プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

矢ノ浦国満

2023-12-23 15:44:21 | 日記
1964年
近鉄矢ノ浦国満選手(22)と丸福金網社長林忍さん二女映子さん(22)=樟蔭女子大卒=の結婚式が十二日正午から大阪市北区の新大阪ホテルで行われた。仲人は山中文和氏(山中大仏堂社長)夫妻。厳粛な挙式のあと二時半から三階式場で披露宴に移ったが、近鉄球団から永江社長、別当監督のほか藤井寺球場でキャンプ中の主力選手のほとんどが出席した。グラウンドの猛者も終始テレっ放し。1㍍以上のウエディング・ケーキを切るときも顔を真っ赤にしていた。同選手はキャンプ中のため十三日を休んだあと十四日からキャンプに参加の予定。

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伊藤正信

2023-12-22 09:45:11 | 日記
1973年
伊藤正信投手(26)は正午から岐阜県恵那市東野下辻の自宅で久間田雅代さん(22)=群馬県薮塚市薮塚本町、栄一郎さんの長女、明和女子短大卒=と叔父の伊藤秋夫さん夫妻の媒酌で結婚式をあげた。

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望月秀通

2023-12-22 09:41:18 | 日記
1992年
先発望月は立ち上がり制球に苦しみ、不安定な投球。初回、ハウエルの右前適時打で1点を失ったが、その後はフォークを効果的に使う粘投でヤクルト打線を六回まで4安打、2点に抑えた。


川口、長冨を中日戦で使い、投手ローテーションに穴のあいた広島を救ったのは若い望月だった。初回、ハウエルに右前適時打を浴び前途多難なスタートだったが、ヤクルトの強力打線を相手に六回まで2失点に抑えたのは立派なものだ。この日の先発を首脳陣に通告されたのは前日の試合前。夜、ホテルのベッドに入ってもヤクルト打者のこともあれこれ考え「午前四時ごろまで寝つかれなかった」そうだ。なにしろ今季の先発は六月二十一日の中日戦に続いて二度目だから無理もない。「初回は全然リズムに乗れなかった。緊張してたんでしょうね。ハウエルに打たれたのはボールが真ん中に入った」七回、秦、パリデスに連安打され大野の救援を受けたが、「あの回はバテたのか体の切れがなかった。パリデスのライナーなんかこの辺」腹の辺りに手をやり「楽に捕らねばいけない。情けない」と悔しがった。184㌢、87㌔。大投手になるに申し分ない体の持ち主。「もう一つ持ち球をきっちりマスターすれば…。でもきょうは助かった」投手陣を預かる安仁屋コーチもご機嫌だった。

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立野清広

2023-12-22 08:50:22 | 日記
1975年


控えの立野は長身からのドロップに威力がある。
ロッテから指名されるとは思っていなかった。まだ実績がないのでプロ入りは早いと思う。それに就職先(仙鉄管理局)も内定しているので、これから両親、学校、先輩とよく相談して行方を決めたい。


プロ野球のロッテ・オリオンズ球団からドラフト四位で指名された立野清広君(18)=東北高校=の入団が決まり、十八日午後、東京・新宿の同球団事務所で正式に発表された。宮城県出身の同球団選手は立野君が三人目。宮城球場をフランチャイズとしているカネやんロッテにとっては、将来が大いに期待される地元からのルーキーだ。立野君は高校二年生の秋に内野手から投手に転向。ピッチャーとしての経験はまだ浅く、目立った試合実績もないが、185㌢、75㌔という恵まれた体格、右腕からの速球にほれこんで同球団がドラフトで指名した。金田監督の特訓で、コントロールや変化球をマスターすれば、村田投手二世の出現は間違いなしともささやかれている。十八日同球団事務所に姿をみせた立野君は、記者団を前にやや緊張ぎみ。やはり入団が決まった水上善雄君(18)=桐蔭学園、内野手=と並んで石原代表から紹介されたあと「ロッテに入団できてうれしい。早く一人前のピッチャーとしてマウンドに立ちたい。がんばります」と抱負をキッパリ。父親の信広さんも「本人の希望を尊重しました。小さい時から野球の好きな子でして…。故障しないように気をつけて、活躍して欲しい」と息子のプロ入りを喜んでいた。

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上林成行・太田清春

2023-12-20 16:01:42 | 日記
1972年
投打に一日の長があるクラレの順当勝ち。新日鉄・大町、クラレ・上林両投手ともに好調なスタート、三回まで淡々と進んだ。上林は速球、カーブをのびのびと投げ2安打、1四球と新日鉄につけ入るスキを与えなかった。




1973年


近鉄は二十二日午後一時大阪市東区森之宮の球団事務所でドラフト三位指名の上林成行投手(24)=愛知国府高-倉レ岡山、179㌢、75㌔、右投げ、右打ち、背番号26=と同六位指名の太田清春投手(22)=三重高田学園-西濃運輸、180㌢、75㌔、右投げ、右打ち、背番号45=の入団発表を行った。上林投手は上手から重い速球を投げ込む本格派。四十二年南海、四十三年広島、四十七年太平洋と過去三球団がドラフトで指名したように、国府高時代からすでに大器として注目されていた。倉レ岡山時代は故障が多く、これといった実績は残していないが、近鉄では即戦力と期待をされている。太田清春投手は下手投げからのくせ球を武器に今秋の産別大会で活躍した。「シュートの切れがいいし、球威も大したもの。第二の山田になれる」(中島スカウト)といわれる逸材だ。入団発表に立ち会った西本監督も「いきなり高校を出てきた人と比べ、社会人を経験している人は成功度が高い。それだけに期待している」と若い二人を頼もしげに見守っていた。

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鳥坂九十九

2023-12-20 15:07:36 | 日記
1971年


エースは右腕・鳥坂。スピードのある直球を武器に、カーブ、シュート、シンカーと多彩な変化球を投げる。完投能力も十分あるが、コントロールに難があるのが気がかり。

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上林成行・太田清春

2023-12-17 20:03:22 | 日記
1973年
近鉄は、二十二日午後一時から大阪市東区森ノ宮の球団事務所で、上原代表、西本監督が立ち会いドラフト三位指名の上林成行投手(24)=1㍍80、75㌔、右投げ右打ち=と六位指名の西濃運輸・太田清春投手(22)=1㍍80、75㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背番号は上林26、太田45。上林投手は過去、南海(四十二年)広島(四十三年)太平洋(四十七年)とプロ野球から三度にわたって指名をうけたが、そのつどプロ入りを拒否していたが、ことしはクラレ岡山の野球部が解散したことからプロ入りへ踏み切った。上手投げの本格派で、球質は重く、即戦力として期待されている。太田投手は四年前、上手投げからアンダースローにかえたことがきっかけとなり、その後、メキメキと力をつけ、今秋の産別大会ではおおいに活躍した。


上原代表の話「上林君を獲得できたことは非常にラッキーだった。太田君はうちにもう一人いる太田君(幸司)とともにりっぱな投手に成長してほしい」


西本監督の話「二人ともノンプロ界からの入団だけに、それなりの力をそなえていると思う。一日も早く期待に応えてほしい」


上林投手の話「いままで三度も指名されたが、進学希望や自信がなかったことで迷っていたが、プロに入った以上は力いっぱい自分をためしてみたい」


太田投手の話「ノンプロとプロではスピードや力に差があると聞いている。どのていどついていけるかわからないがとにかくがんばります」

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高橋一彦

2023-12-17 19:48:33 | 日記
1986年
栃木県塩谷郡藤原町大原。日光国立公園の、鬼怒川沿いの、標高350㍍の山間の町で生まれた。「都会と違って、遊び場がありすぎて困るほどでしたよ」24歳になった高橋一は自慢げに話した。オープン戦成績2勝1S。その活躍の原動力が、わがふるさとにあると自負している。少年時代遊び回った下原小学校周辺の地形は、急坂あり、石ころがゴロゴロした河原ありと起伏に富む。ひと味もふた味もちがう馬力。お尻の周囲105センチと頑強な下半身。すべて、ふるさとが与えてくれたもの。「下半身がしっかりしているから、制球力があるし、ボールが高目に行かない」と近藤監督。ストレート、カーブ、フォーク、スライダー、持ち球すべてが低目の、今年から採用された新ストライクゾーンにぎりぎりのコースに決まっていく。ストレートの平均球速138㌔、さして剛速球でもないのに、早くも一軍当確の合格点を出したのも、この重い低目への球があるからである。「手がすべる以外は高目にはいかない」と高橋一は豪語する。前橋工3年生のとき、甲子園へ野手として春夏連続出場。社会人野球を日石で6年間過ごす。日石時代は、8、9、9イニングの3試合連続完投をやってのけたこともある。藤原中学2年のとき、同級生をかばって3年生の教室になぐり込んでいった事もある。人呼んで日光のケンカ男。すでに岩本典子さん(24歳)という婚約者がおり、公私ともにとんでもないルーキーである。

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玉山健太

2023-12-17 19:26:34 | 日記
2000年


ヒジ使いに天性の柔らかさがあり、MAX146㌔の快速球は打者手元でグイ~ンと伸びる。タテのスライダーも絶品で、打でも高評価。

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中里篤史

2023-12-17 19:24:40 | 日記
2000年


高校生右腕の1位候補。140㌔台中盤のストレートの伸びは超高校級で、タテのカーブも一級品。打者でも将来の中軸狙える。

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手嶌智

2023-12-17 19:21:41 | 日記
2000年


体の線の細さが球質に表れている。それでも天性のヒジの柔らかさがあり、140㌔台中盤のストレートは魅力。スライダーも◎。

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城土大二郎

2023-12-17 19:05:51 | 日記
1987年
「とてもうれしい、感激です」西武の3位指名、九州産交の城土大二郎内野手(22)は、阪神から1位指名を受けた同僚の野田浩司投手(20)とがっちり握手して、喜びをかみしめた。北九州市生まれ、東海大五高を出て九州産交入り。三年目で遊撃手のレギュラーポジションを確保。百㍍11秒4、ベース一周14秒の俊足とスイッチヒッティングの巧打を生かして今年の公式戦は16試合で62打数15安打の3割7分1厘。しかし、野田投手と同様、九州交野球部の廃部で「指名されなければ、ぼくの野球人生は終わりだった」だけに「マネジャーからの指名連絡の受話器を持つ手は震えて仕方なかった」「打、守、走の三拍子そろった選手になって来年中には一軍に上がりたい」と、力強い抱負。

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鈴木健之

2023-12-16 18:06:47 | 日記
2000年


MAX141㌔のストレートは茨城県では№1。タテ、ヨコ2種類のカーブを持つが勝負球はストレート。今夏、県4強の原動力となる。

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加世田美智久

2023-12-16 16:52:33 | 日記
1987年
「スカウトからも事前に聞いていなかったので、びっくりしています」都城高のエース、加世田美智久投手(18)は西武の4位指名に戸惑い気味。すでに野球をあきらめ、宮崎県北諸県郡高崎町で家業(自動車整備販売)を継ぐことにし、浜松市の整備専門学校への進学を決めていただけに複雑な心境のようだ。加世田投手は二年生からエースだったが、県予選は3回戦進出が最高。それだけに、学校関係者は「加世田のどの点を買われての指名か、よく分からない」と言う。しかし同校の川崎敬三監督は「バネとコントロールのよさは十分なので、鍛えればプロで通用するのではないだろうか」と大きな期待を寄せる。加世田投手自身は「日本一の西武から上位に指名されたのは光栄だ。学校や両親と、よく相談して決めたい」と語った。

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石貫宏臣

2023-12-16 16:38:35 | 日記
1987年
川島・伊良部・江口・橋本・上原に次ぐ評価を集めているのがサウスポー、西日本短大付・石貫宏臣投手(175㌢、70㌔)だ。線は細いが球威のあるストレートにカーブ、シュートをおりまぜ高校生らしからぬ投球を見せる。


1992年


1点差に詰め寄った直後の5回の守りだ。大洋の攻撃はレイノルズ、シーツ、畠山と続く。外国人二人を抑えるため、左の石貫をあえて使った。しかし、「高めのカーブ。右打席で久しぶりのホームラン」(レイノルズ)「おあつらえ向きのスライダーが来た」(シーツ)左に右に、あっという間に運ばれ、3点差がついた。

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