プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井上勝巳

2023-12-09 21:48:11 | 日記
1963年
近鉄バファローズは十八日午後三時半、大阪阿倍野の球団事務所で井上勝巳投手(20)=育英商、1㍍79、79㌔、左投左打=の入団を発表した。同投手はさきに大毎入りした大坂内野手と交換トレードによるもので、左投手のほしかった近鉄は、その成長に大きな期待をかけている。イースタンリーグ過去2年間の成績は4勝5敗。背番号33。


別当監督の話 井上はぼくがアメリカから帰ったとき彼を使うよう進言した。うちには貴重な左腕だし、スピードのある本格派だから第一線の一人に予定している。球威は申し分ないので、コントロールをつけるため下半身を鍛えることが肝心だ。

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徳久利明

2023-12-09 21:39:04 | 日記
1960年
近鉄バファローでは十七日午後三時大阪上六の百楽でかねて剛球投手として注目されていた高知商高徳久利明投手(17)と正式に契約を完了した旨発表した。同投手は身長1㍍81、体重82㌔、右投右打でその長身から投げ下ろす直球、ドロップ、シュートはプロ球団垂ゼンの的となり近鉄をはじめ阪急、西鉄、大洋、南海の間に激しい争奪戦が演じられたが、ここに近鉄入団の運びとなった。


同投手は今夏の高知県予選では三試合で三振42個を奪い、打っても四番打者で三割四分をマークした大型選手である。近鉄は昨夏から根本スカウトがつきっきりで交渉に当たり、予選終了後は阪急の藤井スカウト、大洋の森社長と三者の追い込み戦を展開したが、一昨年の板東(徳島商)に匹敵する膨大な契約金、一説には二千万円といわれる高額を提示した近鉄が、十日実兄長一氏が来阪の際、根本、加藤両スカウトが両側につき添って他球団に手をふれさせない強引戦法とあいまって、千百百万前後の大洋、阪急をシリ目に現ナマにものをいわせて掌中にしたものである。


徳久投手の話 今までプロの試合は見たことがありません。近鉄を志望したのは、高知からそう遠くなく大阪の球団だし、その他のことは全部兄にまかせてあったので、その決定に従ったまでです。プロに入ってどこまでやれるかぜんぜん未知数なのですが、一日もはやく第一線に出て投げられるようがん張りたいと思います。目標は西鉄の稲尾さんのような投手になりたいことです。


実兄徳久長一氏の話 五球団から入団の誘いを受けましたが、私とて野球には素人だし、一応各球団の実情を見て歩いてからのことにと思ったのですが、一見しただけでそうくわしくわかりません。そのとき近鉄の再建に対するなみなみならぬ意欲を首脳陣からこんこんと聞かされ、これに感ずるところがあり家族で相談、近鉄に決定したわけです。高知に帰ってから決める予定でしたが、学校あるいは後援会から一応十五日までに決めてほしいといわれ、けさ協議して決定しました。


千葉監督の話 私は徳久君のピッチングをこの目で見たことはないが、私も四国の出身だし、知人も多く、そうした人の話からも超高校級の投手だと思っている。今のうちは古い投手がしぼみかけ若手が伸びようとしている状態だから、その波に乗れば徳久君の伸びも早いのではないだろうか。その意味ですぐに登板の機会を与え、試練に立ち向かわせて一日も早く一人前になってもらいたい。こせこせした投手にではなく、スケールの大きい投手に仕上げたい。

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磯田毅

2023-12-09 20:53:36 | 日記
1963年
部員が少ないためか、各選手とも責任感が強く、いたわりあってチームワークを盛り上げている。エース磯田は本格派、快速球と切れのよいシュートがよく、プロ球界でも話題になっているほど。

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吉山智久

2023-12-09 20:51:25 | 日記
1963年
吉山智久投手(20)=1㍍81、75㌔、右投げ右打ち、亨栄商ー日鉄二瀬の入団発表があった。背番号は67。同投手は三十五年亨栄商が愛知県代表として夏の甲子園大会に出場したときのエースでサイド・スローの投手、この日一週間、杉浦監督のテストも受けた結果入団が決定したもの。

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佐藤康幸

2023-12-09 20:46:21 | 日記
1998年
社会人出身のプロ2年目で、ピッチングはそうそう変わらないが、佐藤康幸投手は球速が5キロもアップした。スライダーにカーブ。変化球が武器の佐藤康の速球は夏場まで132㌔が最高だったが、ここにきて137㌔をマーク。本人も「真っすぐがそこまでいくなんてびっくりしている」とのこと。宮田投手コーチは「一軍でいいピッチャーのいいところを盗んでいるからだ。」「以前はコーナーを狙っていたが、腕が振れるようになった。それが急速アップにつながっているのかも」と佐藤康は話している。


プロ2年目の佐藤康幸投手が、神宮のヤクルト戦でスコア2-2で迎えた6回1死から登板。5日の横浜戦にバント処理のミスで落としていた佐藤康。「チームに掛けた迷惑を絶対に取り返したい」チームが最も苦手にしているアンソニーを二ゴロで片付けると、7回は三者凡退。8回、一死一、二塁で再びアンソニーを迎えたが、武器のスライダーで見逃三振。2回1/3を無失点で締め、2勝目をあげた。「ミスでチームに迷惑をかけたのに、チャンスをいただいた、それが嬉しい」直球のMAXが134㌔だったのに、努力で140㌔に引き上げたのが佐藤康。確実に育ってきている。


「沖縄最後の紅白戦で珍しい球を見せたね」
佐藤康幸投手「パームです。真っすぐとスピード差をつけたいと思って。まだ覚え立てです」
「でも、3回を無失点は、そのパームが・・」
佐藤康「三輪から三振と取れていけるかなと。かなり使ってみたんです、これをぜひウイニングショットにしたいですよ」

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松原由昌

2023-12-09 20:25:01 | 日記
1975年
「ドラフト組には負けたくない」と、多摩川で練習に打ち込み、株を上げてきたのが巨人の松原由昌投手。昨年の9月、250人のテスト生の中からただ一人合格した無名選手。経歴は川崎の向の丘工高を卒業後、都の水道局に勤めながら草野球でゴムボールを投げていた。春のキャンプ時にはボールの握り方さえ知らず「8月ごろに初めてカーブを投げさせた」(宮田コーチ)という素人投手だった。しかし、メキメキと腕を上げていき、今では「ストレートの伸びがいい楽しみなホープ」(関根二軍監督)に成長した。公式戦には登板せず、春のオープン戦で4試合、秋の教育リーグで2試合、合わせて15イニング投げている。「打ち込まれたり、抑えたりで内容的にまだムラがあるが、毎日投げるのが楽しい」と松原。2年目の躍進へ目を輝かしているが、手取り8万円のテスト生に期待したい。

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室井勝

2023-12-09 20:15:46 | 日記
1963年
和歌山県田辺市立明洋中学、野球部の室井勝投手(15)=三年生、同市芳養町=は十二日、大洋ホエールズと入団契約を結んだ。同投手は177㌢、70㌔、右投げ右打ち。中学生のプロ入りはさきに中日入りした松本選手(長崎県諫早中)についで二人目。


森代表の話 室井選手については二回調べたが、不安を感じることのないほど完全なフォームで、必ずよくなる選手だと思う。球団に若い血を間断なく注いでいくためにも、今後このようなケースはふえていくと思う。


室井投手の話 両親とも賛成してくれたので入団することに踏み切った。小学生時代は二塁手で、中学一年から投手に転向した。入団したら夜間は東京の定時制高校に通うつもりです。

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松原由昌

2023-12-09 19:59:46 | 日記
1974年
巨人ドラフト指名外四人目の選手として十二日、東京水道局・松原由昌投手(19)=1㍍79、72㌔、右投右打、向の岡工出=の入団が決まった。この日午後、武宮スカウト部長、木戸前コーチが東京・大田区平和島の勤務先を訪ね、関係者にあいさつ。その足で川崎市大師町の松原宅を訪れ両親と話し合った。その結果、年棒百四十四万円で契約書にサインし、入団が決まった。松原は八月の新人候補テストで二百五十人の中から合格。これまでは捕手をやっていたが、百十㍍を越す遠投力が認められ、巨人では投手として育てていく方針である。鉄砲肩というより、バカ肩に巨人はすっかりほれ込んでしまった。軽く投げても百㍍を越すのだから「ボクは捕手が専門ですよ」とびっくりした松原に「その強肩を買って投手で契約しよう」と武宮スカウト部長が身を乗り出したのも無理ない。高校二年のとき右肩を痛め、スナップスローを勉強したのがよかったという。肩が治って投げてみたら手首の強化がプラスされて自分でもびっくりするほど遠くに投げられるようになっていたのだ。だが、プロ入りに反対する声は強かった。都庁にこのままいたら安定した生活が保証される。巨人にはいったら、いつお払い箱になるかわからない、との考え方だ。母親・フミさん(58)もその一人だった。しかし木戸前コーチの説明に納得すると「私の目の黒いうちに一度はテレビに映ってほしい」と激励するほどに変わった。父親・勇さん(61)=洋服仕立業=も「この子の本業はやはり野球だったんですよ」とキッパリ。野球の名門私立高校へ進学したかったのに、家計が苦しいのを知って、県立高校に進学した息子に、両親はいまやっと借りを返した心境になったらしい。高校時代はいつも一回戦でコロリ。二回戦進出といえば、ことし九月の全国官公庁大会がはじめてとまるで無名だ。「そう、ボクは出出しの原木なんです。コーチの教えをよく聞いてぜひ成功したいなあ」多摩川グラウンドに全員集合の号令がかかる一月十日、ミットをグラブに持ち変えた松原もその円陣にはじめて加わる。


松原由昌(まつばら・よしまさ)投手、ドラフト外、1㍍79、72㌔、右投右打、都水道局平和島支局、十九歳。八月の新人テストで二百五十人中でただ一人の合格者。神奈川・向ヶ丘工時代は一回戦で敗れるなど無名中の無名。どのポジションもこなす万能選手で「本職は捕手」というが、巨人では遠投百十㍍の強肩を高く評価して投手として育てる。


1975年


巨人の背番号「68」、松原由昌投手(19)昨年秋、雨の多摩川で行われたテスト、その志願者からただ一人選ばれたルーキーが懸命に汗を流している。前職は東京都水道局南部第一支所で、各家庭に鉛管を引く工事の監督補佐をしていた異色ルーキー中の№1である。月給12万円。「初給料で親父にプレゼントができました。いままで一度もコーチを受けたこともなく、基本もさっぱり。でも、やる以上は誰にも負けたくない」。一回目の遠投テストで百十㍍の測定ラインを楽にオーバーして「即合格」になったバカ肩。どんな開花ぶりをみせるか。

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桝岡憲三

2023-12-09 19:37:13 | 日記
1963年
紅白試合に登板しているのは今シーズンの公式戦に登板を予定されている投手ばかり。白石監督は「たよりにしている投手を紅白試合、オープン戦にどんどん使い、重点的に鍛えていく」といっている。桝岡は四回投げて五安打2点をとられたが白石監督が大いに買っている若手成長株だ。「低目に変化するクセ球をもっている。それにボールが重く当っても飛ばない」というのが白石監督の桝岡評。田中捕手も「打てるようで打てない」といっていた。プロ三年目の桝岡(1㍍77、76㌔、右投右打、広陵高出)は「大石さんのように投げまくって20勝してみたい」と懸命。「真っ向から打者を封じ込むにはもっとスピードをつけなければ…」とスピードの増加に取っ組んでいる。

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安岡正博

2023-12-09 19:29:36 | 日記
1960年
大阪タイガースはさる二十九日新人募集テストを行って五人の第一次合格者を決めたが、三十一日このなかから安岡正博投手(18)=大阪工大付属高校=を正式に採用した。安岡投手は左投左打、身長1・75㍍、体重72㌔、速球を主武器とする本格派である。


去る八月二十九日阪神は新人募集のテストを行いこのテストで一人有望な新人が見つかったと球団幹部を喜ばせている。安岡正博(18歳、大工大付属高、1㍍75、72㌔、左投左打)である。すぐ契約を完了したがテストに立ち会った藤村顧問は「巨人の坂崎に似ている」といっている。バッティング・テストで二軍投手の球をたてつづけに右翼席へたたきこんだ。投手としての経験もあるそうだ。

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