

辻選手の話 小さい頃から大好きだった阪神にはいれて非常にうれしい。痛めた腰ももう大丈夫です。公式戦出場を目標にがんばりたいと思っています。研修期間内にうんと勉強して、はやくプロの水になれたい。大学時代からのライバルだった大橋、岡本君も同じセ・リーグに入ったことだし、ぜったいに負けられない。それに大学時代ケガでずい分泣かされましたのでケガだけはしないようにトレーニングには、とくに注意をはらっていきたい。
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田中允

2019-12-22 13:58:27 | 日記
1962年

阪神・リーグ大阪商業大学の四番打者田中允左翼手(山口県早鞆高卒、経済学部四年、身長173㌢、体重79㌔、右投、右打ち、二十二歳)は今春からプロ野球巨人ほか二、三球団の誘いを受けていたが、十八日学生生活最後のゲーム(関西六大学入れ替え戦)を終えプロ入りの意思をみせた。本人は在京球団を希望している上に積極的に交渉した巨人への入団は確実と思われる。田中選手は中央球界には知られていなかったが、高校時代から恵まれた体格で大物打ち、大阪商大にはいり武村監督の指導でその打撃に磨きがかけられ、阪神六大学リーグでは屈指の強打者となった。大商大の中心打者として浮かびあがったところを巨人をはじめ三球団がつづいて誘いをかけ田中自身も「プロで思う存分やってみたい。それも出来るなら東京の球団」とプロ入りを決意していたところを巨人・伊藤スカウトの働きかけに動かされた。しかし秋季リーグ戦につづいて関西六大学リーグの入れ替え戦をひかえていたため、交渉を中断していたが、十八日全日程を終了したのを機に態度を明らかにしたもの。

大商大・田中選手の話 同じ野球をやるならプロの世界で存分力を試してみたい。東京のチームが希望です。でもこのところスランプ気味なので…。監督とよく相談して決めます。

大商大・竹村監督の話 調子のよくないのを気にしているが、プロでやってみたいというのなら、思いきって力を試してみるのもいい。現在はちょっと迷っているようだが、これで学生としても全日程も終えたんだし、ゆっくり話し合って最上の道を決めたいと思う。
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合田栄蔵・久代義明

2019-12-21 14:56:18 | 日記
1960年

兵庫県下はもちろん全国高校野球界で有数の好投手として注目されていた県尼崎高の合田栄蔵投手(18)=三年=は三十一日、プロ野球南海ホークス入りを決定した。同投手は一年生のときから各球団スカウトにマークされ、今夏の予選終了後も何相、西鉄、東映の三球団から熱心な誘いを受けていたが、九月末南海鶴岡監督に説得されたのと、同投手が南海のチームカラーを好んでいたため、スムーズに南海入りが決まった。合田投手は一年秋から早くも県尼崎のエースとして登板、秋の県高校野球に優勝し、準々決勝で優勝候補の高知商を完封するなどの活躍で準決勝へ進出した。さらに今春の県大会では対兵庫高戦でノーヒット・ノーラン試合を樹立するなど活躍して優勝、近畿大会でも海南、宮津を完封して優勝投手になっている。やや上背(1㍍70)に恵まれていないが、マウンド経験からみてプロ野球でも十分活躍できる素質をもっている。とくにコントロールがよく、カーブ、シュートにもスピードを秘めている。正式契約は今月中旬の予定。なお同校の長幡外野手は先に阪神入りを決定している。また県下で屈指の好捕手として注目されていた三田学園高の久代義明捕手(18)=三円=も三十一日、プロ野球大阪タイガース入りを決定した。同捕手は長打力を誇る強打の持ち主で、今夏の予選前からすでに阪神をはじめ大洋、西鉄、広島、阪急の五球団にマークされていたが、同捕手が早くから地元である阪神を希望していたため、阪神入りが実現した。同選手は一年からレギュラーとして夏の予選に出場、二年から捕手に転向して四番を打っていた。今夏の予選では不振だったが、予選前に6ホーマーを放つ強打ぶりをしめした。なお身長は1㍍70、体重は76㌔。正式契約は近日中に行なう。
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日野美澄

2019-12-21 12:05:10 | 日記
1956年

中日入り内定の農大の花形選手、日野美澄遊撃手(21)=徳島県鳴門高出身=は十八日午前十一時から名古屋市の中部日本新聞社で小山中日球団会長との間で正式に契約調印した。六大学野球二十九年春のリーグ戦で首位打者となった。五尺六寸、十七貫。

日野選手談「パ・リーグの球団からいわれたが、中日のカラーがすきで、できるなら入りたいと思っていた。その矢先、球団の先輩からさそわれたのですぐ決意したわけだ。入団後はやはり遊撃手をやりたい。ただ大学とちがってプロの投手は球質が多いので打てる自信などはない。競争のはげしい世界だから真剣にがん張ってみたい。これからキャンプ・インするまでは主にランニングとバットの素振りをやる。とにかくいまのぼくには力をつけることが先決だ」
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大黒正一

2019-12-21 11:56:54 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは二十八日午後大黒正一外野手(21)=右投げ右打ち1㍍73、70㌔=と契約を行なった。同選手は三十五年愛媛県八幡浜高卒業後阪神タイガースに入団、ことし十一月自由契約選手になったもの。今季のウエスタン・リーグでの成績は、41試合、146打席、133打数、34安打、54塁打、本塁打4、打率・256、出塁率・317。

阪急・岡野代表の話 本人からの申し出で、テスト生のような形で契約した。ところが調べてみるとなかなか成績もよく、俊足とわかった。阪神がなぜこのような優秀な選手を手放したのかわからない。いわば各球団が気がつかなかった選手を取れたというところだ。二軍コーチ連中も将来性はじゅうぶんあるといっている。
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内山正博

2019-12-21 11:44:23 | 日記
1990年

63年の社会人日本選手権で準優勝に輝いた本田技研熊本のエース。昨年は全日本のメンバーに選ばれ、対キューバ戦にも出場している。サイドハンドから右打者のひざもとにくいこむシュートを武器に、外角へのスライダーでゆさぶる粘っこいピッチングが持ち味だ。その球歴、年齢からいっても即第一線出場を狙っている。
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黒木幹彦

2019-12-21 11:43:12 | 日記
1965年

西鉄は九日、黒木幹彦内野手(25)を任意引退選手とし、同選手が東京オリオンズ入りを希望しているので、近く正式に話し合いをすすめる。昨年十二月二十五日、第一回の契約更改の話し合いで約20%の減棒を言い渡されていた黒木は、その後球団の呼び出しにも応ぜず、球団に姿をあらわさなかった。このため十日までこなかった場合は自動的に任意引退選手にする方針だった。だが黒くは九日正午、天神町の球団事務所で川崎球団重役と約三十分話し合い「こんなに減棒されるのでは西鉄と契約できない。旧知の濃人コーチのいる東京オリオンズで働きたい」とトレードを希望した。球団ではまだ正式態度をきめていないが、この日黒木は任意引退の同意書にサイン。西鉄ー東京の話し合いを持つことになった。

黒木選手「これ以上西鉄にいてものびない。中日時代世話になった濃人さんのいる東京で働きたいので球団に話し合いを進めてくれるようにたのんだ」

川崎球団重役「まだ修行中の身で、ウチでは働けない。ほかのチームでプレーしたいというような言いぶんはどうも感心しない。東京に話してみてもどうなるかはわからない」
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