プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

江口孝義

2023-12-16 16:03:30 | 日記
1987年


右本格派の江口は1メートル80の長身から140㌔台の速球が武器。スライダー、フォークの変化球を持ち、防御率0.81は素晴らしい。

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宮脇則昭

2023-12-16 15:52:08 | 日記
1987年
「セでもパでも、とにかくプロでやりたいと思っていた。最高の気分です」阪神タイガースに4位指名された大牟田高の宮脇則昭投手(18)は喜色満面。最後の夏の県大会では、チームは4回戦で敗退したものの、投手兼中堅手として出場、バネのある体から投げ込む140㌔近い速球とリストの利いたバッティングはスカウトの注目を集めた。明朗で、シンの強い性格。同校出身のプロ野球選手には近鉄の村上隆行遊撃手がいるが「素材的には村上と、そん色ない」(天河晃洋監督)「阪神は好きなチーム。村上選手を目標に頑張る」と宮脇の心はもうプロの世界へとんでいる。


仮契約の日に、早くもコンバート構想、阪神・横溝チーフ、渡辺両スカウトは二十日午後五時、福岡県大牟田市のオームタガーデンホテルで、4位指名の宮脇則昭投手(18)=大牟田高=と同投手の叔父・吉川正明氏同席のもと入団交渉を行い、契約金二千五百万円、年棒三百六十万円=推定=で仮契約。「力を試したいという気持ちより、今は不安の方がいっぱいです。投手として阪神の一員で頑張りたい」と仮契約を済ませた宮脇。その横で担当の渡辺スカウトが「地肩の強さとともに打撃と足が目を引いた。将来は外野手として育てたい」と早くもコンバート構想を明らかにしたのだ。父は一歳の時に協議離婚で去った。母・久子さん(53)は五年間の闘病生活をいまも続けており、二人の姉の手で育った頑張り屋。肉親のプロ入り反対の声も熱意で説き伏せた。一年の秋から不祥事による一年間の出場停止。その間に野球を辞めようかと思ったこともあったが「野球を続けていてよかった。うれしい。契約金?姉さんの結婚資金にしようかな。でも相手はまだ決まっていないようですけどね」将来の強肩外野手候補が、まず村山阪神の門を最初にたたいた。

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工藤慎明

2023-12-16 15:34:31 | 日記
1991年
工藤の魅力は何といっても終速135㌔の快速球。初速では軽く140㌔を超える。筑陽学園からは昨年も伴(阪神、6位)、野口(近鉄、外)と二人の投手がプロ入りしたが「球の速さが全然違う。1ランク上の選手です」と福吉部長の期待は大きい。175㌢と上背はないが、キレのいい投球に6球団が目をつけている。「どこでもいい。直球でグイグイ押せるような投手になりたい。目標は森田さん(中日)」高校時代は勝運に恵まれなかった工藤だけに、夢はどこまでも広がる。


「うれしくてたまらない。一日も早くプロのマウンドで投げたい」阪神に6位指名された筑陽学園(福岡県太宰府市)の工藤慎明投手(18)は、満面に笑みをたたえてガッツポーズ。指名の連絡を受けたのは午後四時過ぎ。寮の談話室で、テレビを見ながら待ち続けた朗報にニッコリ。「阪神は明るいチームカラー。筑陽学園の伴義太郎先輩(平成三年卒、投手)もいるので、意中の球団です」と即座に入団を表明した。175㌢、75㌔、右の本格派。「初速140㌔の重い球が魅力。プロに行けば7~8㌔は速くなるだろう」と同校の福吉誠野球部長。本人も「ストレートで押す、ストッパーを目指す」ときっぱり。

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真栄喜正和

2023-12-13 20:11:11 | 日記
1991年

契約金3500万。100メートルを11秒台で走るというから速い。そのため守備範囲も広い。一昨年は都市対抗に出場して、憧れのドーム野球も体験。そのドームが本拠地だ。


1992年

「ドラフト外でもなんでも、とにかくプロへ行きたい」と言う強い意志が実った。182㌢、84㌔という理想的な体格、左打席から放つ打球は鋭い。昨年の公式戦、打率・435をマーク、4ホーマー、20打点と、チームの4番打者として活躍した。ファイターズのキャンプ地沖縄からは、金城(興南高)、平良(八重山高)いらい3人目。前二人は、ともに実力を発揮できないままに終わったが、地元の熱い声援に、ぜひ応えて欲しいものだ。

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玉山健太

2023-12-13 20:08:56 | 日記
2001年
苫米地の一年後輩で、昨夏はエースとして甲子園に出場した。MAX146キロの速球と切れ味鋭いスライダー、フォークはすでに一級品。ルーキーながら2勝をあげた苫米地以上と言われる超高校級右腕だ。

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横松寿一

2023-12-13 20:07:22 | 日記
2001年
181㎝の長身から繰り出す140キロ台の直球が持ち味。カーブ、スライダーに加え、ナックルを習得してさらに投球の幅が広がった。普段は無口だが芯は強く、一昨年秋には体重を増やすために毎日おにぎりを6個食べて、自転車通学で足腰を鍛えたという努力家。インサイドで勝負できる投手で将来性も豊か。母校・戸畑高の牧村監督も「ひじが上がるフォームは天性のもの」と高く評価している。

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佐藤康幸

2023-12-13 20:02:23 | 日記
1997年
ドラフト8戦士で、ただ一人の社会人出身。横の揺さぶりが持ち味のサウスポーだ。豊富な経験を生かし、左殺しのショートリリーフ役が期待される。遅れて腕が出て来る変則フォーム。カーブやスライダーの切れ、コントロールも抜群だ。そして最大の武器は落ちるシュート。「強気の投球を星野監督に見てもらいたい」と佐藤康。ふだんは物静か。しかしマウンドに上がると、その顔はひょう変する。負けず嫌いの性格そのままに、打者の内角を攻めまくる。ドーム元年Vに欠かせない戦力となるにちがいない。


1999年


昨年はプロ初勝利を挙げる一方で、優勝争いの渦中に登板して押し出し四球も。天国と地獄を見た佐藤は「失敗も成功もあったけど、今年は失敗を減らしたい」プロ3年目。固く心に誓う。球自体は決して速くはないが、打者からは球の出所が分かりづらいという。それが最大の持ち味。昨年得た貴重な経験をムダにはできない。勝負どころで「佐藤いけ」星野監督に言わせたい。


2001年


中日時代の一昨年ヘルニアを患い戦線離脱、昨年戦力外通告を受けカープにテスト入団。しかし通算防御率3.06という制球力と左という特性をいかして赤ヘルで復活をめざす。

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大田勇治

2023-12-13 19:56:11 | 日記
1991年
鹿児島商工出は甲子園大会に2回出場、八幡大時代の通算19ホーマー、3年秋のシーズン6ホーマー(10試合)は、いまでも九州大学リーグの記録として残っている。日通浦和でも都市対抗戦に3回出場するなど、アマチュアでの戦歴は堂々たるものだ。自からプロ入りを志望し、昨年秋に退社してテストを受けるなど、プロへの強い願望が実った。強肩、俊足。柔軟性に富んだバッティングで、手薄な外野の一角をにらんでいる。




契約金ゼロ。八幡大3年生のときの6ホーマーは九州6大学記録。しかし中央では無名の存在。昨年、日本ハムのテストを受けて合格。契約金ゼロというのは異色だが、活躍すれば後払いも…。


1992年


「契約金はゼロでも、このユニフォームが着れただけでも幸せですよ」と数々の名言を残して入団したユニークなオグリ君も昨季は一度も一軍に上がることなくシーズンを終えた。あっという間だった。少し無念さは残るが、ファームでは主力として活躍。福島での巨人戦では、デラクルーズの打球をフェンスによじのぼってスーパーキャッチ。もっと集中力をつけ、2年目の今年こそ日通のペリカン打戦の力を発揮し、一軍出場だ。

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山田洋

2023-12-10 16:53:32 | 日記
2000年
「フォークがズバっと決まった時のあいつは敵なし。なんと言っても、その落差はリーグでも一、二だからね」山田久投手チーフコーチがこう表現してやまないのは、入団6年目の山田洋である。山田洋とフォーク。社会人の日通名古屋入りしたときにさかのぼる。「高校までの持ち球は、真っすぐとカーブの2種類だった。」金属バットの社会人でたった二つしか球種が無ければ、絶対に打たれる…。そこで思いついたのがフォークボール。兄・山田勉(当時ヤクルト)の武器がフォークだったことも影響した。「ただ、兄貴に教えてもらうとかではなく、独学です。ボールを指で挟んで、とにかく投げましたよ」真っすぐ、カーブ、スライダー、シュート、すべてフォークの握り。考え付くいろんな投げ方で、しっくりいった投げ方が「シュートの感じ」だったという。当時、血が噴き出るほどやった練習の成果が今、出ている。「フォークが決まれば、たいてい三振を取る自信がある」と言い切る。ちょっと出遅れた今季、フォークを武器にまもなく一軍に上がってくるだろう。


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井上勝巳

2023-12-09 21:48:11 | 日記
1963年
近鉄バファローズは十八日午後三時半、大阪阿倍野の球団事務所で井上勝巳投手(20)=育英商、1㍍79、79㌔、左投左打=の入団を発表した。同投手はさきに大毎入りした大坂内野手と交換トレードによるもので、左投手のほしかった近鉄は、その成長に大きな期待をかけている。イースタンリーグ過去2年間の成績は4勝5敗。背番号33。


別当監督の話 井上はぼくがアメリカから帰ったとき彼を使うよう進言した。うちには貴重な左腕だし、スピードのある本格派だから第一線の一人に予定している。球威は申し分ないので、コントロールをつけるため下半身を鍛えることが肝心だ。

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徳久利明

2023-12-09 21:39:04 | 日記
1960年
近鉄バファローでは十七日午後三時大阪上六の百楽でかねて剛球投手として注目されていた高知商高徳久利明投手(17)と正式に契約を完了した旨発表した。同投手は身長1㍍81、体重82㌔、右投右打でその長身から投げ下ろす直球、ドロップ、シュートはプロ球団垂ゼンの的となり近鉄をはじめ阪急、西鉄、大洋、南海の間に激しい争奪戦が演じられたが、ここに近鉄入団の運びとなった。


同投手は今夏の高知県予選では三試合で三振42個を奪い、打っても四番打者で三割四分をマークした大型選手である。近鉄は昨夏から根本スカウトがつきっきりで交渉に当たり、予選終了後は阪急の藤井スカウト、大洋の森社長と三者の追い込み戦を展開したが、一昨年の板東(徳島商)に匹敵する膨大な契約金、一説には二千万円といわれる高額を提示した近鉄が、十日実兄長一氏が来阪の際、根本、加藤両スカウトが両側につき添って他球団に手をふれさせない強引戦法とあいまって、千百百万前後の大洋、阪急をシリ目に現ナマにものをいわせて掌中にしたものである。


徳久投手の話 今までプロの試合は見たことがありません。近鉄を志望したのは、高知からそう遠くなく大阪の球団だし、その他のことは全部兄にまかせてあったので、その決定に従ったまでです。プロに入ってどこまでやれるかぜんぜん未知数なのですが、一日もはやく第一線に出て投げられるようがん張りたいと思います。目標は西鉄の稲尾さんのような投手になりたいことです。


実兄徳久長一氏の話 五球団から入団の誘いを受けましたが、私とて野球には素人だし、一応各球団の実情を見て歩いてからのことにと思ったのですが、一見しただけでそうくわしくわかりません。そのとき近鉄の再建に対するなみなみならぬ意欲を首脳陣からこんこんと聞かされ、これに感ずるところがあり家族で相談、近鉄に決定したわけです。高知に帰ってから決める予定でしたが、学校あるいは後援会から一応十五日までに決めてほしいといわれ、けさ協議して決定しました。


千葉監督の話 私は徳久君のピッチングをこの目で見たことはないが、私も四国の出身だし、知人も多く、そうした人の話からも超高校級の投手だと思っている。今のうちは古い投手がしぼみかけ若手が伸びようとしている状態だから、その波に乗れば徳久君の伸びも早いのではないだろうか。その意味ですぐに登板の機会を与え、試練に立ち向かわせて一日も早く一人前になってもらいたい。こせこせした投手にではなく、スケールの大きい投手に仕上げたい。

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磯田毅

2023-12-09 20:53:36 | 日記
1963年
部員が少ないためか、各選手とも責任感が強く、いたわりあってチームワークを盛り上げている。エース磯田は本格派、快速球と切れのよいシュートがよく、プロ球界でも話題になっているほど。

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吉山智久

2023-12-09 20:51:25 | 日記
1963年
吉山智久投手(20)=1㍍81、75㌔、右投げ右打ち、亨栄商ー日鉄二瀬の入団発表があった。背番号は67。同投手は三十五年亨栄商が愛知県代表として夏の甲子園大会に出場したときのエースでサイド・スローの投手、この日一週間、杉浦監督のテストも受けた結果入団が決定したもの。

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佐藤康幸

2023-12-09 20:46:21 | 日記
1998年
社会人出身のプロ2年目で、ピッチングはそうそう変わらないが、佐藤康幸投手は球速が5キロもアップした。スライダーにカーブ。変化球が武器の佐藤康の速球は夏場まで132㌔が最高だったが、ここにきて137㌔をマーク。本人も「真っすぐがそこまでいくなんてびっくりしている」とのこと。宮田投手コーチは「一軍でいいピッチャーのいいところを盗んでいるからだ。」「以前はコーナーを狙っていたが、腕が振れるようになった。それが急速アップにつながっているのかも」と佐藤康は話している。


プロ2年目の佐藤康幸投手が、神宮のヤクルト戦でスコア2-2で迎えた6回1死から登板。5日の横浜戦にバント処理のミスで落としていた佐藤康。「チームに掛けた迷惑を絶対に取り返したい」チームが最も苦手にしているアンソニーを二ゴロで片付けると、7回は三者凡退。8回、一死一、二塁で再びアンソニーを迎えたが、武器のスライダーで見逃三振。2回1/3を無失点で締め、2勝目をあげた。「ミスでチームに迷惑をかけたのに、チャンスをいただいた、それが嬉しい」直球のMAXが134㌔だったのに、努力で140㌔に引き上げたのが佐藤康。確実に育ってきている。


「沖縄最後の紅白戦で珍しい球を見せたね」
佐藤康幸投手「パームです。真っすぐとスピード差をつけたいと思って。まだ覚え立てです」
「でも、3回を無失点は、そのパームが・・」
佐藤康「三輪から三振と取れていけるかなと。かなり使ってみたんです、これをぜひウイニングショットにしたいですよ」

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松原由昌

2023-12-09 20:25:01 | 日記
1975年
「ドラフト組には負けたくない」と、多摩川で練習に打ち込み、株を上げてきたのが巨人の松原由昌投手。昨年の9月、250人のテスト生の中からただ一人合格した無名選手。経歴は川崎の向の丘工高を卒業後、都の水道局に勤めながら草野球でゴムボールを投げていた。春のキャンプ時にはボールの握り方さえ知らず「8月ごろに初めてカーブを投げさせた」(宮田コーチ)という素人投手だった。しかし、メキメキと腕を上げていき、今では「ストレートの伸びがいい楽しみなホープ」(関根二軍監督)に成長した。公式戦には登板せず、春のオープン戦で4試合、秋の教育リーグで2試合、合わせて15イニング投げている。「打ち込まれたり、抑えたりで内容的にまだムラがあるが、毎日投げるのが楽しい」と松原。2年目の躍進へ目を輝かしているが、手取り8万円のテスト生に期待したい。

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