1987年
「セでもパでも、とにかくプロでやりたいと思っていた。最高の気分です」阪神タイガースに4位指名された大牟田高の宮脇則昭投手(18)は喜色満面。最後の夏の県大会では、チームは4回戦で敗退したものの、投手兼中堅手として出場、バネのある体から投げ込む140㌔近い速球とリストの利いたバッティングはスカウトの注目を集めた。明朗で、シンの強い性格。同校出身のプロ野球選手には近鉄の村上隆行遊撃手がいるが「素材的には村上と、そん色ない」(天河晃洋監督)「阪神は好きなチーム。村上選手を目標に頑張る」と宮脇の心はもうプロの世界へとんでいる。
仮契約の日に、早くもコンバート構想、阪神・横溝チーフ、渡辺両スカウトは二十日午後五時、福岡県大牟田市のオームタガーデンホテルで、4位指名の宮脇則昭投手(18)=大牟田高=と同投手の叔父・吉川正明氏同席のもと入団交渉を行い、契約金二千五百万円、年棒三百六十万円=推定=で仮契約。「力を試したいという気持ちより、今は不安の方がいっぱいです。投手として阪神の一員で頑張りたい」と仮契約を済ませた宮脇。その横で担当の渡辺スカウトが「地肩の強さとともに打撃と足が目を引いた。将来は外野手として育てたい」と早くもコンバート構想を明らかにしたのだ。父は一歳の時に協議離婚で去った。母・久子さん(53)は五年間の闘病生活をいまも続けており、二人の姉の手で育った頑張り屋。肉親のプロ入り反対の声も熱意で説き伏せた。一年の秋から不祥事による一年間の出場停止。その間に野球を辞めようかと思ったこともあったが「野球を続けていてよかった。うれしい。契約金?姉さんの結婚資金にしようかな。でも相手はまだ決まっていないようですけどね」将来の強肩外野手候補が、まず村山阪神の門を最初にたたいた。